第7話 悪魔の掌の上で
桐島弁護士の、ガラス張りのオフィス。その高級そうな革張りのソファに、俺と今宮は並んで座っていた。俺は昨日玲奈に選んでもらった黒のセットアップ、今宮は相変わらずの派手な柄シャツだ。
「いやー、アニキ、最高っすよ! 昨夜のリアル鬼ごっこ、マジでバズりまくってますって!」
今宮は、スマホの切り抜き動画を見せながら、持っていた扇子をパチンと叩いて腹を抱えて笑う。彼がふざけて俺に色付きメガネをかけてくるのを、俺は鬱陶しそうに振り払った。
「趣味悪いぞ、お前」
「そうですか? 佐々木って女の切り抜きといい、最高のエンタメじゃないっすか」
俺が「お前が俺を笑い者にしたこと、忘れてないからな?」と睨むと、今宮は「根に持ちますねえ」と扇子で顔を隠して笑った。こいつとは、やはり根本的に相容れない。
応接室のドアが開き、桐島弁護士が分厚いファイルを持って現れた。寸分の狂いもなく着こなしたスリーピースのスーツは、彼の仕事への完璧主義を物語っていた。
「神谷さん。例の、市役所に爆破予告を書き込んだ犯人ですが…特定しました」
紙に書かれていた名前は、『田中 雄大』。製氷工場時代の、あの先輩だった。
「こいつ、知ってますよ。例のアンチコミュニティで、ちょっとした有名人みたいっすね。聞いた話だと、『ルナティック・ノヴァ』のYORUって子、めちゃくちゃ推してるらしいっすよ」
今宮が、得意げに情報を付け加え、自分のスマホでYORUのアカウント画面を見せてきた。フォロワー数が、軽く百万を超えている。
「……あいつがロッカーにチェキ貼ってた子か」
俺は、田中がYORUのチェキをうっとりと眺めていた光景を思い出し、背筋に冷たいものが走った。
「書き込みは海外サーバーを経由しており、特定に手こずりましたが…我が社の誇るAI【Muse《ミューズ》】を使って、数時間で特定することができました」
「Muse…?」俺が聞き返すと、今宮が横から口を挟んだ。「天神グループが極秘に開発した、最強のAIっすよ。知らないんすか?」
どうやって、この粘着質な男を、世間の目に触れさせずに引きずり出すか。俺が思考を巡らせていると、桐島が、ごほん、と一つ大きな咳払いをした。
「…実は、私も『ルナティック・ノヴァ』のファンでしてね」
「「ええっ!?」」
俺と今宮の声がハモった。
「もしよろしければ、私がファンコミュニティのコネを使い、メンバーの誰かに協力を依頼して、田中氏を個人的に呼び出す、というのはどうでしょう?」
「ちなみに、桐島さんは誰推しなんすか?」今宮が、ニヤニヤしながら尋ねる。
「…つ、月島ひまり、という子です」
桐島が恥ずかしそうに咳払いするのを、今宮は扇子をパタパタさせながら楽しそうに見ている。「渋い! 古株の不人気メン推しとは、さすがっすね!」
その的確すぎるオタク的発想に、俺は一つのアイデアを思いついた。「…桐島さん、その必要はないです。俺のチームに、最高の『女優』がいますから」
俺は、スマホを取り出し、星川キララに電話をかけ、数秒後に繋がった。「キララ、頼みがある。作戦会議だ。〇〇カラオケボックスに来てくれ」
『おっけー! アイドル活動始まるまで暇だから、いいよー!』
【偽りの狂宴と、王の尋問】
カラオケボックス店前で合流したキララは、少しだけ背伸びした大人びたワンピース姿だった。俺の顔を見るなり「神谷さん、会いたかったよー!」と腕に抱きついてきた。今宮が口笛を吹き、「モテる男は辛いっすねえ」と茶化す。
カラオケボックスの一室で、俺はテーブルに置かれた一枚の書類を、キララの方へ滑らせた。
「…これ、見てくれ」
それは、田中のプロフィールと、彼がYORUの熱狂的なファンであることを示す資料だった。
「…何、これ?」
「こいつは、俺の人生を滅茶苦茶にした、共犯者の一人だ。そいつを、誘い出してほしい」
