報告12(1)
本記事は、報告12「「サブカルチャー」に関する投稿」で指摘した、堅洲斗支夜のサブカルチャーに関する投稿をまとめた記事である。
本記事では、2021年と2022年の投稿をまとめている。
2021年
2021年7月25日午後4時30分頃
X上にて、堅洲斗支夜は下記投稿を行う
サブカルチャーとハイカルチャーの議論はもっと進んでほしい所だけれど、困ったことにハイカルチャー論客にはわりと承認欲求と硬直した美意識で固まってる人が多いし、サブカル側は肯定と退廃の見分けがついてない人が多くて、これはなかなか平行線だなぁと。
サブカル側が良く持ち出すのは、『売れれてるから正義』『たくさんの人が認めてるから正義』なのだが、それは芸術家と呼ばれる人々のセンスの否定でもある。『すごいからすごい』の価値観しかないと吐露しているようなものだ。
さてハイカルチャー側は、『啓蒙と高尚さが理解できないのかね?』って姿勢になりがちだけど、この部分を分かりやすく伝えて自分たちだけのものにしない、という努力がいつも求められることは忘れちゃいけないのだ。でないと、『貴族と下民』みたいな社会が続くだけだからね。
2021年7月26日午後10時18分
X上にて、堅洲斗支夜は「『へうげもの』で古田織部が禁中に織部焼を認めてもらって喜ぶシーン、あれはな、『サブカルチャーまたはカウンターカルチャーがメインカルチャーとして評価された瞬間』って読むと分かりやすいのやで。」と投稿する
2022年
2022年1月5日午前11時04分
X上にて、堅洲斗支夜は「そもそも無料と有料の人気の間には大きな壁があるし、なろうの物語構造はサブカルチャーの中のさらにカウンターカルチャーというとてもニッチな物だから、いつまでも大きな人気は保ちづらい。」と投稿する
2022年1月20日午後10時15分頃
X上にて、堅洲斗支夜は下記投稿を行う
『ライトノベルの専門家』って人々のライトノベルのファンタジーに関する議論について知見を求められたんだけど、確かにこりゃ意見を求めたくもなるなぁと。初期ライトノベルの文脈を浮かび上がらせるには、当時のゲーム事情は必須なのよ。書籍だけでやると見当違いになる。
ロバート・E・ハワードの影響はライトノベルにはあまり見られない。これは、ハワード的なファンタジーはライトノベルの前身であるゲーム絡みのサブカルでもほとんど無かったから間違いない。セガがジェネシスでも展開してた一部ゲームに見られる程度。
2022年2月16日午前10時40分頃
X上にて、堅洲斗支夜は下記投稿を行う
ライトノベルのファンタジーに『王道』というのは設定不可だと思う。王道というのはメインカルチャーである、という事も意味しているし、勘違いしている人が多いが、メインカルチャーって数の問題じゃないのよ。いやまあ、数の意味でもライトはメインじゃないのだけれども。
基本的に、『ライト』は中高生向けでありジュブナイルの派生なんだけど、この『ライト』の意味を文字通り軽いととらえた作風も多いよね。これがサブカルみをかなり増してる。サブカルみとは、メインカルチャーの定義である『健全性』とは相いれない部分を持つわけで、だからサブカルチャーと言う。
で、ここ最近になって、『ライトノベル』と『なろう系』を分ける言説が多くなってきたけど、『サブカルチャー』の『健全性と相反する部分』をむしろ肯定してしまうと、これは『カウンターカルチャー』に近くなるわけだ。つまり『正道に反するもの』ね。だから王道概念からもどんどん遠ざかる。
2022年3月17日午後11時10分頃
X上にて、堅洲斗支夜は下記投稿を行う
『本格』の話以前に、西洋風ファンタジーはライトノベルしか賞もレーベルもない。ゲームだのでさんざん海外の大御所の作品の影響を受けといてて、未だにライトノベルだけ。webの風潮をありがたがるのは勝手ですが、ヒューゴー賞もネビュラ賞も取れずに劣化版ばかり出してて恥ずかしくないんですかね
それとも、我々日本人はファンタジーの血脈をろくに受け取れず、中高生向けやサブやカウンターのやや卑屈なカルチャーでしかファンタジーを使えないんですかね?そんな事ないと思うんだよね。ゲームとかはしっかりしたのが出てるんだから。
2022年3月22日午前11時50分
X上にて、堅洲斗支夜は「優れたサブカルチャーの提供者は創作物の中に優れたメインカルチャーみ(正道のテーマ)を忍ばせるのがすごく上手な訳です。しかし、これが下手だとただの娯楽や露悪、冷笑、ルサンチマンの慰撫となり、開き直ったカウンターカルチャーとなってしまいます。」と投稿する
2022年3月22日午後0時45分頃
X上にて、堅洲斗支夜は下記投稿を行う
ラノベはエンタメに特化してはいないと自分も思います。サブ・カルチャーです。ただ、サブカルチャーを全てエンタメと誤解している人は常にいますね。
逆です。だから『ライト』ノベル。ってついてるんです。メインカルチャーはそのままでは受け入れづらいですからね。メインカルチャーで伝えるテーマ性などを、エンタメを主眼に置いてしかししっかり忍ばせるのがサブカルチャーの存在意義でごわす。
カウンターカルチャーになりつつありますから、批判されるようになってきてるわけです。分かりやすい構図です。いずれ、『ライトノベル』と『なろう系』を分けるような意見が出てくると思いますよ。
2022年4月12日午後2時21分
X上にて、堅洲斗支夜は「これは以前自分が『なろう系』の分析で用いましたが、『ルサンチマンを慰撫するサブ~カウンターカルチャー』だからですよ。メインカルチャーを好む人には特に楽しくありません。しかし社会は膨大な敗者を生み出す仕組みですから、需要は大きくなっていくのです。」と投稿する
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