中国人妊婦の腹を切りさき、胎児をえぐりだす…戦犯が語った「日本軍が中国で蛮行に走った3つの理由」
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■18歳女性は輪姦され、命を奪われた 8人が起訴された事実のなかから、いくつかの蛮行を抜き出してみる(原文のまま)。 ▼1942年4月、被告人(保阪注・鈴木啓久元中将)は配下の部隊を指揮命令して「豊潤大作戦」に参加したが、配下の第一連隊(すなわち「極二九〇二部隊」)は河北省遵化県魯家峪郷において、斬り殺す、焼き殺す、毒ガスを放つなどの残虐な手段でわが平和的住民(中国人民のこと)劉倹、李有余、李三章、于長万ら220余名を虐殺するとともに、民家1900余戸を焼き払い、魯家峪虐殺事件をひき起こした。 このさい、劉清池は殴打のあげく焼き殺され、銭連発の嫁2名は毒ガスのため死亡し、おなじく銭連発の18歳の娘は、ガス中毒で逃げ出たところを輪姦されてついに死亡した。また于長合の妻李氏は強姦に抵抗したため腹を切りさかれて胎児をえぐりだされ、劉清隆の妻何氏は強姦されたあと焼き殺されている。 ■生きた人間を「標的」にした刺突教育 ▼同年10月、被告人(保阪注・鈴木啓久元中将)はまた配下の第一連隊と騎兵隊に命じ、河北省灤県潘家戴荘において血なまぐさい集団虐殺をおこない、棍棒でなぐる、銃剣で突く、生き埋めにする、焼き殺すなどの野蛮な手段でわが平和的住民戴国礼、馬文煥、斉盤成、戴福増ら1280余名を惨殺するとともに、民家千余戸を焼き払い、潘家戴荘虐殺事件をひき起こした。 このさい、周樹恩の妻高氏ら63名の妊婦が斬殺され、多くの妊婦が胎児をえぐりだされ、戴前昌の孫、周樹珍の娘ら19名の嬰児が母親のふところからもぎとられ、地面にたたきつけられて殺されている。 ▼1939年1月から1945年6月までのあいだ、被告人(保阪注・藤田茂元中将)は連隊長、旅団長、師団長として、部下の将校にたいし、生きた人間を「標的」として兵士の「度胸だめし教育」を実施せよとつねに訓示をあたえた。とくに彼が師団長になってからは、生きた人間を「標的」として刺突教育を実施するよう、いよいよ頻繁に強調した。 被告人のこの犯罪的な訓示のもとに、彼の配下の部隊は1945年5月から6月までのあいだ、山東省の蒙陰、沂水などの県で、わが捕虜と平和的住民趙遵起ら前後100余名を殺害している。また被告人は配下の部隊にたいし「捕虜は戦場で殺し、これを戦果に計上すべし」と命令した。
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