第10話 十人目

【現実への帰還】

 病室の丸椅子で俺は目を覚ました。

 全身に神経が通り、軋むような痛みが意識を現実へと引き戻す。立ち上がり、凝り固まった身体をほぐすように体操した。骨がボキボキと鳴る。

 病室の扉が静かに開き、缶コーヒーを二つ手にした父・正人が入ってきた。一つを俺に無言で差し出す。

「…よく戻ってきてくれたな、圭佑」

「いいデータは取れただろ? 缶コーヒーさんきゅ」

 俺が皮肉っぽく言って缶コーヒーを受け取ると、父は初めて見るような、少しだけ困ったような顔で笑った。

「ああ。研究機関に戻って、Q-sのアップデート作業をせにゃならん」

 父のその表情に、俺たちの間の長くて冷たい氷が、少しだけ溶けた気がした。

 俺は隣のベッドに目をやる。莉愛が、まだ穏やかな寝息を立てていた。

「莉愛は…?」

「意識は安定している。二、三日すれば退院だろう」

「そうか…玲奈は?」

「玲奈様なら大学に行かれたよ。お前が眠っている間、彼女はほとんどつきっきりで見守っていた」

 その言葉に、俺は顔が赤くなるのを感じ、プルタブを開けてコーヒーを啜り、むせた。


 父は、俺の顔をじっと見つめると、意を決したように口を開いた。

「お前の活躍、見ていたよ。…美咲でなくて、お前がQ-sのマスターで良かったのかもしれんな。お前が引きこもっていた時、酷いことを言って…すまなかった」

 父は、深々と頭を下げた。

「…急にどうしたんだよ。やめてくれよ、こんなところで」

 俺は、照れ臭さと戸惑いで、それしか言えなかった。


 その時だった。

 病室のドアが、ノックもなしに勢いよく開いた。今宮が、慌てた様子で飛び込んできた。

「兄貴、大変です! 神宮寺が、クロノス・インダストリーの代表取締役に就任しました! 今、緊急記者会見やってます!」

 今宮が棚のリモコンでテレビをつけ、チャンネルを変える。

 無数のフラッシュを浴びる神宮寺のスーツ姿。自信に満ちたその表情の裏には、昏い野望が透けて見える。


 記者「神宮寺新社長! 前任の城之内氏の裏金ルートを暴いたのは本当でしょうか!?」

 神宮寺「ええ、本当ですよ。膿は出し切らねばなりませんからな」


 その会見を見ていた父が、苦々しげに呟いた。

「…また同じ手口か。あいつは月音の父親…俺の親友だった男も、同じやり方で会社から追放したんだ」

 月音…? 俺はその名前に息を呑んだ。

 今宮が、自分のスマホを見てさらに驚愕の声を上げる。

「うわっ、マジかよ! YORU、電撃引退だと!?」

 ネットニュースの速報が、アイドル界の女王の、唐突な終焉を告げていた。


 俺はスマホをいじり、自分自身のアカウントに目を向けた。

「…なあ今宮。俺のアカウント、戻るのか?」

「それが…兄貴のアカウント、ハッキングしてるんですが、佐々木の置き土産のプログラムが思ったより厄介でして…」

 俺は自分のスマホに表示されているQ-sのアバターに問いかける。

「Qならできるか?」

「…私でも数日はかかる。こんな強固なプログラム、手強いわね」

 そのプログラムの根幹には、綾辻響子が時間稼ぎのために仕掛けた、解除不能のトラップが組み込まれていた。俺たちはまだその事実に気づいていない。


【復讐の女神】

 数日後。莉愛は退院したが、心を病んでしまった。

