【雑談】言葉の意味とイメージと
- 真木顕成
- 24 時間前
- 読了時間: 5分
どうも、真木(さなぎ)です。
記事を書こうと話題なり内容なりを日々考えては、イマイチだなと保留や没が増えている今日この頃です。
良いアイデアと思っても、それを具体的な言葉に出来ないとでも言いましょうか。
頭の中のイメージはあれど、中々表に出せないのはむず痒くてたまらないですね。
今回は、何故そんな状態になるのかを考えてみました。
過去に記載した「【雑談】調べ物を色々して思った事」という記事にて、似たような件について考えた事があります。
でもって今度は、前よりかは明確な答えを出せたと思います。
では、本題をば。
足りないから書けない
個人的な結論としてはこれに尽きるかなと。
もっと言えば
「足りないものを認識する為の問題が見えてなかった」
のが事の本質になります。
具体的にその問題が何なのかは、私の場合、以下が該当します。
1. 目的がはっきりしていない
ただ見知った事を書き殴るだけであれば、個人的なメモでも構わない訳です。
自己満足でやっている活動なので、それでも構わないと開き直ればそれまでではあります。が、これだと自己満足と言うより自己中心に近くなり、個人的な心情としても好ましくありません。
結局何が言いたいのか、つまりは見知った事から得られた「大事な事」と「具体的な事」は一体何なのかという、深掘りと広がりを誰かと共有する事が目的足りえるのではと私は思います。
また、どの方向に深掘り、広がりを見出すのかというのは、書く側の考えがかなり表に出てくる部分だとも思います。
むしろ、自分の考えが無いままに書いてしまうと、ただの一般論の復唱や何処かのコピペで終わってしまう印象があります。
逆に、一般論に対する解釈や具体例というのは一概に正解が無いので、ただの書き写しやメモ、記録よりも見るに値するものになるのではと思います。
2. 言葉と実体験が繋がっていない
知っている事と理解している事は違うとはよく言われますが、上記のニュアンスはそれに近いと私は思っています。
ただ知っていて、それ以上も以下もなく何も出てこないという現象は、私が何か新しく見知った事を誰かに話そうと、またはこの記事のように何処かへアウトプットしようとした時によく体験します。
一応、私は何かを見知った直後こそ、その時どう感じたか、何を思ったか、何が分からなかったか、何故そうなのか等々、疑問をあれこれと抱きはします。
ただ、調べるのを面倒臭がったり、新たな情報に触れて後回しにした結果、最終的にはその見知った事しか頭に残っていない、なんて事に毎回陥っている気がします。
結果、ただただ見知った事だけを話して終わるという、典型的な会話下手ムーヴをやらかす事が多いです。
以降は軽く言い訳になりますが、昨今のメディアは、閲覧後に"知った気にさせて満足する"ような作りが主流のように私は思います。
更に、そういった疑問による深掘りや広がりを感じる隙を与える前に、次の興味深い情報を目に触れさせる事によって、ある意味では考える時間を奪われているのかなとも。
故に、あれこれと知った気になっている事は多いが、ほぼ全てにおいて繋がりが無く、自分の言葉で表せないのかなと推測しました。
3. 差異や相違を認識していない
本来は異なる意味のものごとを同じものとして混同してしまうのは、意外とある事と思います。
分かりやすい例で言うと、英語表記とカタカナ表記でしょうか。
一つ挙げるとするならば、カタカナの「スマート」と英語の「smart」の違いです。
前者は「細身の」や「恰好が良い様」という意味を持ちますが、後者はそれを持たず「洗練された」や「賢い」という意味を持ちます。
このような、主だったニュアンスの差異を知っているか否かで受け取るイメージも微妙に異なってくるのは想像に難くないと思います。
そういった違いを認識しないままアウトプットをすると、違和感があれど何がそうなのかが良く分からないで終わる、或いは違和感すら覚えずにスルーしてしまう事態になりかねません。
後々の完成度や納得感の欠如に繋がる要素に十分なり得るかと思います。
解決策は、繋がりと差異を集める事
結論を別の表現で言い直してみると
「イメージを表に出せない理由は、イメージに繋がる言葉を持ち合わせていない事、または使っている言葉同士の差異を明確に意識出来ていないから」
と表せると思います。
例として、絵画で紫色を塗りたいが手元に無く、手持ちにある色から作る事を想定してみます。
上記想定から紫色を作る為には、前提として「赤色と青色を混ぜたら紫色になる」といった、色同士の関係性(つまり繋がり)を知っている必要があります。
加えて、赤色と桃色の違いと言った、混同しやすい色同士の差異も認識しておく事も必要になるでしょう。でないと変な色同士を混ぜてしまい、想像通りの色が出来ずに困惑する事態に陥るでしょうから。
こうして、繋がりと差異を認識して初めて、正しく赤色と青色を認識した上でそれらを混ぜ、無事に紫色を作り上げる事が叶います。
恐らく私は、基本的な知識同士の繋がりと、知識間の差異が曖昧なので、出てくるアイデアもまた曖昧になり、具体化するにしても苦労が絶えないのでしょう。
それを解決するべく、基本的な語彙同士の繋がりや差異を集めるのが得策かなと考察した次第です。
最後に
こうして記事に文字として起こす事によって湧いてくる疑問はかなり多くあります。
中でも、句読点の位置については非常に悩まされますね。何を以て統一感があると言えるのか、どんな観点を以て見直しをするべきなのか等々、挙げればキリがありません。
そうしたキリの無い、地味な疑問潰しをどれだけこなせたかが、今後の作業や思考の質とスピードを左右するのでしょう。
また、地味な事というのは、難しくは無いものの面白味が薄い事が大半です。それでいてそれなりの苦労を伴うというおまけ付き。
継続の難しさと言うのは、どんな分野であれそうした地味な事が共通して存在している事からも、いつかは越えるべきものなのでしょう。
されど、一山越えたら山脈が目に入るような絶望を味わうよりかは、初めから越えるべき山の数が分かっていた方が気は楽だと私は思います。
どっちみち、何もしなければ悩み続けるので、粛々とやっていくだけなのは変わらないですね。
2025/07/15 真木顕成