BGM > mp3制作:みゅう様  http://www.ne.jp/asahi/music/myuu/piano/piano.htm
愛娘のM子がハワイのホノルルで結婚式を挙げた。 ホノルルはM子は10年ぶり、父寅次郎にとっても40年ぶりの思い出
深き地にあたる。青春の昔にタイムスリップして、寅の果たせなかった夢を叶えたM子達の、新たな門出と将来に期待する。

乗る機会はなかったが、なかなか楽しそうで便利なトロリーバスというものが出現していた。産業構造もかつてのドールの
パイナップルやアメリカ軍の基地経済も、移転や縮小などで変化を見せていた。ワイキキに隣接していた軍用地もホテルや
観光施設に変貌しワイキキに一極集中化しつつあり繁華さを増していた。挙式に選んだ教会のあるダウンタウン方面も近
代化高層化されていたが、中間のアラモアナ地域が少々ヤバイ状況に陥っている雰囲気を感じた。ホテルへ行く際に40年
前に居たアパートが健在であることを発見し近所まで歩いたが、僅かな時間にパトカーと消防(救急)車に3度も出あった。
プリモBeerを探したが店頭には無かった。ハワイは伝統的にペプシコーラが強い地域だったがいまだに健在のようだった。

ハワイアンウェデェングソング(見終えたら 『 ← Back』Keyで戻ってください)
http://www.youtube.com/watch?v=oZDQYqrmC3c&feature=related

フラダンス(見終えたら 『 ← Back』Keyで戻ってください)
http://www.youtube.com/watch?v=YR0KgQQRKqo&NR=1


「アンバサダー」はとても懐かしい名前である。M子はいくつかの安宿を移転したが、ここのアパートの部屋で
最も長い期間、ホノルル生活をおくっていた。M子に電話をかけた時には、最初に耳にしたフレーズが 「アン
バサダー」 だったからである。思い出の地、マノアのハワイ大学を訪ね見学、散策をした帰り途にTaxiを降りて
眺めた。大学には少々遠かったが、地理的には良い所だったようだ。マノアキャンパスでは、オバマ大統領の
顔のポスターがあちこちに貼ってあった。 もっと見たい所もあったが、疲労のピークもあって中途で退散した。
ちょと行けばカラカウア通りだったので、昼も夜も食事や買い物で歩き回った。特に「土曜、日曜」の夜は通り一帯が
お祭りの縁日と原宿を連想させるような賑わいぶりで、歩くのにも苦労する有様である。歩道上にもミュージシャンや
似顔絵書き、マッサージ、意味のわからんパフォーマーの大道芸みたいなものが隙間もなく繰り広げられ楽しかった。
ワイキキ(カラカウア通)の中心でもあるインターナショナルマーケットは、相変わらずビッシリと小さなお店が犇めき
昼も夜も賑やかだった。また、「ABCストア」がいたるところにあって、安くて便利な商品や土産物を提供していた。
私としては、もう少し時間的な余裕と体力、金力があれば、もっと楽しめたのだが、・・・・特に体力が大問題だった。



5/3 前夜遅くまでの喧騒を終えて、夜明けから早朝を迎えたアラワイ運河。清々しい朝。小鳥もウルサイほど。

ハワイは多くの小鳥たちにとっても楽園のようだ。天敵がなく、人を怖がらないのも特徴的と言える。昔より
種類も増えた感じがする。小鳥たちを観察しながら散歩するうちに、かなり遠くまで歩いてしまって、朝食の
時間に遅れた。後日訪れたヌアヌパリでは野生化したチャボの集団がいて、コケコッコーと鳴いていた!。

