『星獣戦隊ギンガマン』第五章『必殺の機刃』
◾️第五章『必殺の機刃』
(脚本:小林靖子 演出:長石多可男)
導入
「これはずっと昔に手に入れた、銀河でも5本の指に入る大暗黒剣じゃ!」
前回の失敗からダイタニクス復活の作戦を考え直すことになるバルバンのシーンから始まる今回の物語だが、はっきり言ってお話そのものは特別に面白いわけではない。
内容的には初代ギンガマンがかつて盗まれた武器を奪い返して戦力強化するというものであり、またドラマの見所でもあるヒュウガからリョウマの教えも通俗的なものだ。
だから、前回までと比べるとやや回としての面白さはグレードダウンしているが、それをそう見せないのはベテラン・長石多可男監督の賜物であろう。
また、第十二章・第三十八章へと繋がっていくバルバン側の伏線、そして2クール目に本格的にやってくるリョウマの試練の第一歩がここで示されていたと言っていい。
前回ハヤテとヒカルを対比させたが、今回はそれと似たヒュウガとリョウマの関係性を第一章から改めて具体化し、ヒュウガが兄として、そして戦士として厳しい稽古をつける様がある。
実力はもちろんだが、それ以上にヒュウガがリョウマに教え仕込んだのは「考え方=脳のOS」であり、ハヤテがヒカルに「アースとは何か?」を教え仕込もうとしたのとはまた違うものだ。
ヒカルの未熟さは「強大な力をどのように使うのか?」だが、リョウマはそのハードルをとっくにクリアしており、大事なのは「戦士としての心構え」と「リーダーとしての器」である。
メタ的に見れば、かつてニンジャレッド/サスケを演じた経験がある小川輝晃だからこそ、戦隊レッドとして大事なエッセンスを前原一輝に教え仕込んでいるという二重構造でもあるわけだが。
そしてもう1つは今回登場する自在剣・機刃だが、星獣剣とは異なる「短刀」のデザインが歴代でも珍しく、またそれぞれ5つの型に変形するという正に「自在」の剣であることも面白い。
星獣剣が単独で隙のない完成度を誇っている「伝説の刃」そのものであり、また「戦士の象徴」であるのに対して、機刃にはまた別の役割と意味づけが与えられる。
今回はその中で「武器」としての役割のみであり、もう1つの意味に関しては第六章・第七章でしっかり掘り下げて描かれるので楽しみにしておこう。
普通に見る分には普通のお話だが、今回はその「普通」の奥底に隠された真意=行間を敢えて読み込むことが中心となる。
本作を最終章まで全て見ている前提の上で「あの時のここはこうだった」という無粋な読み解きを敢えてここでやってみよう。
大暗黒剣という終盤への伏線
ギンガマン側を語る前にまずはバルバン側から語るが、最初に言っておくと、今回ダイタニクス復活を目論んで555本の武器を揃えて復活させようとした大暗黒剣は終盤への伏線とも取れる。
いうまでもなくナイトアックスのことだが、ネタバレ満載で述べておくと、ブクラテスがここで「星さえ打ち砕く力を持っておる」と言っていたことがヒントなのだ。
知恵袋というだけあってブクラテスは「銀河でも5本の指に入る」ということから、この世界に伝わる伝説の武器がどんなものかを知っている貴重な情報源である。
第一章ではゼイハブと共に向かった時に羅針盤のようなものを見ながら「あったぞ、星獣剣!間違いない、あいつらは戦士たちの子孫じゃ!」とも漏らしていた。
これまでギンガマンをもう何百回と見てきた私でさえ見逃していたものの1つがブクラテスであり、ブクラテスが何故「知恵袋」かが端的に示されている。
銀河でも5本の指に入る武器の1つが大暗黒剣、2つ目が星獣剣、3つ目がナイトアックスだとすると残り2つが何であるかが気になるが、今回の問題はそこではない。
なぜ錆びついたままずっと保管をしていたかということなのだが、察するにその大暗黒剣を手にしたとてまともに使いこなせる奴がいなかったのだろう。
