中国人妊婦の腹を切りさき、胎児をえぐりだす…戦犯が語った「日本軍が中国で蛮行に走った3つの理由」
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■「あのころはお国のためだと思っていた」 鵜野は、約束どおり胸ポケットに赤いハンカチをさして、私を待っていた。 私は鵜野と何度か電話で話をし、これ以後も何回か会うことになる。このときは71歳であったが、口ぶりには青年将校のメリハリがのこっていた。商社勤めのあと、定年後はのんびりと2人の子供とともに余生をすごしているという。しかし、ひとたび戦時下の従軍時代の話になると、きわめて熱っぽい口調になるのである。 「あなたにいろいろ日本兵の行った蛮行を話すことを決意したのは、われわれの世代はあの戦争で人間としてあるまじき行為を働いたという自責の念があるからだ。蛮行とか残虐行為というのはいまになっていえることで、あのころはこういう行為こそ、お国のためだと思っていた。その錯誤をあなたたちに知ってほしいし、もう二度とあんなことを繰りかえさないとあなたたちも肝に銘じてほしいと思っているからだ」 鵜野は、大柄な体をふるわせて何度も自らの真意を繰りかえした。 ■部下たちに臆病でないと証明する必要があった 「日本軍はなぜ、中国大陸であれほどの蛮行を働いたのでしょう。理由はどこにあると思っていますか、自らの体験をとおしてですが……」 私の問いに対する鵜野の答えは明瞭であった。 「一つは日本陸軍の制度に問題があったこと。士官学校出身者が牛耳り、そこにみごとなまでのヒエラルキーができ上がっていたことだ。このなかで一歩でも二歩でも階級が上がるには目立つことをしなければいけなかったんだ。二つ目は士官学校出身者には政治教育が施されていなかったから、彼らは政治と軍事の関係が理解できなかったことだ。三つ目には、これは体験的にいうけれど、新任の将校は兵士の前で憶病でないことを示すために、中国人を試し斬りしたり、拷問を加えて軍人らしいところをみせなければならなかった……」 昭和12年7月7日の日中戦争勃発以後、日本は中国大陸に大軍を送りこむ。その数40万である。このときに送られた兵士のなかには妻帯者が数多くいる。鵜野にいわせれば妻帯者は独身の兵士よりも性的蛮行に走ったという。 日中戦争が長びき、やがて太平洋戦争が始まると中国大陸の精鋭部隊は南方に送られ、兵士の質は著しく低下していき、蛮行になれ親しむ空気が充満したともいう。
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