俺は、テーブルの上にアタッシュケースを置き、静かに開いた。中には、YORUの顔を完璧に再現した3Dフェイスマスクと、彼女の声を完全に模倣するチョーカー型の変声機が収められている。
「私が…YORUに?」
キララは、一瞬戸惑ったが、すぐにその瞳をキラキラと輝かせた。
「スパイ映画かよ」俺が呟く。
「…面白そうじゃん。やってやるわよ」
YORUの姿になったキララは、コンパクトミラーを取り出してうっとりと自分の顔を眺め、発声練習を始める。その成りきりぶりに、憧れの強さが滲んでいた。
「せっかくYORUさんになりきったんですから、記念に自撮りと歌動画、撮ってSNSに投稿したらどうです? もしかしたら、ご本人が引用リツイートしてくれるかもですよ?」
今宮の悪魔の囁きに、キララは目を輝かせた。「それ、天才!」
彼女は「#YORU様降臨」のハッシュタグと共に、完璧な歌唱動画を投稿した。その投稿は瞬く間に拡散され、本物のYORUのアカウントが『すごい! 上手! 私も頑張らなきゃ』と引用リツイートしたことで、ネットは爆発的なお祭り騒ぎになった。
本人からの反応に上機嫌になったキララが、カラオケでYORUのソロ曲を完璧に歌い上げる。その様子を、俺は「…ほどほどにしとけよ」と呆れながら見つめ、今宮はカラオケ機器の影に、ピンマイク型の隠しカメラをセットして、二人で部屋を後にした。
数時間後、カラオケボックスの一室。ネットの騒ぎを知った田中は、「本物のYORU様が、俺なんかのために降臨してくれた!」と完全に舞い上がり、ウキウキで現れた。
「YORU様! 本物ですか!? 信じられない! あの、もしよかったら、一曲…!」
YORU(に変装したキララ)に促されるまま、田中は恍惚の表情でデュエット曲を熱唱する。彼は、タンバリンを手に取り、ノリノリで合いの手を入れている。
キララが「ちょっとドリンクバー行ってくるね」と席を立った後、入れ替わりで部屋に入ってきたのは、俺、神谷圭佑、ただ一人だった。
「よう、田中。楽しかったか?」
「なっ…!? け、圭佑!? なんでお前がここに!」
狼狽する田中に、俺は冷たく言い放つ。
「お前が俺にしたこと、全部わかってる。市役所への爆破予告、俺のPCへのハッキング…全部、佐々木に命令されたんだろ?」
俺は、今宮に調べさせた田中の個人情報を次々と突きつけ、その精神を、じわじわと、しかし確実に追い詰めていった。田中は、不気味な笑みを浮かべ、吐き捨てた。「…俺を潰しても、佐々木さんはいるぜ? あの女は、お前が思ってるより、ずっと恐ろしいぞ」
【悪魔の掌の上で】
観念した田中が、全てを白状しようとした、その瞬間だった。
部屋の大型モニターが、突然ノイズを発して起動。そこに映し出されたのは、ホテルのベッドでぐったりと眠る制服の莉愛と、その髪を優しく撫でている、佐々木美月の姿だった。
モニターの向こうで、佐々木は、俺ではなく、狼狽する田中に向かって、嘲笑うように告げた。
「田中くん。あなたも、よく頑張ってくれたわね。でも、あなたの役目は、もう終わり」
「さ、佐々木さん…!? 約束が、違うじゃねえか…!」
「ふざけるな!」逆上した田中は、懐からナイフを取り出し、圭佑に襲いかかる。
その刹那、俺は咄嗟にテーブルの上に置かれていた、分厚いカラオケのタッチパネル端末を掴み、盾にした。ガキン、と硬い音を立てて、ナイフの切っ先が端末の液晶を砕く。
その衝撃で、部屋のドアが勢いよく開いた。
「お客様! どうされましたか!」
室内の隠しカメラの映像を見て、異変に気づいた店員が駆け込んできたのだ。店員は、ナイフを構える田中と、砕けた液晶を見て、すぐさまインカムで応援を呼ぶ。
その時、店員の一人が、モニターに映る莉愛の顔を見て、目を見開いた。
