『星獣戦隊ギンガマン』第一章『伝説の刃』
◾️第一章『伝説の刃』
(脚本:小林靖子 演出:田崎竜太)
導入
「日の光と命に満ち溢れた緑の地上ーーしかし、この見慣れた景色はいつもと違った不思議な世界へと繋がっているのかもしれない。どこかで……そう、もしかすると、すぐ隣で」
まだ癖がそんなに強くなかった頃の若本規夫のナレーションから始まる本作はシリーズ屈指の名作中の名作と評され、放送当時から今日まで数あるシリーズの中でもファンの支持が絶えない。
本作と『鳥人戦隊ジェットマン』は未だにパイロットを見るたびにリアルタイム放送当時頑見て受けた衝撃を思い出して身震いするのだが、それは決して懐古主義でもなんでもなく「現在」でも衝撃たりうる。
『鳥人戦隊ジェットマン』が「脱構築」としての衝撃ならば、本作は「再構築」としての衝撃である、本作以上の完成度を誇る戦隊シリーズのパイロットを少なくとも私は他に知らない。
語り方のリズムやイラスト式のアイキャッチなどを見ると、確かにどこかノスタルジックな、正確には『電撃戦隊チェンジマン』のような昔懐かしい昭和戦隊風の演出も用いられている。
しかしながら、その「懐かしさ」と同時に画面に漲っている瑞々しい生命力が「新しさ」として感じられる、まさに「温故知新」を肌で体感することができる導入ではなかろうか。
スーパー戦隊の歴史として俯瞰すると、『鳥人戦隊ジェットマン』で見事な脱構築を果たしたシリーズはその後『恐竜戦隊ジュウレンジャー』〜『忍者戦隊カクレンジャー』で「ファンタジー」という新境地を切り拓いた。
その「新境地=実験要素」として荒削りだった90年代前半の杉村升がメインライターを担当した戦隊のエッセンスを「文法・文体」としてきちんと確立させた普遍性のある作品が正に本作なのである。
本作は決して「目新しい」と言える要素は使っていないし、中には「ジュウレンジャーの焼き直し」などとセンスのない言葉で評する心根のさもしい輩も散見されるというのはあるが。
とはいえ、これは何も本作に限った話ではなく、それこそ『電撃戦隊チェンジマン』『鳥人戦隊ジェットマン』もそうなのだが、スーパー戦隊シリーズの三大傑作はどれもその数年前のものを踏襲している。
例えば『電撃戦隊チェンジマン』は『太陽戦隊サンバルカン』の「軍人戦隊」の要素を踏襲しているし、『鳥人戦隊ジェットマン』は『光戦隊マスクマン』の「恋愛物語」を更に発展させた。
そうなると、『星獣戦隊ギンガマン』も『恐竜戦隊ジュウレンジャー』の「ファンタジー」という要素を踏襲し、それを洗練させた形で始めるという真っ当な手順を踏まえている。
まあ更に本作は『五星戦隊ダイレンジャー』『忍者戦隊カクレンジャー』のエッセンスも踏襲しているのだが、とにかく「90年代戦隊のエッセンスで80年代後期の戦隊を再構築する」を果たしたのが本作なのだ。
だから本作はどこか「昔懐かしい」という郷愁感と同時にそれが「真新しさ」という衝撃にもなっているのであり、それが物語からキャラクターから演出から、全てのモチーフにおいて通底している。
そんな不思議な魅力が内在している本作はどこかでも言われたことがあるが「どこが良いのか?」を探すのではなく作品自体に根源的な「良さ」が存在する、そういう作品なのだ。
このコメントからもわかるように、画面に詰め込まれている情報量自体は多岐に渡るのに、それが「点」ではなく「線」として綺麗に無駄なく繋がっていることも含めて出色の導入であろう。
それがどのように示されているのか、改めてその「良さ」の本質がどこにあるかを語るのが私が本作を改めて真っ向勝負でレビューする意義だということをご理解いただいた上でご覧いただきたい。
全盛期の髙寺成紀・小林靖子・田崎竜太を中心にした奇跡の連携
こちらでも解説されていることだが、本作がなぜこれほどにブレない完成度を誇る傑作たり得るのかというと、全盛期の髙寺成紀・小林靖子・田崎竜太を中心に奇跡といえる神采配の連携が取れていた。
