『星獣戦隊ギンガマン』第十一章『戦士の純情』
◾️第十一章『戦士の純情』
(脚本:小林靖子 演出:長石多可男)
導入
「サンバッシュ、俺も遊びでてめぇを行動隊長にしたんじゃねぇ。ここらあたりが我慢の限界ってもんだぜ」
「せ、船長、すまねえ!あと一回、俺にチャンスをくれ」
まるで北野映画ばりの恫喝から始まるのだが、いよいよ1クールも終わりということでサンバッシュの最期が前後編のようにして描かれる。
ダイタニクス復活が何度も失敗に終わっていることから、いよいよ指を詰めるどころか東京湾にグリグリ沈められそうな空気感さえ醸し出している。
これまでどちらかといえば短気すぎて当てずっぽうもいいところな作戦ばかりだったサンバッシュだが、今回は魔人の作戦の中に用意周到な仕掛けをしていた。
次回もそうなのだが、サンバッシュは性格面が直情径行過ぎるだけであり、頭はそこそこキレるタイプであることが今回と次回を通して伺える。
一方、バルバン側がそんな深刻な事態になっているとは露知らず、ギンガマン側はどこか長閑な、というより弛緩しドタバタの寸劇になっていた。
年間を通してゴウキというキャラクターの根幹になっていく運命の相手・水澤鈴子先生との出会いであり、「ファンタジー」というより「メルヘンチック」に近い。
彼の人となりが深掘りされる形で描かれたのは第三章以来だが、料理担当であることに加えて一目惚れしてしまうくらいに純情な、それこそ時代が時代なら「オトメン」という言葉が似合う男だ。
キャラクターの造形自体は戦隊シリーズの3番手キャラにありがちな純情朴訥だが、そのまんまを体現する照英という俳優の存在感により説得力を増しているのが物凄い。
また、魔人ネイカーの「地球のツボを刺激することで大地震を起こす」というのがとんでもなく厄介であるだけではなく、次回へ向けての伏線になっている点も注目だ。
行き当たりばったりなように見えて、実はここでサンバッシュももう1つの卑劣な策を用意していたという点において見事であると言わざるを得ない。
その気になればいつだって地球をボロボロに破壊できるであろうに、あくまでダイタニクス復活に全てを捧げることで能力の見せ方を安売りしていないのだ。
この絶妙な塩梅で展開しつつ、画面に収めるべきものはしっかり収めているところから、改めて本作のクオリティーの高さが窺い知れよう。
一言で言うなら今回は「嵐の前の静けさ」が似合うそんな回であり、だからこそゴウキメイン回として描いてきたのが絶妙だったのだろうと。
これが他のどのキャラクターでも展開として重くなりすぎてしまうし、真剣な中にもちょっとした笑いというか癒しをくれる人は必要である。
前回の叙情的な美しさとも好対照を成すネタ回であり、これはこれでまた本作のテイストに彩りを添えてくれるデザートだろう。
弛緩VS緊張という対比
導入でも書いたが、今回の話はぶっちゃけ脚本的にはそんなに凝ったものではなく、話の内容としてはありがちなサブエピソードの流れを汲んだものである。
いわゆる戦隊メンバーとゲストキャラの恋愛回だが、これ自体は昔からよくあったものであって決して本作に特有のものでもなく、通俗的とさえいえるだろう。
しかし、それいもかかわらずなぜこんなにも面白く仕上がっているのかというと、長石多可男監督の演出はもちろんだが、アレンジの工夫がとても面白いのである。
ギンガマン側が徹底した「弛緩」であるのに対して、バルバン側は徹底した「緊張」であるというメリハリが絶妙に効いているといえるだろう。
第七章で基礎土台を完成させてから、ヒカル→サヤ→ハヤテ→ゴウキという風にキャラメイン回のバトンが渡っているのだが、これもまた絶妙な構成である。
ヒカルとサヤがとにかくヤンチャな感じで行き、ハヤテで大人っぽさと切ない感じを演出し、そしてゴウキで思いっきり笑わせるというリレーになっているのだ。
こうすることで本作の土台の根幹は大事にしつつも、無理のない範囲で作風の幅を広げていき、それを次回で再び主人公のリョウマに締めてもらう。
