YOSHIDA Hiroshi 吉田 寛

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YOSHIDA Hiroshi 吉田 寛
@H_YOSHIDA_1973
感性学・ゲーム研究 /『デジタルゲーム研究』(東京大学出版会)発売中 / 文京区本郷在住・在勤 / 読んで書いて喋って食べて呑んで旅して遊んで寝てます English readers may follow me also (似顔絵:和田誠)
Joined January 2011

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日本のゲーム研究を(勝手に)代表する編者4人が自信をもってお届けするゲーム研究の入門書の決定版が、いよいよ刊行です。(とくに一部の執筆者の方には)たいへんお待たせしました。
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フィルムアート社
@filmartsha
【新刊情報】 『クリティカル・ワード ゲームスタディーズ 遊びから文化と社会を考える』 吉田寛/井上明人/松永伸司/マーティン・ロート=編著 私たちは何をプレイしているのか? ゲーム研究の多面性と新たな可能性をとらえる、キーワード35+ブックガイド20 filmart.co.jp/books/978-4-84
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紅茶はイギリスの超硬水でいれるとそれだけで(安い茶葉でも)美味しいし、世界中どこでも(日本でも)売ってるイタリア製パスタも硬水で茹でると美味い、逆に日本のうどんや高野豆腐は、硬水で茹でるととても食べられない、しかしそのために水を輸入するわけにはいきません。つまり水を含めて食文化。
うちの女子大生が知らない街(初めて降りた駅)で「道を聞いた相手」がなんと「駅前で選挙演説をしていた議員」で、その理由として「その街に詳しそう」「質問に必ず答えてくれそう」の2点をあげていて、もうこの子に教えることは何もないと思いました。
ガチ公募の面接で「あなたの教養の定義は何ですか?」と聞かれ、「呑み屋で隣に座った初対面の客とお喋りをして楽しく時間を過ごし、適当なところで切り上げてお先に失礼する能力です」と答え、終了後「あれはさすがに言い過ぎだった」と激しく後悔した私を採用してくれた前職場には感謝しています。
昨晩、インド哲学専攻の若い友人から聞いた話ですが、彼が研究対象する仏典(8世紀)のサンスクリット語は、葉(を素材とする紙)に書かれているため、文字が丸い傾向にあるという。なぜなら縦の繊維が多い表面には縦方向の線は書きにくいから。「媒体(紙)が文字の形を規定する」という面白い話。
先日のNHK番組でアメリカ人のゲーム研究者が「『ストリートファイター』のケンとリュウのライバル関係には、当時の日米の対立構造が表象されていたのです(プレイヤーはそう経験したのです)」と「解説」して、当時リアルタイムで遊んだ日本人が「そんなことない」と反発した問題はけっこう深刻です。
日本にいた頃は「Amazonすごい!」と思っていたが、実はAmazonではなく日本の宅配業者(ヤマトなど)がすごいだけだったと、イギリスに来て分かった。
学生の卒論を読んでいると「明らかに変なことを言い出す」瞬間があり、しかもそこにオリジナリティが光り輝いていることが往々にしてあります。ポイントは「それまでなんてことないのに突如おかしくなる」こと。オリジナリティには助走が必要、ということでもあります。
私の知っている国でいえば、ドイツやデンマークも「大学の講義で主に使用される言語は、その国の国語」です。学生には「母語で学ぶ(学位を取る)」権利があり、そのため外国から着任した教員も現地語の習得が必須です。「大学教員がほぼパーフェクトな英語を話す」それらの国であってもそうなのです。
女「いやだよー、ハイデガー読まされるもんー」 男「ハイデガー読めよ!」 という男女2人組の会話が、すれ違いざまに断片的に聞こえました。どういう文脈でしょうか。
学生から呑み会の席で「じつは告白しなければならないことがありまして…Switch2が当たりました」と言われたので、「了解しました。でも学会などでそれをみだりに言わない方がいいですよ、どんな人が聞いているのか分かりませんので」という助言をしました。指導教員としての務めだと自覚しています。
大教室の授業で、授業が終わった後に教壇のところまで行って、教師に訳の分からない質問をしてくる学生がいますよね。毎週来て、毎週訳の分からないことをいってくる。狭い観測範囲ですが、そういう学生はだいたい伸びますね。
