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↑私自身がアラフィフ独身子なし男性なこともあり、似たような境遇の者が私の周りにはたくさんいるのだけれど、独身子なしという境遇に後悔している人間を私は現実で誰ひとり見たことがない*1。だから冒頭の増田のような言説は、そうであって欲しいという既婚者の願望なんだと思っている。
自分が選ばなかった人生を歩んだ独身者は不幸であって欲しいという、既婚者の願望。不幸な独身者の姿を見ることで、不幸な独身者の物語を信奉することで、「結婚した自分は間違っていなかった」と自らの人生を肯定するわけだ。
とはいえぶっちゃけ私も不幸そうな既婚者を見ると「蜜の味」を感じてしまうので、他人のことを言えた義理ではない。不幸な既婚者の姿を見ることで、不幸な既婚者の物語を信奉することで、「結婚しなかった自分は間違っていなかった」と自らの人生を肯定するわけだ。
自分が選ばなかった/選べなかった選択肢を実践し、結果不幸になっている他者の姿を見て自分の人生を肯定/安心しようとするこの醜悪な人間の習性は、どのような人生を歩んだ者であっても変わらない。
成功者がスキャンダルで破滅していく様を見ることが、大衆は大好きだろう*2。「そうしなかった/できなかった」自分の人生を肯定してくれるからだ。逆に成功者がこれみよがしに富や異性関係を見せびらかす様を、大衆は蛇蝎の如く嫌うだろう。「そうなれなかった」自分の劣等感を刺激するからだ。
ホームレスが街角で惨めな生活を晒す姿を見て、君は密かに安心するだろう。「そうならなかった」自分の人生を肯定してくれるからだ。逆に生活保護受給者がパチンコを楽しむ姿を見て、君は密かな怒りを覚えるだろう。「私のようにしなかった」失敗者は不幸であるべきだからだ(公正世界信念!)。
この愚かな性を、人間だれもが持っている。成功者も敗残者も、だれしもが持っている。自分の人生を肯定し安心するために。生きるために自分の心を守るために。愚かだが必要な、人間の防衛機制だとは思う。