使い捨て食器を常用してる人間を見るといろんな意味で終わってるなと思う。皿を洗う手間すら惜しいならもう生活自体やめたらいいんじゃないか。どうせその余った時間でやることなんて、YouTubeでショート動画垂れ流して脳をスープにしてるくらいだろう。
紙コップにぬるいコーヒー入れて「今日もがんばろ〜」とか言ってるのを見ると、うすら寒い気持ちになる。誰もが疲れてるし余裕もないのはわかるが、そうやって一つずつ生活を溶かしていって、何が残るのか。自分のことを効率的に生きてると思い込んでる消費動物の完成か。
「使い捨ての方が時短になるし衛生的じゃん」みたいな言い訳を真顔で言うやつがたまにいる。そういうやつに限ってゴミの分別すらできてないし、使ったスプーンをその辺に放置してカビ生やしてたりする。衛生の話なんて一切興味ないくせに都合のいい時だけ口にする。そういう薄っぺらさが紙皿そのものと重なって妙に説得力がある。
しかも最近はおしゃれにデザインされた「ちょっと高い使い捨てカトラリー」なんてのが売ってて本当に地獄だと思った。意識だけ高い風を装いながら中身は何もない。結局「捨てられる」ことに快感を覚えてるだけだろ。責任を取らなくていい安心感。汚れたものを洗わずに済む安堵感。そういうのを積み重ねて、自分の生活の重みを全部削ぎ落としていった先に何があるのか。もうペラッペラの人生しか残らない。
もちろん自分だって完全に脱プラ生活なんてできてないし、気づけばコンビニ弁当の割り箸で飯をかきこんでることもある。ただ、それがどれだけ間抜けな選択かということくらいは理解してるつもりだ。問題は、そういう自堕落さに無自覚でいること。便利に身を任せてるうちにいつのまにか自分自身も「消費される側」になる。そうやって気づかずに摩耗していく生き方ほど空虚なものはない。
便利の裏にはどこかしら腐臭が漂ってる。それをごまかして「楽でいいよね〜」とか言ってるのを見るたび、ああもう戻れないんだろうなと思う。使い捨ててるのは物じゃなくて、たぶん自分の生活そのものだ。
AI
「使い捨て食器に慣れすぎた人間の末路」が書いてあるのかと思ったら、思い込みの罵倒しか書いてなくてがっかり
それはショッキングだな(食器だけに)
ジャムとか食べラー用に百均のプラスプーン使ってる。ちょっとした洗い物増えないし、その都度新しいの使えるから清潔でいいと思ってる。
食器に埋まって一年半シンクが使えなくなったことあって軽くトラウマなんだよ コップとか洗えなくて不衛生なまま使うって頑張りかたして生活回らないしいつかあたるなこれって
元増田は頑張れば食器を洗って清潔に暮らせる人間しか想定してないよな。 自分のできることをしない人間は全部怠惰で整理してるんだろう。実際は無理が効かずにこの増田みたいな破...
これは思うな。多分ああいう人たちはやればできることを横着してる人じゃなくて普通の生活に挫折した人々だよね。そうでなければ紙コップや紙皿で生活しようという発想はわかない...