スタッフが考案したものを髙寺成紀がジャッジするスタンスを取ることで時間はかかるが根幹の部分を徹底的に詰め、「ヒーローとは何か?」「戦隊とは何か?」の定義をとことんまで考え抜く。
その試行錯誤した跡がOP・ED・本編の全てにおいてきちんと反映されているし、また何よりもスタッフが屈指の天才揃いであったこともあらゆることがプラスに働いたと言える。
それが功を奏したのか、他のシリーズと比べても「誰が作った作品」というのが出来上がったフィルムの上からは完全に消えてしまい「ギンガマン」という独立した作品になっていることだ。
例えば『激走戦隊カーレンジャー』は浦沢義雄の作家性、『未来戦隊タイムレンジャー』は小林靖子の作家性、『仮面ライダークウガ』は髙寺成紀の作家性などどこかで「癖」としての「作家性」が出る。
しかし、本作は不思議とその「癖」のようなものは感じられず、髙寺成紀の色も小林靖子の色も見事に溶け合って作家性という領域すら超越して作品の中のキャラクター自体が独立生命体として生き生きと動く感覚すらあるのだ。
他にこのような感覚を体験できるのはそれこそ『電撃戦隊チェンジマン』『鳥人戦隊ジェットマン』くらいであり、この2作に至るだけの神話性のような「強さ」を例外性として獲得できたのである。
例えば『侍戦隊シンケンジャー』以降の「黒靖子」と呼ばれる後期の作品から入った人が本作を見ると「小林靖子メインライターとはとても思えない」という意見が出てくることがあるが、それは間違いだ。
あくまでも小林靖子は『星獣戦隊ギンガマン』で作家としての文法・文体というか基礎を確立し、『未来戦隊タイムレンジャー』以降はその基礎をどれだけ発展・応用をしているかに過ぎない。
「処女作にはその作家の全てが含まれている」というが、これと似た言い回しで「作家は処女作に向かって成熟を遂げてゆく」があり、余程の例外を除くとメインで書いた処女作が一番面白かったりする。
特に天才かつ早熟型の作家にこの傾向があって、だから井上敏樹がメインライターを担当した中で一番完成度高いのは「ジェットマン」だし、小林靖子だとそれはまさに本作となるものだ。
もちろん例外もある、例えば曽田博久の場合は『大戦隊ゴーグルファイブ』はそこそこだったが、徐々に成長して『電撃戦隊チェンジマン』でピークに達した。
そんな至極当たり前だが最も重要なことが本作の1話は教えてくれているわけであり、ここをきちんと見抜くセンスがあるかどうかによってその人の知性とセンスがわかるといえる。
私が作品を通して見たいのはそういうものであって、「誰が作ったか?」なんてものはどうでもよく、「どれだけ素晴らしい作品ができたのか?」が全てだ。
まさに上位6%のところに位置する作品であり、髙寺成紀は本作を「強い戦隊=内外の圧力に揺らがない足腰の強い作品」にすることを目指したと述懐している。
実際にそんな作品であることがこの完璧なパイロットで語られているわけで、まさに「語らずして語る」ことはこのことだ。
幼少期から鍛え上げられたギンガの森の戦士という絶妙な上位6%の設定
本作の何が素晴らしいと言ってまずはヒーロー側たるギンガマンの「幼少期から鍛え上げられたギンガの森の戦士」という絶妙な設定であり、これがまさに私がここ最近主張している上位6%に相当する理想の戦士だ。
歴代戦隊には「プロフェッショナル」と「アマチュア」、そして「プロアマ混合」の3種類に大別されるが、「ギンガマン」はその「プロフェッショナル」の中でも幼少期の頃から徹底して「考え方=脳のOS」を仕込んできた戦士なのだ。
考えてみればそうだろう、いつ復活するかもわからない中で常に有事に備えて臨戦態勢で準備し続け、初代から託され継承してきた根幹の考えを背負い戦士となるべく研鑽に研鑽を重ね、過酷な試練と競争を勝ち抜いて戦士の資格を勝ち取った猛者ばかり。
まさに「面構えが違う」連中揃いであり、133代目のギンガの森の戦士たちは世俗の誘惑を一切断ち切り、力を悪用されないよう厳重な結界を張って力を蓄え続けてきたわけであり、「デンジマン」なんぞとは違う真の「三千年戦士」なのだ。