ずっと緊張しっぱなしというわけではなく、緩めるところでは徹底して緩めているからこそ、いざという時の緊迫感が引き立つのだ。
これがよくありがちな普通のヒーローものだったら、緩みっぱなしか緊張しっぱなしのどちらかになるのだが、本作はその辺りの匙加減が最高に上手い。
サンバッシュがこれ以上ないまでに追い詰められていて敵側は深刻にもかかわらず、ギンガマン側は使命第一優先でありつつも、恋愛だって否定しないのだ。
とはいえ、これが説得力のある展開になるのはあくまでもギンガマンが徹底的に鍛え上げられた戦いのプロであるからこそというのを忘れてはならない。
戦士が恋愛も楽しみながら地球を守るなんて理屈は通常だと成り立たない論理なのだが(普通はどちらかになりがち)、選択肢が最初からあるギンガマンだと違和感なく両立できる。
逆にバルバンは恋愛に浮かれるどころか作戦失敗続きによって自分の首がかかっている予断を許さない状況が続いているので、可哀想なくらいに追い込まれているのだ。
この辺り普通は逆であり、通常なら敵側が余裕たっぷりで味方側が切羽詰まった感じになりそうなのだが、本作は逆で味方の方に余裕があって敵の方に余裕がない。
以前感想をブラッシュアップした時は「ギンガマン側が自己犠牲をキッパリ否定していて、バルバン側が自己犠牲を平然とやってる」ということを書いた。
それは同時にギンガマンとバルバンの価値観の対比にもなるわけだが、この辺りの美味しい語りの片鱗は次回に取っておくとしよう。
いずれにせよ、地球がピンチという中でも全力で恋愛を楽しんでいられるという余裕のあり方がギンガマンというヒーローのあり方である。
極めて健全な戦士としてのあり方だし、逆にいえば魂が澱んでいると誰しもがバルバンのようになってしまうということではないだろうか。
戦隊一泣き顔が似合う男・ゴウキ(と言うかほぼ照英)
今回の見所はなんと言っても戦隊一泣き顔が似合う男・ギンガブルー/ゴウキなのだが、前原一輝氏が言っていたようにほぼ当時の照英自身と言えるキャラクターである。
小林靖子は「私は役者に当て書きのようなことは意識しない」と言っていたが、ギンガブルー/ゴウキの場合は例外的に彼に合わせて脚本を書いてくれたらしい。
確かに、ゴウキというキャラクターの面白さは決して「演技」としての面白さではなく「素」の面白さであり、わざわざキャラを作らなくても素面自体が面白いだけで十分キャラクターになるのだ。
いわゆるセンスや技量などではなく人間性そのものが周囲から見るとついつい笑えてきてしまうところが照英という役者の面白さではないかとこの時から感じさせられる。
他のメンバーは既に役者としてある程度経験を積んでいてスキルがあるのでそのスキルで演じている中で、照英は本作がデビューということもあってスキルは全くない。
しかし、スキルに取って代わるものが「生物的=人間的な面白さ」であり、これはもう言うなれば天性の才能であって、誰しもが持てるものではないのだ。
本作の1つ褒められるところはヒーロー作品ということが大前提にありながら、とにかく「役者がいい」のである、上手い下手の問題ではなく。
そういう意味で照英は戦隊一涙が絵になる俳優だと思うし、それだけオーバーリアクションな一面も含めて歴代でありそうにないキャラクターに仕上がっている。
それを一番示しているのが鈴子先生に婚約者がいたと勝手に勘違いして失恋したつもりで涙ぐみながら「ギンガ転生!」と言って走るシーンだ。
あそこにはゴウキ(というか当時の照英)の人となりがよくカメラに収められていて、これは脚本も演出も見事な連携でカメラに収めている。
ニコニコ動画で配信された時は例の「自重できていない照英」の動画が流行った後だったこともあってか「照英が泣きながらギンガ転生する画像ください!」のコメント弾幕ができていた。
それくらい今も昔も「愛され」なゴウキがとにかくもう見ていて面白く、第一章から示されていた彼の人となりが改めてこの回でクロースアップされた感じだろう。
