【冬城まふゆを救え】 我々は守る権限を持つ On peut la protéger.
https://note.com/ncoo/n/n5a65b7269e2d
nco氏のこの記事に、私は重要なコメントを寄せましたが、今、6/19 23:44時点でこれを確認すると、私のコメントがコメント欄にありません。nco氏が一度、目に通したであろう、私の重要なコメントをここに残しておきます。太字の強調は、元のコメントにはありませんでした。
この記事内で言及されている、譲歩案の対象の「二人」とは、一体誰のことでしょうか。このような譲歩案を公開のNoteで語りたいのならば、まず対象の人々が誰であるかを、公開のNote上の一般の人々でもわかるように書くことが、Note上の人々にこれを公開することに伴う責任でしょう。
対象の二人が誰であるのかを、現在のNote上のユーザー名で、だれでもわかるように明確に示すべきです。
そして、我々が良識ある限り、我々Noteの一般人がその案について批評を寄せることは、その譲歩案を見ることを可能にされた我々の権限です。
nco氏が、nco氏が提案する譲歩案の対象であるとしているような「二人」が、誰であるかは、私には正確にはわかりません。しかし、現在までの経緯を考慮に含めれば、nco氏が示唆する「二人」の中に、まふゆ氏が含まれている確率は、決して低くありません。もしも万一、nco氏の語る「二人」にまふゆ氏が含まれる場合、私達はまふゆ氏とともに立ち、連帯し、守ろうとすることが許されています。
まふゆ氏に向けて、nco氏が何らかの約束を提案しているということを、実際にnco氏が公開上のNoteにおいて知らせている、と一般的に考えられる、この場合では、
もしも仮にnco氏が公開のNote上でまふゆ氏に対して、何かの約束を提案したと仮定した場合と同じく、
我々が、この提案及び一連の事件についての批評を公開のNoteの場において行う権限を持つことに相当すると、私は見做します。
nco氏が「二人」の中にまふゆ氏を意図している、という可能性が十分に大きい限り、
提案された約束の内容及びそれに係る状況の詳細が、完全に公開されているか否かを問わず、現在情報が公開されている程度は、今我々が批評を起こすにあたっては十分に大きい程度である、と私は見做します。
追記(6/20 17:48)
私のコメント欄に、nco氏からの返答があって、それが私にとって大事だったのでので、公開しておきます。
すげー勘違いしてんなー。こっちとしては「あんたのコメで勘違いして、盛り上がる奴らがでてくるのを懸念して消しただけ」ね。そのくらいnoteの連中の読解力は期待できないからね。おけ?
んで、本題。まふゆさんは入ってないよ。おけ? むしろ、まふゆさんはこっち側の人で、味方と認識しているので、和解以前に「おしゃべりをしている関係(意味深)」ですよ。こっちからは出せる情報はここまで←優しい
当該人物らの名前出してないのは「非対称的なまでにこちらが有利だから、こちらが名前出すことで脅迫罪の可能性が1ミリでも発生するのを嫌がってるだけ」ってこと。以上。
このコメは今日の昼には消すので、よろしいか?
術後で体調がイマイチなんで、こっちの意図を理解できたら、このコメントを消しといてくれると助かる。手間が減ってね。っていうか、意図を理解したら、この記事自体の意味も無くなると思うけどねwww
コメント
1nco氏が、まふゆ氏は譲歩案の対象の「二人」の中には入っていないと、明確にここで言いましたので、私は深く安心しました。
まふゆ氏が現在、何らかの理由で心理的安全がない可能性があるので、私はnco氏のコメントと投稿日時を、スクリーンショットと、テキストのコピーで、私の手元にとっておきました。