前から言っていますが、私がゲーム研究者を名乗ることができているのは「中途半端にゲームに詳しい」「中途半端に人文系の学問に詳しい」「中途半端に外国語が理解できる」からで、いずれも100点満点中60点位ですが、合計180点の人はレア。みんなも自分の中途半端な能力を組み合わせて生きていこうな。
ドイツでスポーツジムにいくと、けっこうな確率で「ネオナチの若者の巣窟」になっているので、よいジムかよくないジムかを事前に把握しておく必要が(ドイツ人にとっても)ある、ということを本日知りました。日本のスポーツジムではあまりそういう話は聞かない気がします。体を鍛えることの右翼性。
幾つかの新聞社が「袴田事件に関する自社の当時の報道」の謝罪記事を出した件、「ポーズにすぎないから評価できない」とも「ポーズにすぎないが評価できる」とも言われていますが、私の意見は完全に後者。この件に限らず、「ポーズ以外に他人や社会に示せるものはない」ですから。建前こそが重要です。
「職業に貴賎無し」と言いますが、教育もまさにそうで、「下位集団の底上げ」をミッションとする学校を軽視するのは、誤った愚かなことです。社会的効用の観点から考えても、「上位集団のさらなる卓越化」よりも「下位集団の底上げ」の方がエッセンシャルでしょう。研究者もそれを忘れてはなりません。
その昔、海外のハッカーが日本の中枢と勘違いして、霞ヶ浦の自治体のサーバーを猛攻撃したという事件を耳にして以来、漢字文化がもつ安全保障上の重要性を認識している。
博士課程の頃、赤羽に住んでいて、朝7:00からやっている立ち呑み屋があった(今もある)ので、「朝まで論文を書いて、朝一で呑みに行ってから寝る」という生活をしていました。あの店がなければ、私は博論が書けなかったかも、と思う以上に、いやあの店がなければもっと早く書けただろう、と思います。
「コロナウィルス感染予防にはヘーゲルが効く!」 1. 『精神現象学』をペーパーバックで買ってくる(消毒液よりも安い) 2. 読む(たっぷり二週間は自宅にいれる) 3. 読んだ内容を人に話す(皆必ずあなたから逃げていく) (という記事がFBで回って来て思わず膝を叩いたので日本語にしました。)
大学生はせっかく学費を払っているのですから、授業や図書館だけでなく、大学の空間的資源(物理的スペース)と人的資源(教員や先輩や同僚)を最大限に「無料で活用」してください。学費を取り返すぞくらいの勢いで貪欲にやってください。大学の外で同じことをやろうとすると莫大なお金がかかります。
創価大学(八王子)は(意識的に)完全に「世俗化」していて、宗教の授業も礼拝の時間もなし、教員も創価学会員(信者)は半分くらいで、学生からも「私は信者ではないのでそれを前提にした話はやめてほしい」とアンケートで書かれるので、教員も気を付けるようにしている、という話を昨日聞きました。
日本から国外に簡単にモノを送るときのコツです。 ・自分宛にしない(入国に伴う携行品扱いになり要申告になる) ・カテゴリーを「贈物」にする(「販売品」「商品見本」にしない)。 ・すべての内容品に「中古 Used」と付記。買ったばかりの本でも一度パラパラめくって「Used Books」とする(儀式)。
「パンデミックは、いつ始まったかは明らかだが、明確な終わりがない。始まりの日付は分かるが、それがいつ終わったか、人々の記憶にも記録にも残らない」とは、「スペインかぜ」の歴史を調べた人の発言ですが、この「終わりを特定することの難しさ」は、まさにわれわれが今から直面する問題でしょう。
アラン・チューリングが同性愛者であったことは、有名ですが、彼の名を冠した「チューリング・テスト」が、「男性が女性を装う(自分が女性であると会話によって証明する)性的サロンゲーム」から着想されたものであることは、あまり知られていません。人工知能の理論のベースにクィアがあったのです。
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(承前)そういう学生はあっという間に、学会発表をする立場になり、そこでもまた訳の分からないことをいうようになり、しまいには大学の教壇に立って、そこでもまた訳の分からないことをいうようになります。そして授業後、学生がやってきて訳の分からない質問をしてくるのです。歴史はその連鎖です。
「あなたの研究には対象への愛がない」などと言われたら、「あなたが言う愛とは何ですか? アガペーですか? エロースですか? あるいはフィリアーですか? その場合の出典はプラトンですか? 新約ですか?」と尋ねるとたいていの相手は黙ります。便利なのでオススメです。うろ覚えでも大丈夫です。
外れることを願いつつ、今から予言しておきますが、遠からず、学生が強制的に武器をもたされて前線に送られるでしょう。しかし制度的には徴兵ではなく「キャリア形成教育・インターンシップ」なのです。もちろん単位も認定されます。しかも戦争ではなく「平和維持活動」です。一休さんもびっくりです。