失恋パワーなのかなんなのか、メンバー1の戦闘力を誇るギンガレッド/リョウマが苦戦気味だったネイカーをあっさりと投げ飛ばし、最終的には激流一刀で倒してしまった。
ゴウキの場合は剣術やアースなどの総合力ではリョウマやヒュウガに敵わないし智謀もハヤテの方が圧倒的に上だが、パワーだけはメンバー一強い。
まさに「気は優しい力持ち」そのもののキャラ付けが本作に彩りを添えてくれているし、こういう屈強な人が実は一番心根が優しいというのも本作ならではだろうか。
リョウマも優しいことは優しいのだが、彼の場合はヒュウガ仕込みの厳しさも持ち合わせているため、私情を律するだけの精神力があるが、ゴウキにはそれがない。
その不安定で歪な感じが授業参観から後述するラストのオチまで語られており、また彼のために一肌脱いでくれた青山勇太少年もいいアクセントだろう。
勇太少年にとってリョウマが「憧れのお兄さん」だとするなら、ゴウキは「支えてあげたい困った大きな人」ということなのかもしれない。
それにしても、このキャラって普通ならピンクのサヤがやりそうなのだが、それを男がやっているというはありそうで意外にない稀有な肉付けである。
可愛すぎもしなければブサイク過ぎもしない鈴子先生
さて、今回ゴウキが一目惚れしてしまう水澤鈴子先生だが、演じる役者自体はそこまで華のある役者ではなく、可愛すぎもしないがブサイク過ぎもしない。
一言で言って「地味」なタイプの女性であり、決して人目を引くようなビジュアルではないが、ゴウキとセットで映るとなぜか魅力が増す。
いわゆる「美女と野獣」のような感じかというとそうではない、なぜならば役者としては明らかに照英の方が華があって面白いからである。
逆にいうと、照英という役者と絡んでこそ飾り気のあまりない鈴子先生のキャラクターが映えるということだと私は思う。
これは後の『未来戦隊タイムレンジャー』のドモンとホナミにも継承されているのだが、小林靖子は恋愛対象にやや地味目の女性を選ぶ。
吉田真希子や田中規子はもちろんのこと、タイムピンクの勝村美香も「クールビューティー」ではあるが決して派手目の女性ではない。
これはつまりいかにもアイドルっぽい少女趣味が彼女の中にはないというだけではなく、まさに「恋愛は戦いを盛り上げるためのスパイス」でしかないということだろう。
つい最近の「ジェットマン」の記事でも書いたことだが、井上敏樹が堂々とメンバー同士で恋愛するのに対して、小林靖子は戦隊「外」でしか基本は恋愛しない。
例外的に戦隊「内」恋愛が描かれたのは「タイム」の竜也とユウリくらいだが、あれも結局は結実することのないまま「別れ」を選ぶこととなった。
というか、あれに関してはユウリたちが21世紀の世界で起こった大消滅を食い止めるきっかけとして「竜也との思い出」として「恋愛」が組み込まれたに過ぎない。
そう見ていくと、鈴子先生の存在もゴウキというキャラクターの面白い一面を引き出すことに貢献したに過ぎず、現段階では彼女の強さはまだ出ていないのである。
彼女はこの後二十一章・二十八章・三十五章・四十四章という形でセミレギュラーとして出てくるが、今回は「青山勇太君の担任教師」以外のことは未解明のままだ。
強いて言えば授業参観後に自分のいたらなさに涙していたことと、自分の姉に婚約者がいたことくらいであり、彼女の人となりはまだ全貌が顕になっていない。
だから後述するオチも含めて、今回はほぼほぼゴウキの一人芝居ということになるわけだが、こう見ると本作は安直に恋愛を肯定していないことがわかる。
というよりも、恋愛になると男は特に見境がなくなって理性がチンパンジーレベルに成り下がる生き物だということがゴウキの芝居の面白おかしい感じとして描かれているのだ。
そういう意味で鈴子先生はいたって「普通」の女性なのだが、ゴウキが彼女に惹かれる理由はもしかするとそんな「普通」の女性だからこそのかもしれない。
二重に裏切られるオチ
そんな風に進む今回の話はラストのオチが秀逸であり、決して不快にさせない方向性での裏切り方が面白かった。