第三章で改めて戦いの動機は語られるが、このパイロットで描かれている星獣剣の継承の儀式と落選したリョウマの設定がそうであるように、ギンガマンは自らの意思でバルバンと戦う戦士の考え方=脳のOSとそのための星を守る力を獲得した存在である。
これは受験の世界で言うならば灘高校・開成高校のような上位の有名進学校、その中でも鉄緑会と呼ばれる厳しい競争の世界に身を置き東京大学理科三類の合格を勝ち取ったというくらいに凄まじい超上位の設定なのだ。
「ギンガマン」以前も以後も「プロフェッショナル」の戦隊はあったし、いわゆる「世襲型」の戦隊もいくつかあるのは知っているが、本作ほど厳しい環境で徹底管理されているわけではないか、背景設定が不明瞭なものばかりである。
近いのは「シンケンジャー」「リュウソウジャー」辺りだが、これらもギンガの森の戦士ほどに徹底した考え方=脳のOSとそのための力が刷り込まれているかというと、やはり戦士ごとにばらつきがあって自己肯定感もそこまで高くはない。
そういう意味で本作は5人全員、分けてもやはり「炎の兄弟」で有名な炎の戦士であるリョウマとヒュウガは戦士としての心構えから実力まで全てに至るまで心底「戦士」であり、変身しなければただの一般人だった前2作とは完全に真逆の設定である。
そしてその設定を無理なく子供に伝えるための「やり方」と「見せ方」も素晴らしく、それをきちんと設計図として脚本を作った小林靖子も、それを映像で具体のレイヤーに落とし込んだ田崎竜太のカメラワーク・演出も全てにおいて徹底されているのだ。
冒頭のギンガマン6人の戦士の関係性を示すところでその演出は徹底されており、まず冒頭のシーンで言うと、リョウマはほとんど兄・ヒュウガとサヤ以外のメンバーとは一緒に映っておらず、ほとんどボック・青山勇太少年と一緒のシーンが多い。
これは前半のリョウマが「選ばれなかった94%側」であると同時に「いつでも上位6%になれる側」であることも絶妙に示していて、このカット割・カメラワークもきちんと計算尽くしで撮られている。
同じようなことは敵組織である宇宙海賊バルバンにも言えて、バルバンが復活するシーンも白黒のサイレント映画風のカットが挟まれてから途端にカラーに変わる演出があるのだが、ここも「過去から蘇ったもの」を意味するものだ。
そして自己主張の激しいサンバッシュ、それを制止するシェリンダと辟易している他の幹部連中、シェリンダに刺されて黒ひげ危機一発みたいな目覚め方をするブクラテス、そして彼らを一喝するゼイハブと示されている。
ギンガマン同様バルバンもまた細かい台詞回しとカメラワークを徹底してメンバーの性格と関係性を描写しており、尚且つスーツデザインもギンガマン側とは違い非常に凝った複雑な造形によってコントラストを成しているのだ。
「ギンガマン」というと、どうしても年間の構成や物語など文芸ばかりが褒められがちだが、それができた上で「映像」としても細かい演出や絶妙なカメラワーク・カッティング・ライティングでしっかり支えられている。
OP・本編に映っている「雪」の色気
有料版記事の方でも述べたことなのでそちらを購入いただいた人にとっては重複かもしれないが、「ギンガマン」がファンタジー戦隊として素晴らしいのは何と言っても「雪」の色気である。
OP・第一章〜第三章まで是非目を凝らしてご覧いただきたいのだが、偶然に映っている「雪」がとても美しく、この「雪」があるか否かで映像としての引き締まりがまるで違う。
S(傑作)・A(名作)と呼べる作品群にはこういう天が味方することがある、いい例が『帰ってきたウルトラマン』の11月の傑作群の1つ「怪獣使いと少年」の戦闘シーンの雨がそれだった。
あれは撮影用のシャワーによるものではなく本物の雨をこれ以上なく色気たっぷりに東條監督が撮ってくれているのだが、それと似たような事例が本作でも起こっている。
後半の戦闘シーンもそうだが、本作の一見無難なようでいて実はとても意欲的・挑戦的なのはわざわざ足場の悪いところで撮影するという「自ら追い込むスタイル」だろうか。