若い研究者には、マジで変な禁欲をしないでいいので(人生おかしくなるともっとマズイので)普通に大量に本や論文を読んで、大量に作品を観て聴いて読んで、大量に文章を書いて、大量に仲間と話して、大量に学会に出て、大量に酒(ノンアルでも)を呑んで、大量に遊んで、大量に寝ていただきたいです。
JR御茶ノ水駅前の丸善。ここは私が中学生の頃から変わっていません。今どき東京の書店でこういうところは珍しいです。いつまでもこのままここにあってほしいものです。
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日本通のアメリカ人社会学者が「アメリカの大学の研究教育環境が、何だかんだ言っても、常に日本よりもマシなのはどうしてか?」という問いに対して「アメリカには文部科学省がないからね」と答えていたことは、とても人には言えませんので、墓場まで持っていこうと思っています。
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しかも南に行けば行くほど文字が丸くなるらしい(紙の材料である葉の成分が気候帯によって変わるので)。羊皮紙とペンの関係や、和紙と筆の関係にも、実は同じようなことがあるのでは、つまり紙の種類(成分、繊維)が文字の書き方や書き順、形状を決定するのは、案外普遍的な現象では、と想像します。
大学の四年間は「勉強そのもの」をやるだけでなく「勉強の仕方」を覚える時間です。卒業してからも勉強は終わりません、というかそこからが本番です。勉強をやめたら人生そこで終わり。医者も政治家も官僚も企業家も、優れた仕事をする人は皆さんずっと勉強を続けていますよ。
参考になるか分かりませんが(ならなければ申し訳ございません)研究者が似たような状況にある場合には「翻訳をする」「先行研究をひたすらまとめる」「データベースを作る」などをオススメしています。頭の使う部分を変える、創造性の矛先を変える、というのは行き詰まったときに思いのほか有効です。
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杉田俊介
@sssugita
物書きとして、書けるテーマがなくなってしまった。何も思いつかない。自分の中は空っぽだ。鬱が回復しないのも、寝たきりになってしまうのも、この「やるべきことがない」「具体的な目標が何も無い」という事態に関わっているように思われる。どうすればいいのやら。何も書けない。もうおしまいなのか
この時期、卒論を書いている皆さんには、「独りで閉じこもって考える(書く)」と「人と会って話す」を交互に繰り返すことをオススメします。どちらかだけではダメです。そしてこの繰り返しは、研究者になってからも大切です。
人類史規模でゲームの歴史を考えると、だいたいどこの文明圏でも、まずは「移動・競争のゲーム」(すごろく型)が出現して、その後に「陣地取り・対戦のゲーム」(将棋型)が出ています。つまり後者は明らかに前者の発展形なわけですが、このことをうまく説明する理論は(まだ)ないような気がします。
「明らかに研究に向いていない学生が、大学院の進学を志望する場合に、教員として勧めるか止めるか」という問いがあるようですが、私は基本的に「誰でも何でもやりたいことをやりたいようにやったらいいし、こちらもできる限りのサポートをする」派ですね。一度きりの人生、やってみないと損ですから。
四月から新たに非常勤講師として勤め始めた某大手私大(授業は二週目からオンラインになった)から「オンライン授業でも、交通費(通勤手当)はそのまま出します。それをオンライン授業のコスト(通信費等)に当ててください」という連絡が来ました。この手の連絡をもらったのは昨年以来、初めてです。
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私も(当時『ストリートファイター2』をプレイしていた日本人として)「そんなことない」と思うのですが、「客観的(歴史的、経済的、政治的)」には、そういう解説・解釈が整合的・合理的なものとして成立しえますし、反論する側にもそれを覆す(主観的ではない)根拠がなければ反論になりません。
もうすぐ卒業証書や大学院の修了証書をもらう人は、すぐにスキャンをしてデータとして保管しておくことです。とくに「卒業(修了)年月日」が超重要で、この先の人生で、履歴書にほとんど毎回書くことになりますが、「3月31日」ではないことが多いのです。実際、私の場合も「平成x年3月28日」です。
これは至言です。まさにその通り。「何かに熱中すること」は、「世界と自分の関係を作ること」であり、それはイコール「世界の愛し方を知ること」「自分の愛し方を知ること」です。「何か」の部分(熱中する対象)はいずれ消える(変わる)でしょうが、後者の方は残り育ち続けます。そちらの方が重要。