1つが鈴子先生とゴウキの恋愛にまだ脈がありそうだということ、そしてもう1つが次回で本格的に発動するサンバッシュがしたためた作戦である。
お話としてはなんとも通俗的であるところを面白く仕上げたのは何よりもオチが見事だったからに他ならない。
ではどのように面白かったのかを見ていこう。
まず前者に関しては鈴子先生とゴウキにまだチャンスがあるというのは戦隊で意外とありそうでないオチではなかろうか。
というのも戦隊メンバーとゲストキャラの惚れた腫れたの恋愛話は大抵「その女性にすでに恋人がいました」というオチで終わることが多い。
上手くいったパターンなんてそれこそ「ジェットマン」の雷太とさっちゃんくらいであり、彼の場合はまだ幼馴染だからということで納得できる。
しかし、そうでない場合は「ダイレンジャー」の将児がそうだが、最終的には脈なしで実らずに終わることがほとんどである。
そういう意味ではゴウキと鈴子先生のようなパターンはありそうでほとんどないし、他の4人も応援しているのも微笑ましかった。
普通の戦隊なら「戦士が恋愛に浮かれるな」という雰囲気になりそうだが、そうならないのは本作の場合「バルバンを倒す」ことが通過点でしかないからだろう。
ハヤテとミハルがそうであるように、ただ討ち死に覚悟で挑むのではなく、星を守った後の人生設計というか未来まできちんと見据えている。
第七章でリョウマがはっきりと口にしたように、ギンガマンはキッパリと自己犠牲を否定したヒーローだからこそこのオチも成立するのだ。
そしてまた、バルバン側もラストに向けて作戦失敗と見せかけておきながら、実は地殻変動を起こすことで最後の切り札を発動できるようにしておいた。
ここまで謎が伏せられていたにもかかわらず、まるで唐突さを感じさせないのはこれまでの積み重ねがきちんとしているからこそだろう。
魔人ネイカーの犠牲の上で、サンバッシュは最後の賭けに出たわけなのだが、それが次回で明らかになり、また2クール目以降の流れをも決めるものとなる。
だから、決してここで終わるわけではなく、むしろここからが「ギンガマン」という作品にとっても大きく物語が動き出す最初の山場になるわけだ。
これまで静かに仕掛けてきたことが次回以降に一気に動き出す、その前兆としてまずはゴウキの恋愛と同時にバルバンの必死さを対比として強調する。
その上で次回を締めてくれるサンバッシュとギンガレッド/リョウマに全てを託す形になるわけであり、仕掛けとしてよくできている。
総合評価としてはA(名作)100点満点中85点、次回からいよいよ「ギンガマン」の本当の物語が動き出す。



コメント
2ヒュウガさん
私はギンガマンをリアルタイムで視聴していた時幼稚園児でしたが、一番印象に残っていたキャラクターが照英さん演じるゴウキでしたね。ギンガマンと聞くと真っ先にゴウキが浮かぶくらいインパクトがあります(笑)。
自分でもゴウキがなぜ一番印象に残っているのか不思議でしたが、文中でおっしゃられている
>「生物的=人間的な面白さ」
という本来持っている天性のスキルが発揮されているのが大きかったんだなと納得しました。
本作のエピソードで照英さん演じるゴウキが鈴子先生に本気で惚れてる雰囲気になっていて、その本気っぷりに他のキャストさんからも「あれには勝てない」と言われたくらいだそうです。
印象に残る作品や役者は、一目で分かる世界観やキャラクター像を持っているのが大きいと思いますね。
>文月さん
ゴウキのキャラクターはいわゆる「演技が上手い」とか「かっこいい」とかではなく「素材が最高に面白い」というもので、これは努力でどうにかなるものではないですからね。
鈴子先生に惚れている描写も笑えると同時に演技ではなく素でそうなっている感じが逆にとんでもない面白さにつながっていて、その素朴さが今の照英の元になったんだと思うと納得です。
そりゃあ小林靖子が当て書きしたくもなるわけですよ、キャラクターがそもそも面白いわけですから