第五話 
(社会雑学科)荷風亭寅次郎の歩み

前ページで・・・俺は、「文豪永井荷風先生」と 生まれ年の干支が同じ、生まれ月も同じ、星座も同じ、血液型も同じ、市川市の本八幡で暮らし、
おまけに 船橋市の海神で生活した事もあるし、本八幡の大黒家のカツ丼が大好物だったことから、 『俺は昭和の永井荷風かも知れない』 と、
錯覚妄想し始めた
ことをバラした。 ここまできた以上は、「わがSUKEBE関連事件」までも披瀝して・・・「永井荷風」度数を測定?してゆく・・・・

どこにもあった!?? 青線 白線
   
   序章

 左の絵は、微かな記憶をもとに、当時の風景を再現したものである。後にも先にも、たった一度しか見ていないし
 おまけにかなり強い雨の降る晩だったからだ。インターネットでもいろいろと探ってみたが、かつて浅草寺境内の
 片隅に、こんなバラックが存在していたことすら知らない人がほとんどのようで、歴史から消え去ろうとしている。
 その日、俺が六区で映画を見終わると、生憎の雨、傘を持たない俺は地下鉄浅草駅まで駆け抜けねばならん。
 最短距離のつもりで二天門から南に抜けられそうな場所にさしかかると、そのバラック棟が2棟建っていたのだ。
 強い雨の中、人影も人通りも殆どなく、まばらに赤提灯だけが点いている軒先づたいに、雨を避けながら走って
 いたのだが、何軒目かの提灯の陰から声がかかった。びしょ濡れで息が乱れている俺を、中年で細身の女は、
手ぬぐいでパタパタと雨をはらいながら、いつの間にか俺の所持金から行き先まで聞き出してしまったらしい??し (全くうる覚え・・なのだが??)
「雨が小止みになるまで酒を呑んでいく」ことに決められてしまったらしいのだ。!! ・・・・お世辞にも「店」とは呼べないだろう「その店!」の中には、
今にも剥げ落ちそうな お品書きらしき紙っぺらが2,3枚貼ってあるだけだ。不安定な丸椅子に腰をおろして、呼吸を整えている間もなく銚子1本と
杯が2個並べられ、漬物らしき物体が入った小皿がおかれた。照明なんてものは煤けたガラスの傘がついた電球が1個だけだから、店中を見通せ
ない。俺はそれまで、飲み屋と言うところに縁がなかったが、あきらかに異様なことくらいわかる。例の教授様には、「吉原に送ってくれ」と頼まれて
ついて行ったことがあるが、店の中の様子は分からないままだった。しかし、あそこの賑やかさも明るさも、こことはまるで違っていた。ピンク色の照
明が眩しい店の前を通りすぎる時には緊張感さえ覚えるほどだった。ここは、そんな雰囲気などまるで無し、哀れさと貧しさと、もの悲しさだけが漂う
所だった。外はあいかわらずの雨。いまさら、雨を恨んだり、誘惑にはまった自分を後悔するわけにもいかない。杯に注がれた酒を2、3杯呑みつつ
呼吸を整えて、さも場慣れしているフリを装いながら幾枚かの板垣退助を渡した。・・・・女がカウンターの先にある破れた障子戸を開けて招き入れた
部屋(と呼べるか?)は、電灯も無い、品物も全く無い、なんにも無い、只の板の間だった・・・・・・のだ!!!。 その後、わが教授様の教えによると
俺があそこで受けた災難は、いわゆる「ちょんの間」というものだったらしい。 のだが・・・・俺にとっては 『板の間の災難』と言える酷いものだった。
● アッと言う間に、消え去ってしまっていたバラック街
あまりにも侘しく悲しい筆おろし劇の後の、1ヶ月ほど経過したある日・・・コッソリと、「惨劇のあった場所を再確認しておこう」と思いたち、微かな記憶
を頼りに歩き、例のバラック飲み屋棟を探しあてたが、そこで俺が目にしたものは!、取り壊されて間もない「バラックの残骸の山」だった。!!
忌まわしい過去は残骸の山となって消えたが、その当時は心底から愛しく思いを寄せる女学生がいた俺にとって、「彼女との来るべき日のために」と、
守り続けていたツモリのドーテーが、「あんな所で、あんな女に・・」いとも簡単に崩壊させられてしまう自分自身が情けなく思えたものだ。!さらに俺に
ショックを与えたものに「ソーロー」なる事象もあった。わが教授様のご講義によれば、あれは「ちょんの間」屋と言う所とか・・・・まさしく あの時の俺は
「ちょん」どころか「チョン(瞬)」だったからだ。『この時はじめて、教授様の金冷鍛錬法の持つ深い意味が理解できたのである』 (第一話をご参考に)