 天神家の広大な邸宅の自室に引きこもっている。

 俺はそんな彼女を見舞うため、執事の運転する車で、初めて天神家の本宅へと足を踏み入れた。

 ゲートから玄関までのアプローチは、まるで映画のワンシーンのようだった。手入れの行き届いた庭園を抜け、巨大な噴水のあるロータリーに車が停まる。


 執事に案内され、莉愛の部屋に通される。

 莉愛はパジャマ姿で弱々しくベッドに横たわっていた。その顔は憔悴しきっている。俺は彼女の手を握った。

「…しばらくSNSからは離れろ。見なくていい」

「…うん。心配、ありがと」

 俺が部屋を出た後、莉愛はやはり気になって自分のスマホを手に取ってしまう。画面に溢れる言葉の刃。彼女は泣いて布団の中に潜り込んだ。


 廊下で執事が静かに声をかけてきた。

「圭佑様、お客様がお見えです。『神宮寺のことでお話したいことがある』と」

「分かった。案内してくれ」

「かしこまりました」


 応接室で俺を待っていたのは、地雷系の私服に身を包んだ少女だった。

 彼女は俺に一枚の写真を見せる。神宮寺が海外マフィア『黒龍会』の関係者と高級レストランで密会している、決定的な証拠写真だった。

「どこでこれを?」

「私の父の仲間です」

「隣の男は?」

「分かりません。ただ神宮寺の後ろには黒龍会がいると父から聞いたことがあります」

 彼女は静かに、燃えるような憎悪を瞳に宿して自らの過去を語り始めた。

「私の父はあなたの父・正人さんの研究仲間でした。父はクロノス・インダストリーに潜入し、正人さんに情報を横流していましたが、神宮寺に諜報活動がバレて会社を辞職させられました。そして神宮寺は見返りとして、私に関する根も葉もないスキャンダルをでっちあげ、私を引退させたのです」

 彼女はカツラを取った。銀色の髪が、部屋のシャンデリアの光を反射して輝く。

 彼女こそ、伝説のアイドル「YORU」月音夜瑠その人だった。

「マジかよ」

「私はもともと引き篭もりでした。マネージャーがある配信者の動画を見せてくれました。『この人もあなたと同じ痛みを抱えながら戦っている』って…。それがKチャンネルだったんです」

「マネージャーがリスナーとはな」俺は腕を組んで感心した。

 そして彼女は俺の前に跪き、狂信的な瞳で告げる。

「だからお願いします。私も圭佑さまの『剣』にしてください。圭佑さまのガチ恋です」

「…わかった。お前も俺の『家族』だ」

「そうだ、莉愛さんに渡したいものがあるんです。見舞いに行ってもいいですか? 私の歌を聴いてほしくて」

 執事が莉愛の部屋に行って聞くが、「今は、誰とも会いたくない、と…」と申し訳なさそうに戻ってきた。

「…心中お察しします」

 夜瑠はそう言うと、一枚のCDを執事に手渡した。「これを、莉愛様に」

「送ってやるよ。家はどこだ?」

「住んでたところ、家主に解約させられたので家無しです。ホテル暮らしです」

「…マジかよ」


【戦乙女たちの作戦会議】

 その夜、完成したばかりのタワマンの事務所。

 玲奈は莉愛の面倒を見ており、不在だ。

 俺は新メンバーの夜瑠を、他のメンバーに紹介した。夜瑠がカツラを取ると、メンバーたちは驚愕の声を上げた。元国民的アイドルYORUの登場に、特にキララは目を輝かせ、「YORU様! 握手してください!」と興奮を隠せない。