私が入学した1992年の東京大学駒場キャンパスの状況はこうでした。自治会(民青系)と統一教会が激しい勧誘合戦を繰り広げていて、そこに全盛期のオウム真理教も加わり、まさにハルマゲドンの様相。入学ガイダンスで「宗教勧誘に注意!」というリーフレットをもらうも、それ自体が一目みて胡散臭い。
人生で初めてふれた本格的な文学は、ドストエフスキーの『罪と罰』。高校時代、姉の本棚にあった岩波文庫の上下巻をこっそり借りて、むさぼるように何度も読みました。世の中にこんなにすごいものがあるなんて! その後しばらくして本屋に行ったら「中」が売っていました。
御徒町に最近できた(移ってきた)ばかりの学術バーQ、「美学・芸術学専攻の研究者・学生は飲み代が安くなるデー」ということを知り、お忍びで行ってみましたが、私が入った時点で他の客はゼロ、しかもバーテンダーがかつて私の授業に出ていた大学院生(キャンパスは別)で、全然予想外の展開でした。
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そういう意味では、いよいよゲーム史も(あるいはゲーム史だからこそ)「伝統的・正統的な歴史学の方法」を参照するフェイズが到来した、と言えるかもしれません。「当事者やその周囲が共同で編纂した史料」をどこにどういう形態で(どの言語で)残すか、ということから考え始める必要があるでしょう。
今日学生にも言ったことなのですが、20代前半くらいでガチで付き合っている仲間は、その後30年くらい残る(あるいは後に思いがけず再会・復縁する)公私の仲間になりますので、大切にしてほしいですし、喧嘩別れする場合でも、n十年後にすんなり再会できるくらいの礼節をもって接して欲しいものです。
「すべての学問が学べる総合大学が(各都道府県にとはいわないので)各地方に一つはあってほしい」と思います。理系・文系を問わずすべての学問・学科が。かりに大学院は大都市圏に任せるにせよ、せめて学部の間は各地方で学べるように。それにより各地方が活性化するだけでなく、学問も活性化します。
昨日も(研究者志望の)若い人にこの話をしたのですが、研究者にとって研究(読んだり考えたりする営み)は、「仕事」というよりも「habit(習慣、習性、癖)」であり、そのhabitは「研究職」に就くよりもはるか以前(早ければ10代)に形成されているケースが多いです。能力よりもhabitの有無が重要。
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アートや映画、マンガの場合には、「作者本人(やその周辺)の手記や回想」が残っている場合が多く、後世の研究者や歴史家も、それに照らして、「客観的に妥当な解釈・説明」が可能ですが、ゲームの場合にはそれが残っていないことが多く、そのため一般的な政治・経済・文化の状況と結び付けられがち。
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1980・90年代の黄金時代のゲームを作ったクリエイターはもちろん、当時リアルタイムで経験したプレイヤーもいなくなり、(21世紀生まれの)新世代がいわば「勝手に遊んで、勝手に経験・解釈」する時代がすでに始まっています。それに旧世代が反発しても無意味。「時代を超えて共有できる土台」が必要。
私はセンター試験の作問委員を務めたことがあるけど、今現役の委員は守秘義務(任期終了後、一定の期間を置いてから官報で名簿が公開されるルール)があるため名乗れないんですよね。そして(これは当然だけど)業務の内容は詳らかにはできない。しかしその経験者が連帯して発言できる仕組みがほしい。
最近の若者言葉の「〇〇くない?」という破格表現、いよいようちの学生にも使う人が出現して、ついに来たーという感じです。私は自分の子どもが学生の世代なので聞き慣れていますが(いまだに違和感はなくなりませんが)いきなり聞いたオトナは驚くでしょうね。「するくない?」「いるくない?」
然るべき人達が適切に応答すると思いますが、最近の日本(政府?)の「ヒューマンエラー」の用法に違和感を感じています。「人間は必ず過ちを犯すという前提に立って、エラーの発生や被害をいかに最小限におさえるか」が(研究分野としての)ヒューマンエラーのはずです(授業ではそう教えています)。
学位論文執筆のTIPSを幾つか(指導学生には口頭で言っていること)。 ・序にあたる部分は最後もしくは作業後半に書く。下手すると「無限に書けてしまって」本論に入れない。 ・書けるところ、書けそうなところからどんどん書く。全体と部分、章立てのアクロバティックな変更を恐れない・億劫がらない。
大学(院)生活で手に入る「もっとも貴重なもの」は、図書館でも実験設備でもなく「議論できる場・仲間」です。「お互い手を抜かずに言いたいことを言い合える場・仲間」と言い換えることも可能です。しかしこれは「後から振り返ってその価値に気付く」ことが多く、在籍中は案外分からないものです。