これは小林靖子脚本自体がそうであるというのみならず、田崎監督もきちんとそれをやってくれている、雪が降り積もったところは物凄く足場としては不安定である。
だが、出来上がった映像を見てみると、全くそういう不安定さを感じさせず普通に歩いたり走ったり、アクションしたりしているのもプロとしての気概を感じるのだ。
昭和特撮も大概足場の悪い中での無茶な撮影などが多かったが、あれは今のようにCGが発達しておらず安全に撮影する方法が確立されていないことから来る安全対策の意識の薄さである。
本作はそこが違って、ある程度安全に撮影することはできたはずなのだが、そんな安易な道を選ばずにこの厳しい自然の環境の中で違和感なく撮っていることが素晴らしいのだ。
これがもし雪が降り積もっていなくてある程度足場の安全が保障された上で撮っていたら、それはそれで成立しただろうがここまで希少価値の高い映像を撮ることには成功していないだろう。
つまり、「王道」を志向しているからといって易きに流されず、既存の「戦隊的なるもの」に流されずに新境地を開拓していくプロとしての気概を非常に感じさせる仕上がりだ。
本当にどこぞのLEDウォールの映像技術紹介などという低次元での自慢に終始しているどこぞの作り手に見習って欲しい、これくらいの映像を撮れてこそ本物なのだと。
もちろん無茶な撮影をすればいいというものではないが、本作はまず根底の部分がしっかりできた上で、さらに大自然を強調する要素としての「雪」がとにかく凄い。
『恐竜戦隊ジュウレンジャー』〜『忍者戦隊カクレンジャー』の頃はここまで自然にこだわった映像美に仕上げていこうという意識は今ひとつ感じられなかった。
しかし、本作はまず基礎基本に立ち返って1から設定を掘り起こして深掘りし詰めただけではなく、画面作りに対しても一切の妥協を許さないスタンスを取っている。
この意識がやはり雪をしっかり撮ることに繋がっているのだろうし、こういう気概のない人は映像作品を撮ってはいけないと思わしめるショットである。
脚本と演出の双方で引き摺り落とされるヒュウガの残酷さと引き上げられるリョウマの美しさ
そしてこの回のハイライトはなんと言ってもヒュウガが地の底に沈められ、リョウマに伝説の剣・星獣剣を託し、リョウマが怒りによって闘争本能を覚醒させるシーンだ。
ここはもう当時から語り草になっていて私自身も未だに衝撃を覚えるのだが、なぜ衝撃たり得るのかというと、ここに持っていくまでの計算というか段取りがしっかりしているからこそである。
まずヒュウガに関しては脚本だけではなく演出の上でも決して物語の主導権を握る主役ではなく彼らを裏から支える脇役に過ぎないことが演出として示されているのだ。
例えば星獣剣の継承の儀式のカットと雄叫び山のところで馬から降りるカットを見てほしい。
そう、他の4人とは違ってヒュウガだけ真横から若干引き気味で他の4人はクロースアップで写しているし、馬から降りるところでもヒュウガだけ明らかに他の4人とは不自然に距離が空いている。
これはヒュウガが他の4人と対等ではなく明らかに一人だけ前に出過ぎているわけであり、ただでさえ小川輝晃という俳優の灰汁の強さが他の4人とバランスが釣り合わないことを示しているだろう。
だから小林靖子脚本としてのみならず田崎監督の演出としても「ヒュウガは炎の戦士・ギンガレッドではない」ことを徹底することでヒュウガが地の底に沈められるという流れに違和感を持たせない。
そして逆にそれまで青山勇太少年=94%の一般大衆側に近い存在として心優しく穏やかな青年として描かれていたリョウマが星獣剣を託されたことで一気に顔つきから全てが変わり上位6%側へと変質する。
前半の心優しき好青年から一転して内側に眠るギンガ戦士としての誇り高き闘争心を覚醒させ、雄叫びを上げて強大な炎のアースを放つことで一気に「選ばれしヒーロー」へジャンプアップした。
このシーンが衝撃たり得るのは正に普段穏やかそうなやつが内側に秘めたる荒々しさを覚醒させたことであり、どこか『ドラゴンボール』のセルゲームにおける超サイヤ人2へ覚醒した孫悟飯を彷彿させる。