 キララは夜瑠と繋いだ手をブンブン振る。彼女はジト目でキララを見た。

「離してくれませんか?」

「ごめんなさい!」


 しかし、莉愛を欠き、リーダーである俺のアカウントも乗っ取られたまま。事務所には重苦しい空気が流れていた。

 その沈黙を破ったのはセンターのキララだった。

「…いつまでこんな暗い顔してんのよ! 莉愛もファンも、そして…圭佑P自身も私たちが笑顔にしなきゃ誰がやるって言うの!」

 詩織が提案する。「…こういう時は原点に戻るのが一番です。圭佑さんの思い出の場所を巡るデート配信というのはどうでしょう?」

「それいい! 圭Pが昔、家族旅行で行った場所に行けば、莉愛ちゃんが元気になるきっかけになるかも!」

 みちるが賛同し、メンバーたちの目に再び光が宿る。

 俺は一つだけ、場所を提案した。

「…昔、家族旅行で泊まったホテルがある。洞窟風呂が有名な少し寂れた温泉旅館だ」

 戦乙女たちは、王と姫を救うための最初の作戦行動を開始した。


【思い出巡りデート配信】

 数日後。予告なしのゲリラ配信が始まった。

 行き先の温泉旅館「龍神の湯」は、天神グループの系列だった。

 画面には、温泉旅館で浴衣姿のメンバーたちに囲まれ、少し照れくさそうにしている俺の姿。

 温泉卓球では、アゲハが「負けたら圭佑と一緒に寝れない勝負な!」と全力のバトルを挑んでくる。洞窟風呂では、メンバーたちが俺の背中を流そうと争奪戦を繰り広げた。


 天神家の邸宅。莉愛は姉の玲奈と一緒にベッドの上でタブレットの画面を見ていた。

「お姉ちゃんも行けば良かったのに」

「莉愛を置いていける訳ないでしょ。心配なんだから」

「…ありがとう、お姉ちゃん」

 画面には、圭佑がメンバーたちと楽しそうに、そして少し照れくさそうに笑っている姿。

 莉愛は、ぽつりと呟いた。「…圭佑くん、こんなところで、家族旅行してたんだ…」

 そして、メンバーたちの「私たちは何があっても圭佑Pを信じる!」という言葉を聞いた瞬間、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。


【ラストシーン】

 配信の最後、俺は一人ライトアップされた洞窟風呂の前に立っていた。もちろん服を着て。

「…莉愛見てるか? ここな、昔親父と二人で入ったんだ。『どんなに暗い洞窟にも必ず出口はある』ってな」

 俺はカメラに向かって静かに、しかし力強く語りかける。

「だからお前も一人で閉じこもってんじゃねえ。俺たちが必ずお前をそこから連れ出す。約束だ」


 その配信を見ていた莉愛は、ベッドからゆっくりと起き上がると自室のPCの前に座った。そして、夜瑠がくれたCDをPCにセットする。

 彼女の魂を揺さぶるような歌声が、部屋に響き渡る。その歌声に導かれるように、莉愛の指が、震えながらも、キーボードを叩き始めた。

 PCの画面に、見たこともないプログラムが起動する。莉愛のPCに眠っていた、オリジナルの【Muse】が起動したのだ。

 Museは、凄まじい速度で、乗っ取られた圭佑のアカウントの解析を始める。

「…莉愛!?」

 その光景を見ていた玲奈が、驚愕の声を上げた。


 その頃、クロノス・インダストリー社長室。

 神宮寺は、俺たちのデート配信を嘲笑いながら眺めていた。

「…茶番だな。だがそれもすぐに終わる」

 彼が座る革ソファの向かいには、美しいドレスに身を包んだ秘書であり恋人である綾辻響子が座っている。

「ところで響子。あの製氷工場の事務員はどうした?」

「ええ、辞めましたわ。佐々木と田中は壊れ、神谷圭佑が動き出した。茶番はもう終わりですもの」

 彼女はワイングラスを傾けながら冷ややかに続けた。

「せっかく佐々木を一流のハッカーに育ててあげたのに、残念ですわ」

 神宮寺は不敵に笑う。

「構わんさ。それより面白いものを見せてやろう」

 彼は自らのPCを操作し、モニターに世界各地の金融市場のチャートを映し出す。そして、AI【Muse】のロゴを指でなぞった。

「私が城之内の会社に送り込んだコピー版のMuse。あれはただのAIではない。天神グループのシステムに侵入し内部から破壊するための、最高のコンピュータウイルスでもあるのだよ」

「城之内の裏金ルートを把握させたのは、そのための実験に過ぎん。起動すれば、天神の金融システムは崩壊し、世界経済は大混乱に陥るだろう。そうなれば…」

 神宮寺の目が昏い光を放つ。

「…私こそが、この世界の、真の『神』となる」


 王国の本当の反撃と、本当の戦争が、今、同時に始まろうとしていた。

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成り上がり~炎上配信者だった俺が、最強の女神たちと世界をひっくり返す話~ 浜川裕平 @syamu3132

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