よせばいいのに・・・・空港からホテルに向かう途中で、40年も大昔に暮らしていたアパートが健在である姿を見たため
記念写真を撮ろうと思い立った。時間を計算したつもりが齢を加算し忘れたため途中でヘバってしまい何度も休憩した。
あの一帯は、ホリディマート(ダイエー → ドンキホーテ) が変貌してしまったごとく、衰退を感じさせる印象が強く、建物
だけがしぶとく生き残っているものの、少々荒れ気味で手入れの行き届かない駐車場やゴミが目立った。 僅かな時間
に偶然なのかも知れないが、3度もパトカーや、救急車、消防車などが、けたたましいサイレン音を響かせて駆けつけて
来ていた。周囲を海に囲まれてても、ハワイもアメリカの一州だし、ワイキキでは盛んにピストル撃ちを誘われたりもしたし
治安についての心得や、知識は日常で必要なものかも知れない。 肝心の被写体を見つけて写したものの、途中からは
結婚式に遅れてしまう状況である事に気づき、必死になって歩き帰って遅刻は免れた。 しかし、式では足がフラついた。

結婚式は、あの巨大なリムジンでダウンタウンにあるハワイ王朝の戴冠式や結婚式も行われたという由緒あるカワイアハオ教会
に行った。外壁には珊瑚が使われハワイの重要文化財にもなっているオアフ最古の教会で、ハワイアンウェデェングソングの後、
パイプオルガンの響きわたる中、深紅のバージンロードを歩くM子と寅次郎。二人の思い描いた通りの感動の結婚式が実現した。



翌日のオアフ島内観光では、定番となっているハナウマベイ、ラビットアイランド、ヌアヌパリなどを巡ったが、
「この木なんの木(日立の木)」以外は、幾度も眺めている。ワーゲンビートルやマスタングを駆って彼女!と
行っている(心臓をトキめかしながら・・・・・)。カメハメハ像の前を通る時は、思わずニヤついてしまった。?!
寅には、「立ちションした所には又行く(行ける)」という、妙なジンクスがあるからだ。若気のいたりと、生理的
現象の結果、夜中だったとはいえ・・・あの像の裏側で放水させていただいたことがある・・・スミマセンでした。
ただし、当時は基本的に 大マジメ人間。パンチボールに慰霊したり真珠湾なども見学。日本人2世の英雄と
伝えられる「ダニエル井上」氏についても学んだ。ハワイ州の全島巡りをして、商工業、観光事業など、経済の
状況あらゆる事を見たり聞いたり学んだりしてるし、キャンプやゼミにも参加をしたりして、勉強を重ねていた。
それを日本の今後にどのように有効に活かせるか考えてた事もお忘れなく。当時は朝昼食兼用にでっかい
ハンバーガーを頬張って、ペプシコーラ、おかわり無料のコーヒーをがぶ飲みして、夜食は自炊生活だった。


オアフ島内の観光などで、乗り物の中から、懐かしいキング・カメハメハ像やハワイ金毘羅神社を拝むことはできた。
じつは、行く前の予定ではハワイの出雲大社や平等院やポリネシアカルチャーセンターなども、レンタカーを利用して
行って拝んで、あわよくば御利益までも授かろうと考えていた。時差をド忘れし、もう一日余裕があると勘違いしてた。
日本に 本家本元の出雲大社をはじめ多くの神社仏閣が存在しているが、遠くであればあるほど、ご利益がある筈だ。
そう言えば、50年前は「国際運転免許」を持っていたので、学生仲間の彼氏彼女等から頼まれて、レンタカーで島内
観光など引き受けたりもした。これはそれなりに報酬をもらったり、結構豪華な食事を奢ってもらったりして儲かったよ。
パンチボールからのホノルル一望、カイルア散策、ドールパイナップル見学、
戦艦アリゾナなども予定コースにしていたものだが・・・・・・・・次??の機会に。

最後の難行苦行とも言える空港内での長距離歩行を漸く終えて機上の人に。 ハワイよ! 『ALOHA』
かくして、折りからの「新型インフルエンザ騒ぎ」の中での、『我が家のハワイアンウェデング』ものがたりは
とどこおりなく、無事安泰に好評裏に終えることができた。関係者各位のご尽力とご支援の賜物である。と
心から感謝申し上げる次第である。思いがけずに実現した二度目の「訪布」だったが、やっぱり、ハワイは
何度行ってもいい所だ。 但し・・・体力も気力も そして金力と時間的余裕もたっぷりと鍛えて準備して ね!
「昭和33年の2丁目からの夕日」 の メニューへ

 。

inserted by FC2 system