191.第6章「平成の東映」
第5節 東映の劇場展開(直営館編)
2025年7月27日(日)、1960年9月20日に開業した丸の内TOEIが、東映会館再開発のため閉館します。
これに伴い東映は、5月から「さよなら 丸の内 TOEI」プロジェクトをスタートしました。
往年の名作から近年の話題作まで多数の東映作品を上映、ゲストを交えたイベントも実施しています。
東映が経営する映画館(直営館)は、1951年創立時に東横映画から引き継いだ4館から始まり、1979年7月に最大102館まで拡大しました。
2000年代、シネマコンプレックスの増加とともに直営館は次々と減少、この度の丸の内TOEI閉館で東映直営館は0になります。
今節では、東映直営館の変遷をリストで紹介いたします。
1.大川博社長時代(1951年東映創立~1960年映画全盛期)
1951年4月1日東映が創立、代表取締役社長に就任した大川博は経営の再建をめざし合理化を進め、経営が安定してきた1953年から既存劇場のM&Aや土地を購入、「映画館百館主義」を掲げる小林一三の東宝や芝居の老舗松竹に追いつけ追い越せと直営館の確保に着手しました。
1954年から始まる東映娯楽版の大成功で映画事業が軌道に乗ってからは一気に直営館と契約館を拡大します。
1960年12月には直営館は70館まで広がり、うち11館は買い取り、47館は新たに購入または賃借した土地に建物を新築した自社物件でした。
2.大川博社長時代(1961年東映10周年~1971年8月大川逝去)
1961年からは映画界の斜陽や第二東映事業撤退などにより、大川の直営館新築は大幅に減少。設備投資はボウリングなど事業の多角化に向かいました。
1951年4月の大川社長就任時、4館から始まった東映直営館は、1965年末に86館まで拡大します。
1971年8月17日の大川急逝時、東映直営館は79館営業していました。
3.岡田茂社長時代(1971年8月~1993年6月)
1971年8月、大川の逝去を受け代表取締役社長に就任した岡田茂は、1993年に高岩淡と社長を交代するまでに、東横映画から引き継いだ五反田東映、大川時代に購入した横浜東映、長崎東映、青森東映を建て直します。
また、賃貸や劇場分割することで1979年7月には直営館数を102まで拡大しました。
4.高岩淡社長時代(1993年6月~2002年6月)
1993年6月、高岩淡が東映の代表取締役社長に就任します。2002年6月に岡田裕介へ交代するまでに、大川博時代に購入した渋谷東映、福岡東映、仙台東映、広島東映の4か所をリニューアルしました。
シネコン時代が始まったこともあり、就任時81館から始まった東映直営館は退任時55館まで合理化します。
5.岡田裕介社長時代(2002年6月~2014年3月)
2000年8月、東映常務取締役岡田裕介は、シネマコンプレックス運営会社「株式会社ティ・ジョイ」を創設し、代表取締役社長に就任しました。
そして岡田は、2002年6月に高岩淡から東映代表取締役社長を継ぎます。
2014年4月には、多田憲之が代表取締役社長、岡田は代表取締役グループ会長となりました。
東映代表取締役社長兼ティ・ジョイ代表取締役社長の岡田は、ティジョイの開発を進めるとともに55館の直営館を4館まで縮小します。
6.多田憲之社長以降(2014年4月~2025年7月)
2014年4月の多田憲之以降、2020年6月に手塚治(2023年2月逝去)、2023年4月に吉村文雄が東映代表取締役社長に就任しました。
2022年12月に渋谷東映2館、2025年7月27日には最後の直営館である丸の内TOEI2館が閉館します。
1951年に4館から始まった東映直営館は、大川博社長時代、79館に拡大しました。
岡田茂社長時代、新たな賃貸や引き継いだ劇場を分割することで1979年7月、102館まで拡大します。
これらの直営館をベースに東映は1956年から1980年代前半まで日本映画界のトップを走り続けることができました。
丸の内TOEIでは、7月27日の閉館まで、連日これまでのヒット作、話題作の上映を行います。
また、ゲストを招いたイベントも開催しますので、ホームページをご確認いただきぜひご来館ください。お待ちしております。
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