どんなに素晴らしい武器もそれに見合った使い手がいなければ無用の長物であり、だからダイタニクス復活という今回の目的があるまで宝の持ち腐れで錆びたわけだ。
ギンガマン側が「星を守る力」であるのとは対照的にバルバン側の使う武器は「星を壊す力」であることがここからも読み取れ、正にギンガマンとバルバンは対極の存在である。
そしてここからは更なる考察だが、大暗黒剣然りナイトアックス然り、こういう闇属性の武器はアースを持っているギンガマン側には使いこなせない力のはずだ。
前倒しして語ると、ギンガレッド/リョウマがナイトアックスに触れた際に凄まじい電流が身体中を駆け巡ったが、大暗黒剣もそういう力だと見て取れる。
まだ序盤ということもあってさらっと触れられている程度ではあるが、ここで既に4クール目の展開がどうなるかという仕掛けができているといえるだろう。
本作はギンガマン側もバルバン側も最初からとんでもなく強い力を持った状態からスタートしているし、むしろ形成的にはギンガマン側の方が若干不利ではある。
それではなぜ有利であるはずのバルバンがギンガマンに負け続けるのかというと、正にこういう「考え方=脳のOS」の差にあるといえるだろう。
どれだけ強大な力・武器を持っていたとしても、それに固執して本質的な「何のためにそれを使うのか?」を忘れてしまっては簡単に心の闇に落ちてしまう。
前回のアース然り、本作は歴代でも「考え方=脳のOS」という根幹を非常に大事にして徹底的に詰めているために全くブレないのだ。
バルバン崩壊の序曲
そしてまた、今回出てきたバクターの登場により実はバルバン崩壊が少しずつ始まったと言っても過言ではないだろう。
具体的にはバクターが自在剣・機刃の存在を上司であるサンバッシュに隠していたことであり、武器マニアの悪い癖が裏目に出てしまった。
つまり上司が部下に対して不義理を働いていたことが明るみに出てしまったわけであって、この展開は同時に第十二章の伏線にもなっている。
別に隠し事自体が悪いのではなく、こういう大事な局面の時にまで相談・連絡・報告をしなかったことがこの惨状を生み出したということだ。
スーパー戦隊シリーズでは『秘密戦隊ゴレンジャー』からしてそうだが、あくまでも「軍事戦争」「チーム戦」が大前提にある。
それが何を意味するか、言うまでもなく上層部のレイヤーと現場のレイヤーとの確認・相談・連絡・報告という基礎基本のマナーが肝心ということだ。
だから、現場のレイヤーである部下=一般怪人と戦闘員が自分勝手な判断で動いたり不義理を働いたりすると、その瞬間に組織は瓦解してしまう。
このことは特に『電撃戦隊チェンジマン』のゴズマ、『鳥人戦隊ジェットマン』のバイラムも全く同じで確認と報連相ができていないから崩れてしまうのだ。
また、今回バルバンが負けた要因はもう1つあって、バクターが奪い返された挙句に取った星獣剣が本物か偽物かの確認を怠ってしまったことである。
リョウマが瞬時に本物と偽物を入れ替えていたことに気づかずに偽物=ババをつかまされたことに気づかず、最後まで機刃共々サンバッシュにひた隠しした。
そしてサンバッシュもまた星獣剣が本物かどうかの確認を怠った挙句に、目先の感情に流されてしまい機刃を投げてギンガマンが取り返す隙を生み出したのである。
正に林修先生が仰っていた「負ける奴の共通点」そのものである「情報不足」「思い込み」「慢心」が積み重なった結果の自業自得という他はない。
自在剣・機刃の情報不足、盗み返した星獣剣が本物だという思い込み、そして先代から奪えたのだから子孫からも奪えるはずだという慢心が今回の敗北をもたらした。
前回までの戦いはどちらかといえばギンガマン側のスペックで勝ってきたわけだが、今回から徐々にバルバン側が負ける理由が明確に構造化して描かれるようになる。