 主な物価 ・銭湯16円 ・封書10円 ・はがき5円 ・バス15円 ・ビール1本125円 ・ラムネ1本10円 ・都電13円 ・国電10円~
・たばこ「光」30円 ・映画40~100円 ・床屋100円~ ・トリスバーハイボール4~50円 ・カレーライス100円 ・チキンライス100円 ・コーヒー50円
 当時、ニコヨンと呼ばれていた(日雇労働者、労務者)人の収入  その定額日当が当時240円だった。新入もそんなもんで手取り1/3程度だ。
その1. 『三十後家さん』に仕掛けられた罠
これは、素人さん、しかも「お得意さんの未亡人店主様」とのお話である。なぜ?こんな事が起きたのかというと、「第二話の銭湯談義」が原因だった。
意地の悪い先輩が、俺に「うま」「ウマ」「馬」と渾名をつけて苛められたことを話してある。しかも、コイツは無類の 「おしゃべり野郎」 でもあったのだ。
     「この 『 未亡人店主との性部劇 』 ?についての 詳細」は、ここをクリック。


●この頃、落語界では、柳亭痴楽が、自らの顔をネタにした「破壊された顔の持ち主」や「柳亭痴楽はいい男、長谷川一夫や
錦之助、それよりグーンといい男」の枕からはじまり、十八番は新作落語「痴楽綴方狂室」(ちらくつづりかたきょうしつ)、「恋の
山手線」などで人気を集め。 また、林家三平も、型破りの「立体落語」なる出し物でテレビに進出していた。テレビ文化の出現
によって、映画館はどんどん斜陽化を辿っていき、場末では「ストリップ劇場」に衣替えする所があったり、どちらが主体なのか
映画とストリップを一緒に上演したり、浅草あたりから来ているらしい芸人の、コントが挟まれているものもあった。客席は殆ど
寝たふりをしているので、かわいそうだった。宣伝タイトルにも凝ったものが数多くあって、思わず顔を赤らめてしまう程だった。
が、当時は取り締まりが厳しかったのか?どうか? 「腰巻ハラリと同時に、照明真っ暗」が常で、期待はずれが殆どだった。
暫くして、「押上のは凄い」との評判を聞いて行ったが、ロシアらしい外人が出演してて、おまけに開帳大サービスまであって、
隣席の学生さんと手を取り合って大感激させていただいたことがあった。昔々、まだ「ストリップ黎明期?」のお話である。
◆◆!!! この劇場は 今 【東京スカイツリー】 が建っている場所だよ!!!  どうだ 参ったか。。。。。。。 

