芥川の『蜘蛛の糸』
芥川龍之介は、芥川賞や綿密な小説を生み出したことで有名な小説家である。その作品のひとつに『蜘蛛の糸』という緻密に描かれた物語がある。この物語では、主人公が道先で蜘蛛を見かけて、奥の方へ逃がしてあげた、という情景が描かれ、その後、地獄の底の苦悶の末にお釈迦様に蜘蛛の糸を垂らしてもらう、という情況となった、という展開が見られる。お釈迦様は御自身の慈悲で蜘蛛の糸を下げたわけだが、主人公は糸を登っている際に他の地獄人も下から登ってくるではないか。主人公は自身の身を安じてついてくる地獄人に対し余計な邪魔をしてしまう。主人公はきっと自分自身だけが助かればいいとエゴ心を剥き出しにしてしまう。お釈迦様は主人公の動向に苦心し、彼を地獄の底に帰すべく、空中に垂らした糸を何らかの手により切ってしまう。主人公は何がいけなかったかと、反省する場面は見られないが、お釈迦様は彼が他の地獄人に対し短絡的な見捨て方をしたため彼こそ見捨てられた思いを抱かせてしまおうと厳しく接したのである。
ここまでが物語の顛末である。
芥川龍之介は『ぼんやりした不安』という言い方をしたが、自殺とは無縁である。芥川は私のために亡くなったのである。芥川は苦しくないのに、不安を抱えていたと解釈されている。私が芥川にどう思われていたか。偉大な小説家と思われていたのだと私は考える。となると芥川は将来生まれてくるであろう私の存在を気に掛けていた、と考えても不自然ではない。私のために命を費やす、その姿勢に感謝したい。同じく、太宰治も私のために生命を終えた人物である。両者共に同時代に小説家として活躍したことで知られる。太宰治の自死については一般的には恋人と一緒に海に溺れて死んだ、とされるが、これは嘘である。太宰はよく自殺企図を何度も繰り返したと解釈されたが、自殺未遂はしていない、というのが真実である。恋人と一緒に自殺していたと疑われる太宰だが、『恋人と一緒に自殺するわけがない』と語っている。太宰は一度も無駄な自殺はしなかった、と考えるのが妥当であろう。そして、芥川も決して無駄な自殺を遂げたわけでもない。太宰より芥川の方が上だと考える向きもあり、完璧の類が芥川龍之介である。太宰と芥川はミスしたことがなく、ともに『小説家はミスしない』と耳に残るほど言行した、とされる。小説家はミスしない、という事象を真実にしたかった、という理由から口に出した、とされる。太宰の信念も芥川の信念も私に影響を与えている。それはここでは略させていただきたい。
芥川の救済とエゴ心との葛藤の物語は、自分自身だけが救われればいい、と安直に考えることに歯止めをかけていても不思議ではない。道端の蜘蛛をそっと逃がしてあげた、その一点を救いの手と高く評価したお釈迦様は、主人公に救いの手を因果関係として差し伸べた。それがさきほどの蜘蛛の主人公に対する感謝の現れの等価行為とも言うべき蜘蛛の糸の投下なのである。主人公は自分自身だけが助かりたかった、とエゴ心を抱くほど未熟であり、糸を自分だけが登ればいい、と優しくもなく、蜘蛛を逃がしたときのあの優しさを発揮して欲しい、と読者には思える。たまたま気前が良かったときに蜘蛛を逃がしてあげたのだろう。地獄の苦しみのせいか他の地獄人に対して優しさを持つ余裕がなかったのであろうか。地獄にいても他者を思いやることが救済される者としての正しいあり方なのではないか。思いやる心を捨ててはこの主人公のように地獄へ突き返されてしまいかねない。地獄にいる他の人々も大変な思いをしており、他者の救われを願うことをこの物語では語られることはないが、大事にしていきたい事柄であろう。お釈迦様の方も糸を垂れても切ってしまうと糸を垂れる前から予期していなかったというミステリックもある。せっかく垂れ流した糸を切ることは何だか虚しい。糸を攀じ登る力能はどう考えれば良いだろうか。なぜ糸を登れるのか、その辺りは結論しにくい点であろう。芥川自身もそれは物語のイデオロギーであって厳密には設定していなかったのかもしれない。どういう感じで登ったか、その過程も不明瞭である。しかし、『蜘蛛の糸』には魅力を感じずにはいられない。『蜘蛛の糸』では、自己の救済を追い求めるが他の者には救済の1%も考えない、甘い思想の露呈を展覧している。この露呈から私たちは何を学ぶか、その辺りをnoteに書いてみよう。自分だけがよかれと思っているのは社会では通用しない。他者の救われを思いやる、他者の救われこそ自分の本当の慈悲心から考えていく、優しさを持つことが大事である。他者の悩みが自分の悩み、や、他者の幸福が自分の幸福、といった暖かい気概で暮らしていきたい。芥川は優しさを一番欲していた。芥川は優しさを受けずに育った。家庭環境は芳しくなかった、と芥川は遺している。芥川は親に優しくされなかったらしい。親の優しさも誰かが代わりに行為してみた形跡はない。ただ孤独の中で筆を取っていた。
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