その第一歩が描かれたのがバクターの不義理とサンバッシュの上司としての抜作ぶりであり、これが後述するギンガマンとの対比にもなっているのだ。
バルバンはとにかく個性が強いがために協調性なき存在として描かれてきたが、今回でその綻びの一端が垣間見える形として表出している。
これが本格的な形で表出するのが第十二章なのだが、バルバンは負けるべくして負ける悪というのを見事に演じ切っているのだと実感する。
ギンガレッド/リョウマに課せられた試練
あらためてギンガマン側に話を移して、今回のドラマの見所はギンガレッド/リョウマに課せられた試練、すなわち「戦士としての心構え」であろう。
「戦士が自分に満足したら、その瞬間に命はない!」
まあいわゆる「勝って兜の緒を締めよ」であろうが、その諺よりもヒュウガの言い回しの方が遥かに生々しい説得力を持ち得ている。
バルバンが「負ける奴の共通点」そのものを体現して負けているのと好対照を成すのがリョウマであり、今回はリョウマが土壇場で逆転勝ちを収めた。
戦隊シリーズの歴史を俯瞰すると、小川輝晃はニンジャレッド/サスケを通して「戦士に必要なものは何か?」を会得していたと言える。
(わかったよ麗花、この地球は人間だけのものじゃない。生きとし生きるもの、全ての者達の為にあるんだ。それを守るのが俺の仕事なんだ!)
そう、何のために戦うのかをたった1人の状況に追い込まれて掴んだからこそ、後半の神がかったサスケの活躍にも説得力が出てくるのだ。
そしてそれを4年かけて成熟させ、完璧なカリスマとして完成したヒュウガとして今度は最強になれるリョウマに叩き込んでいる。
だからリョウマも常に次に自分が何をすべきかを考え続ける必要があるし、そこで考え続けることをやめた瞬間に星獣剣の戦士である資格を失ってしまう。
しかもそれは今この場限りのものではなく、第十二章以降2クール目にかけて本格的に露呈していくリョウマの試練の始まりなのだ。
最終的にリョウマの作戦勝ちだとハヤテ達も見直すわけだが、リョウマは決してその結果に満足していないし、その胸の内を明かすこともない。
通常の戦隊ならここで「兄さんのお陰なんだ」と言って自身の功績の理由・根拠を明かしただろうが、そういう選択をしないところに小林靖子の作家としての意地を感じる。
ギンガマンは確かに個人スキル・チームワーク共に優れているわけだが、一方で「全体の中に還元され得ない個人のドラマ」もまた大事にしていることがわかるだろう。
これはおそらく同年に東映版『遊戯王』で一緒に仕事をした井上敏樹の影響も多少なりあるのだろうが、「ヒーロー性」と「人間性」のバランスを大事にしているのだ。
スーパー戦隊シリーズは確かに戦いの中で培われ育まれる「団結」が1つの真髄であるが、それと同じくらいに「個人が自立していること」も大事と言えるだろう。
日本人はこの辺りどうしても「和を以て尊しと成す」「滅私奉公」が先にあるから「和」が先にあって「個」が二の次になりがちだが、本作はここが逆なのだ。
まずは「個」がしっかりした上で「和」が形成されていく、すなわち「1年がかりで真のチームが形成されていく」のが『鳥人戦隊ジェットマン』が示した図式である。
本作はそこを「強者」として表現しており、だから実はここまでの話で一度として戦隊シリーズにある「5人揃っての必殺技」でトドメを刺さなかった。
ギンガの森という同じ故郷で育っていて意思疎通がきちんと取れているからチームとしての基準値は高いのだが、それでもまだ完璧なチームとは言い難い。
リョウマがこの段階で受けた試練はそういうものであり、ヒカルと比べても一段と高く厳しい薫陶を受けてきた彼の物語が始まるのはここからだ。
初の合体技「機刃の逆鱗」