赤線廃止後も街娼は存在しており、売春防止法はザル法と囁かれていた。また、それまでになかった新サービス、トルコ風呂が次第に開業を始めてい
た。トルコ風呂が出来た地域というのは、現在の首都圏の風俗エリアと変わらない。料金は1時間700円、それ以外にトルコ嬢にチップとして300円渡す
ように窓口で言われる。その後、ブラジャーとパンツ姿のトルコ嬢に案内され、6畳の広さの部屋に。中には蒸し風呂、湯船、ベッドがある。トルコ嬢から
「蒸し風呂に入ります?」と聞かれるが、入らない客もいるからという。トルコというのは、スチーム風呂に入るというのが建前で、トルコ風呂には、どこの
部屋にも蒸し風呂が置かれていた。1時間700円、チップ300円というのは、あくまで、この蒸し風呂の値段で、性的なサービスは別料金となっていた。
蒸し風呂が終わると、「スペシャルする?」と聞いてくる。スペシャルとは、フィンガーサービスの事で、これが1000円と、ほかにチップとして最低1300円が
取られる。と聞いた。オサワリもあるとか聞いたが、それだってプラス何枚って寸法だろうから、寅のごとき庶民には高値(嶺)の花。縁遠き世界だった。
映画でさえロードショーを見たのは数える程しかない。それも彼女とのデートの時だけ。名画が南明座あたりで上映される日を心待ちしていた時代だよ。
荷風亭 寅次郎の活動(徘徊)範囲
●既に、お気づきの御仁もお有りかと思うが、 荷風亭寅次郎なる生き物 「俺(寅)」 は、一風どころか、三風も四風も変わっている輩である。 なぜ?
そのような輩が存在したのか? と 問われれば・・・・ 持って生まれた 「ジキルとハイド」。 持って生まれた 「スケベと真面目」に 尽きるだろう??
しかし、育ち行く過程で、環境が激変していることも忘れてはならない。俺(寅)が歩き回った地域だけ取り上げても、千代田区内では、皇居の中を除いて
総て知り尽くして(歩き回って)いる。赤坂の料亭で杯一の経験もある。このHPで白状しているが、明日々々潰れ行く運命のちょんの間もある。都内だけ
に限らず、横浜、川崎、横須賀、藤沢、三浦半島、熱海、伊豆から静岡までの静岡県、埼玉県は全域、市川、松戸、船橋、千葉までの千葉県、群馬の高
崎までは守備範囲だった。口を利いた人にいたっては、ガード下暮らしの人から総理大臣になった人、総理を終えた人や文化人まで・・多士済々に渡る。
自民党幹事長が、俺の意見を「即日、実行」してくれた事もあるし。NECの天皇と呼ばれた関本会長の命を受け、部下が恐る恐る電話をかけて来た事もあ
る。超・寅さん人生ってところだ。・・・・もっとも、元総理大臣とかだって・・・俺のことを聞かれても・・・・『 全く記憶にありません 』と煙にまかれる・・・だろ?

●このページから、『 荷風亭 寅次郎 』 と 名乗って 文豪とともに、日本映画のヒーロー 『 車 寅次郎 』 さまの お名前まで カッパラう厚かましさである。
 しかしながら・・・・筆者と 『 寅さん 』 もまた、妙ちくりんで縁ふかきものがあることが不思議なのである。 ◆ 「柴又の帝釈天」が 全国的に知られるよ
 うになったのは、寅さんの映画がはじまりだと思う。 ところが・・・俺と 「柴又の帝釈天さま」 との因縁が生まれたのは、それより 数年も遡った頃からだ。
 帝釈天さまの御利益かどうかは知らないが、ここでも 『 料理屋トイレ 立ち○○事件 』 なる 御利益があった。・・・・それが・・寅次郎と名乗る由縁だ。!
             『 柴又トイレ 立ち○○事件 』 の詳細ページへ進む


第一話  江戸っ子・即席教育塾の 大教授! へ
第二話 楽し 恥ずかし 江戸の銭湯 裸談義 へ
第三話 神田は 学問、教養の宝庫でもあった へ
第四話 昭和中期 江戸っ子雑学・風俗研究所
第五話その1. 『三十後家店主』の仕掛けた罠  へ
第五話その2. 寅さん元祖 『トイレで立ち○○』 へ
第六話  新宿・ションベン横丁で修行の日々 へ
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