「り、莉愛様…!? なぜ、このような…!」
どうやら、このカラオケ店も天神グループの系列だったらしい。
俺は、店員に向かって静かに、しかし有無を言わさぬ迫力で告げた。
「…こいつのことは、俺に任せろ。下がってろ」
店員たちは、俺の気迫と、莉愛の映像に、ただ頷いて部屋を後にするしかなかった。
部屋に二人きりになると、佐々木は、恍惚とした表情で、モニターの向こうから拍手をした。
「成長したわね、圭佑。咄嗟の判断、見事だったわ。それでこそ、私が育てた最高の作品よ」
「…下の名前で、呼ぶんじゃねえよ」
俺は、吐き捨てるように言った。
彼女は楽しそうに続ける。「あら、嫌? なら、ゲームをしましょう、圭佑。あなたの可愛い妹(莉愛)の、恥ずかしい写真を撮って、全世界に公開してあげるわ」
「それが嫌なら、もう一つの選択肢をあげる。あなたの、堅物の公務員であるお父様の職場の名前、そして、あなたの大切な妹の美咲さんが通う高校の名前とクラス…その全てを、この場で公開しなさい。あなたの口から、ね」
究極の選択。物理的な暴力より、遥かに残酷で、陰湿な罠。(佐々木は、どうやって莉愛に接触した? …まさか、『圭佑が大変なことになっている。私に協力させてほしい』とでも言って、俺の名を騙ったのか…?)
俺が言葉を失い、絶望に打ちひしがれた、その時だった。
それまで別室で待機し、インカムでこの狂ったゲームを面白そうに聞いていただけの今宮が、部屋に飛び込んできた。彼の顔からは、いつもの軽薄な笑みは消え、そこには、底の知れない、昏い怒りの炎が宿っていた。
「やめろ今宮!」俺が叫ぶ。
「兄貴は黙っててください!」今宮は、モニターの向こうの佐々木を、そしてその横で眠る莉愛を睨みつけ、低い、ドスの効いた声で言い放った。
「おい、佐々木。てめえ、誰に手ぇ出してんのか、わかってんのか? その子は俺の『兄貴』の、大事な姫なんだよ! てめえみてえな外道が、気安く触れていい存在じゃねえんだ。…俺が、許さねえ」
終わった。俺は、そう悟り、頭を抱えて項垂れた。
「…今宮、やめてくれ……」
今宮は、俺の方を振り返ることなく、しかし、その言葉は確かに俺に向けられていた。
「勘違いすんなよ、アニキ。これは、あんたを一度は裏切った、俺なりの『罪滅ぼし』だ」
そして、今宮はモニターの向こうの佐々木に、宣戦布告を叩きつける。
「てめえがどこにいるかなんて、俺の敵じゃねえんだよ。今からてめえを、地獄に叩き落としに行くから、首洗って待ってやがれ!」
今宮は、そう言い放つと、テーブルに置いた自らのノートPCを開き、「ぜってえ特定してやる」と呟き、凄まじい速度でキーボードを叩き始めた。彼の口から初めて発せられた、本物の「忠誠」と「贖罪」の言葉。それは、最悪の状況の中で生まれた、最も熱い絆の証明だった。
絶望に沈む俺の肩を、誰かがそっと叩いた。いつの間にか部屋に入ってきていた、変装を解いたキララだった。彼女は、涙を浮かべながらも、力強く俺の手を握った。
「プロデューサー…! 私たちのリーダーでしょ! しっかりして!」
そうだ、俺は一人ではない。俺の後ろには、仲間がいる。
佐々木が「…幸運を祈るわ」と言い残し、モニターがブラックアウトする。
俺は、震える手でスマホを取り出し、ある人物に電話をかけた。
「…桐島さん、俺だ。最悪の事態になった。莉愛が佐々木に捕らわれた。だが、諦めるのはまだ早い。Museに、佐々木さんの現在地を特定させてくれ。時間がかかるかもしれないが、可能性はゼロじゃないはずだ」
今宮の怒りと、キララの叱咤、そして桐島への的確な指示。
『莉愛様……分かりました。場所が特定でき次第、連絡します』
俺たちの、本当の戦いが、今、始まる。
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