この「大切なものを奪われた怒りで覚醒する」という、故・鳥山明が全盛期に用いていた演出手法は90年代前半の漫画・アニメで散見された演出手法だが、本作はそれをクライマックスではなく導入に用いている。
同じ小林靖子脚本の『仮面ライダー電王』でのちにセリフとして言語化される「最初からクライマックス」を本作は語らずして語るという「寡黙な多弁さ」あるいは「多弁な寡黙さ」となっているのだ。
本作以後、例えば『百獣戦隊ガオレンジャー』『爆竜戦隊アバレンジャー』『獣拳戦隊ゲキレンジャー』『炎神戦隊ゴーオンジャー』でこの「叫ぶ」演出がやたらと多用されるようになる。
しかし、本作のリョウマのように普段穏やかな人が土壇場でそれをやるのと、獅子走・伯亜凌駕・江角走輔のような「バカレッド」がやるのとでは衝撃度が全く違う。
上っ面ではない心の底からの叫びであるが為にそれが作られてはいるが非常に真実味のある演技となっているし、ここで改めて5人がきちんと「揃う」このカットの美しさよ。
地の底に沈められたヒュウガの残酷さと引き換えにすることでとても荒々しく、しかしそれと好対照をなすようにリョウマが中心になって5人まとまってギンガマンになるというこの美しさがまさに「戦隊」の醍醐味を感じさせる。
勢い重視のように見えて計算尽くしの戦闘演出
リョウマが覚醒し初のギンガ転生からは名乗りを上げて一気にアクションシーンへと持ち込んでいくのだが、ここでの戦闘も一見勢い重視のようでいて、実はきちんと細かい引き算思考による選択と集中が徹底されている。
構成でいうと最初のグリーン・ブルー・イエロー・ピンクは雑魚兵たるヤートット相手に星獣をモチーフとしたアニマルアクションしか見せておらず、逆にレッドが幹部相手に無双するシーンがほとんどだ。
戦隊のパイロットはいわゆる「オーレンジャー」「シンケンジャー」のような「レッド一強型」を除けば大体は5人揃っての合体技で敵を倒すことが多いが、本作はそのいずれにも該当しない。
5人とも揃っているにも関わらずレッドが他を差し置いていることにある種の「戦隊らしくなさ」があるわけだが、実はこの前段階として他の4人が生身でアースと星獣剣で戦うシーンを入れている。
そう、最初の生身の戦闘でそれを見せることで転生後に無駄な戦闘をさせず、逆にそこまで出番のなかったギンガレッド・リョウマに花を持たせているのだ。
しかもこのシーンのカメラワークはもちろんBGMの演出が細かく、4人がアニマルアクションで圧倒するシーンは歌ありで流し、逆にレッドが幹部を無双するシーンでは歌なしで演出している。
これは東映特撮・アニメお得意の「トドメを刺す時のみ歌付きの主題歌を流す」という定番の演出なのだが、レッドは確かに無双しているのだが「倒す」わけではなく「撃退する」だけなので歌つきで流さない。
また、炎のたてがみ→炎一閃で圧倒するという流れも実はこの時点で最終章と対になるように仕掛けが凝らされており、全てが確信犯というか計算の上で細かい段取りを踏んでいる。
ここが絶妙なバランス感覚であり、例えば近年の戦隊が非常にバランス悪いのは他の4人の見せ場という見せ場がなくレッド無双だけで終わってしまうという悪癖が散見されることも少なくない。
だが、本作はあくまでも「5人揃わないと強敵を打ち倒せない」という戦隊の根底はしっかり守りつつも、可能な範囲でレッドの実力をしっかり見せつけるという「個人の強さ」と「チームの強さ」のバランスが素晴らしい。
また、アクションの選択肢にしても、後々アクションは増えていくが、あくまでも根本はアース=気功波、星獣剣=剣術、アニマルアクション=体術の三位一体型の複合戦闘術で無駄がないのである。
バルバンとの実戦を想定した戦闘術を鍛え上げてきたことがこのわずかなシーンで子供にも伝わるという意味においても素晴らしく、それぞれのファンタジー戦隊が培ってきたものをうまく集約させているのだ。
