中国人妊婦の腹を切りさき、胎児をえぐりだす…戦犯が語った「日本軍が中国で蛮行に走った3つの理由」
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■捕虜の「しゃれこうべ」を求めた軍医 古参兵のなかには殺人のプロ、泥棒のプロ、放火のプロを自称するものがあらわれ、それを押しとどめる軍規はもはや機能しなくなっていたとも証言するのである。鵜野の口から漏れてくる蛮行は、平時においては狂気の沙汰としかいいようがないケースが多い。 たとえばこんな話がある。 軍医が次の転任地が決まったといって、第三十九師団第二百三十二連隊本部の捕虜収容所長兼情報将校の鵜野のもとにやってくる。「今晩、一杯どうか」という誘いである。それがどんなことを意味しているか、鵜野は知っている。しゃれこうべが欲しいというのである。 翌日、抗日的態度をとっているという理由で捕虜の一人が斬殺される。首をはねる。それを天日で乾かす。顔面の肉を中国人捕虜にはぎとらせる。むろん捕虜は泣きながらこの仕事をつづける。そのあと何日か干して、頭骨をやはり捕虜に磨かせるのだ。 そのしゃれこうべを箱に詰め、贈り物として軍医の荷物のなかに入れる。このしゃれこうべは時間がたてばたつほど、異様に輝いてくる。リンが含まれているからだという。 ■息子に自分の蛮行をすべて明かした理由 平成に入ってまもなくのころ、鵜野は、その当時の軍医の一人と45年ぶりに会った。「あれは日本に持ち帰ってどうしたのか」と尋ねると、その軍医(当時は開業医)は「診察室に飾ってあるよ」と平然と答えた。そういうことに神経がマヒしたまま、この45年間、医療活動をつづけていることに、鵜野は絶句してしまった。 「旧日本軍は末期になればなるほど、ますます異常集団になった。これといった理由を一つだけ挙げろといわれても、私も困ってしまうが、ただ一ついえることは、旧日本軍の腐敗退廃した部分を国民的規模で検証しなかったことの罪は大きい。私は、私のなしたこと、旧日本軍の犯した過ちを、息子が大学生になってから正直にすべて語った。ひでえ親父をもったものだと息子たちは悩んでいる。しかし、息子はそのことによって二度とこんな苦しい思いをしないように、いかなる戦争にも反対してくれると思う」 開業医の診察室にいまもなお飾られている中国人捕虜のしゃれこうべに象徴されるように、現在(平成11年)に至っても日本の戦争の総括はあいまいなままである。 ※登場人物の年齢、肩書きなどは著者の取材当時のものです。 ---------- 保阪 正康(ほさか・まさやす) ノンフィクション作家 1939年北海道生まれ。同志社大学文学部卒業。編集者などを経てノンフィクション作家となる。近現代史の実証的研究をつづけ、これまで延べ4000人から証言を得ている。著書に『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』(角川文庫)、『令和を生きるための昭和史入門』(文春新書)、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『対立軸の昭和史 社会党はなぜ消滅したのか』(河出新書)などがある。 ----------
ノンフィクション作家 保阪 正康
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