そして今回初めて出てきた自在剣・機刃だが、星獣剣と比べてもバリエーションが豊富なのはさることながら、それ以上に印象的なのは初の合体技「機刃の逆鱗」だろう。
戦隊シリーズの他のチームヒーローにはない特徴の1つがこの「合体技」であり、それは『秘密戦隊ゴレンジャー』のゴレンジャーストームから始まったお約束の1つだ。
なぜこれが生まれたのかというと、それこそ「5対1は卑怯だ」という訳のわからないツッコミをする無粋な輩がいるからであり、だから1つずつ蹴って最後はレッドでフィニッシュという形を取った。
しかし、これも長年続けていくとマンネリ化していくから、当然強化案や違うバリエーションの倒し方も出る訳だが、そこをドラマ性の観点から逆転させたのが「ジェットマン」である。
是非「ジェットマン」の1話と見比べてほしい、レッドホーク/天堂竜以外は素人だからまともに戦うことすらできず、そのレッドですら撃退がやっとであり倒せた訳じゃない。
小田切長官も「このままではダメだ。5人揃わなければバイラムに対抗できない」と言っていて、まさに「個」から「和」が形成されていくのが「ジェットマン」だった。
竜達は最初はバラバラで連携もなかなか取れないのだが、徐々に心通い合わせるようになり、合体攻撃のバリエーションも増えてレートが上がっていく。
そして最終回では5人全員が火の鳥となってラディゲに打ち勝つほどのダメージを与える訳であり、これが90年代戦隊の1つのスタンダードになっていた。
本作もまさにそこを継承していて、全員がまずバルバンの怪人・幹部クラスと対等に渡り合える強さを持ちながらも、決して安易に合体攻撃を登場させない。
まずは星獣剣を用いた必殺技でトドメを刺す展開にすることで一人一人がスキルの上でも十分に強いことを示しており、その上で合体技に持っていく。
今回であればリョウマが戦士として必要な考え方=脳のOSをあらためて身につけ、4人全員と横並びの土台に立つことができたのである。
だから機刃を取り返しただけではなく、機刃を5つ揃えることによって合体攻撃を放つことができるという形のステップアップを取ったのだ。
この個人技→合体攻撃というスライドも見事であり、通常の王道的な戦隊だったら、いきなり団結を形成するステップを飛ばして最初から合体攻撃に持って行きたがるだろう。
しかし、本作はそこで焦らずじっくりと基礎土台から描いたことで、最初からチームワークに頼らず個人スキルで互角に渡り合える強さがあることに説得力を持たせた。
そこの土台があるからこそ5人揃った時が尚更強いという展開にも成功しているし、決して合体攻撃の持って行き方を安売りしていないのがとてもいい。
逆にいうと、本作は合体攻撃があれば常に勝てるわけではなく、後半に入ると普通に破る奴らも出てくるわけであり、これに関してはパワーバランスも含めて後に語るとしよう。
いずれにしても、単なる新アイテムの玩具販促だけではなく、そこにギンガマン側とバルバン側のチームのあり方を示すプラスワンのドラマを入れることでうまく膨らませている。
さらには次回以降にもしっかりと下地を抜かりなく整えているわけであって、評価としてはやや厳し目ではあるが、A(名作)100点満点中85点としておこう。



コメント
2この回を視聴して思い出したのはYes❗プリキュア5
第23話と第24話プリキュア達の心の闇からの
全体技プリキュアファイブエクスプロージョン回
Goプリンセスプリキュア
第30話
プリキュアエクラエスポワール回でまさにジェットマンとギンガマンのこの回のように(個)から(和)が形成されていてジェットマンの革命からギンガマンでの完成を経てプリキュアシリーズへ受け継がれているのを実感しました。
>伊藤さん
平成自体がそもそも昭和と違い和→個ではなく個→和という時代でしたから、そういう流れが受け継がれていくのは時代の必然だったのかもしれませんね。