ラストカットではレッドが戸惑いも少なからずある中で4人が支え、グリーンが多くを語らず肩に手を回し「リョウマ」と呟いて5人揃って星獣剣を掲げ、それを遠くから見つめる勇太少年のカットで締めくくるシーンも素晴らしい。
美味しい語りはまた別の機会に取っておくとして、この段階ではギンガレッド・リョウマは「周りに支えられるフォロワーシップ型のリーダー」であり、ヒュウガのカリスマ型リーダーシップとは明確に異なる。
ニンジャレッド/サスケやメガレッド/伊達健太のような「非リーダー型レッド」とも異なる「リーダーではあるがカリスマ型ではない。さりとて無鉄砲な熱血でもない」の元祖がギンガレッド/リョウマだ。
この造形は『未来戦隊タイムレンジャー』のタイムレッド・浅見竜也や『動物戦隊ジュウオウジャー』のジュウオウイーグル・風切大和などに継承されていくが、それをこのパイロットで確立している。
「古典的デクパージュ」としての「戦隊」を見事に復活させたパイロット
こうして改めて既存の情報とは異なる角度から、改めて多角的に「ギンガマン」の第一章を検証してみたが、正に『電撃戦隊チェンジマン』が完成させた「古典的デクパージュ」としての「戦隊」を見事に復活させたのが本作のパイロットだろう。
戦隊シリーズは『秘密戦隊ゴレンジャー』がそうであるように「戦争」が根っこにあって、まずは敵組織が味方側を襲撃、その危機に合わせて5人の戦士を選んでチームを結成して巨大な悪に立ち向かう、それが戦隊の大枠としての基礎だった。
この図式を大胆に解釈して「ドラマ」の面から大きな脱構築を図ったのが『鳥人戦隊ジェットマン』であり、「ジェットマン」は戦隊シリーズにおける『機動戦士ガンダム』のような位置付けで「プロアマ混合」で違う角度から戦隊を捉え直している。
その中で出た「等身大の正義=ヒーローである前に人間」の路線をとことんまで突き詰めたのが『激走戦隊カーレンジャー』『電磁戦隊メガレンジャー』であり、そのテーマは「メガ」最終回で1つの到達点に至った。
本作はそれを踏まえた上で如何に「古典=原点に立ち返って「強い戦隊」を復活させるのか?」という『超力戦隊オーレンジャー』が大失敗した難題に挑むわけだが、その為には細かい設定の基礎から詰め直す必要がある。
表面上はファンタジー戦隊のエッセンスで塗り固めつつ、まずは設定の上で徹底した「戦いのプロ」であることを強調した作りにし、その上で従来のカリスマ型レッドのカリカチュアたるヒュウガを表舞台から退場させた。
その上で昭和戦隊のカリスマ型リーダーでもなければ90年代に見られた非リーダー型トラブルメーカーとも違う「フォロワーシップ型(当時そんな言葉はないが)」としてのレッドであるリョウマを持ってきたことにこそ新しさがある。
故にこそ本作は「炎の兄弟」を中心にした美しき王道的な戦隊であると語られてきたし、またそれがどのような脚本・演出によって形成されていったのかがあまりにも作品としての完成度が高すぎるが故に語られず仕舞いで来たのだ。
今回私が通算で3回目となる本作のレビュー・批評を行うのは今まで以上に解像度と思考の抽象度を高めつつ、本作が今なお「戦隊」の現在に影響を与え続ける傑作としてフィルムに何が見えるのかを論じる必要があるからだ。
少なくとも歴代戦隊シリーズの中で本作以上に隙がなく完成度も高い、その上で衝撃を与え続ける1話は見たことがなく、今後もこれを超えるものは現れないという確信を持ってSS(殿堂入り)100点中120点という評価を与えよう。



コメント
2リョウマが炎のたてがみを放った直後「許さん 俺が(兄貴の仇であるお前達を)俺達が(受け継いだ戦士として)倒す!!」って啖呵を切る件~「勇気あるものだけが変身する事を許された戦士 それがギンガマン」ってナレーションが変身して〆る覚醒する一連の流れが本当に完成されてる。
初めてギンガマンを見るんですけど、1話単体でここまで完成してる作品 個人的にふたりはプリキュア以来かもしれない。
>タケムラさん
リアルタイム当時、この一連のシーンで一気に持って行かれた私です(笑)
これだけ衝撃を受けたのは他に『鳥人戦隊ジェットマン』の1話くらいかなあ。