第三話

 『にわか・江戸っ子の知識と教養』 を育んだ 靖国通り!神保町!





「第一話」「第二話」と、続いたバカ話には呆れ返った人も多いことだろう。「第三話」では、多少は真面目な物語になるかも知れない。


須田町交差点から靖国通りを九段方向(西)へ抜けると・・・・しばらくの間  静かな街並みになり・・・やがて神保町へ





今や「カツドウ」や「徳川夢声」
の名を知る人も無く、取り壊し
寸前の佇いの思い出多い映画
館。当時は、日曜日ともなれば、
人の波で、終日ゴッタがえした。

ここは、名作「十戒」の招待券を
もらって見たのが最初の縁だ。

週刊千代田という新聞があったが、購読者特別
サービスに申し込んだら招待券が送られてきた


南明座で「スペンサーの山」を観て 感激   ↑
 やがて一念発起し、山口さんちの門をたたいた。


  ♪♪
チンツロカンツロ
 学校サボッテ
 神田を行けば~
共立の○○さんが
 横目でにらむ~
 やりたいな 々
やりたい々 ~な
共立の○○さんに
 10円やりたいな

 彼女の母校だ

立ち読み学習街

東洋キネマ

●俺の人生に影響を与えた ↑『2本の名画』

共立女子大


俺は無類の物好き人間である。 一度び興味を抱いたら、何事も徹底して奥の奥底まで究めずにはいられない性格だ。大江戸社会大学?でも
短期間のうちに、数限りない幾多の苦難も洗礼も受けている。重なる苦労を乗り越えながら確実に吸収し成長も遂げてきた。 セールスマンと
しても、一年で売り上げを何倍にもする実績も作ったし、自信満々である。それらを側面から支えてくれたのが、「神保町立ち読み大学」なのだ。
とは言っても・・・・現実に立ちかえって見直せば、『将棋の駒の「歩」が裏返しになった「と金」の一つにすぎない。 歩の駒は歩のままである。』

俺は、「男子立志出郷関・・・・」と胸に刻んで上京した。歩の駒のままで終わる訳にはいかない。南明座で、『スペンサーの山』という名画を涙な
がらに見終えた時、俺の意志は固まった。「香車」になろう。「桂馬」になろう。「金将。銀将を目指してガンバロウ」と、心の奥底で誓いなおした。

なぜか?知らないが、俺には以前から気になっていた人がいた。「この人に、自分の考えや悩みの総てを打ち明けてみたい。」と、思っていた。
自分でも理由はわからない? 本能的なものだったのかも知れない? 大袈裟に脚色すれば『神の見えざる手』が動いたのかも知れない。!?
実際に神田多町の山口虎夫さんは、俺の想像を遥かに超えた素晴らしい人物であった。捕り物時代劇で目にする「銭形平次」親分の家の間取
りを狭くしたような、僅か数坪ほどの居宅にも驚いたが、話される言葉の端々から発する高潔な人柄に尊敬の念を覚えた。「男心に男が惚れる」
とは、正に、こんなことをさすものだろう。俺は、自分の考え、悩みの総てを打ち明けるとともに、厚かましくも助力さえも依頼をしたものである。!
(山口さんは、自民党都議会で幹事長をされており、全国高校PTA連絡協議会々長をなさっていた人物)

さらに驚いたことに、九州男児かつ江戸っ子の山口さんはたった一言。『良し。分かった。引き受けた』 だった。山口さんは江戸っ子の気風の良さ
と九州男児の心意気を合わせ持った人で、人間的にも学ぶものが多かった人だった。以来、何事にも、お世話になりっぱなしのままで終わった。
ハワイ大学留学にも手助けを受けた。が、皮肉にも、俺がハワイ大留学中に急逝をされてしまった。徒手空拳で上京し天涯孤独同然の貧乏野郎
が、あの瞬間から大手を振って「ありとあらゆる知識と教養を、貪欲に身につけられるチャンスが到来した。」って訳だ。この頃の俺には、目前に
開けた『歩の駒境遇』を脱出するチャンスを見極めて、確実にモノにできる地力も意思も根性も、すでに備わっており、鍛えあげてあったと思う。
水を得た魚のごとく、昼夜を分かたず学問に勤しんだ俺は、興味のあった社会科学をはじめとして、手当たり次第に詰め込んだが、意外にも派生
して取り組んだ弁論学も、有名な中央大学弁論学部「自達学会」の師に指導を受け、その後の人生に役立った。 時給1万円の結婚式司会を
目黒雅叙園を手始めにして、アルバイトも
100回以上こなし、選挙応援にも駆り出されたり・・・と、常に重要な役回りを演じる立場をあてがわれ。
この頃の俺のスタイルは、高島屋別誂えのワイシャツとネクタイ、腕にはスイス製の金
時計、胸にはドイツのモンブラン万年筆、襟には金色に輝く
怪しげなバッジ
である。【この頃、オレはニュース映画にも出たんだよ!】。昔々の映画館では、最初、ニュース映画を流していたもんだが。それの
主役的扱い??で全国の映画館でこのツラが上映されたんだ。帰省した際に 「お前が出てた。お前が出てた」と話題になっていたのを知ったよ。
短期だったが、ハワイ大学留学時にも猛烈に勉強をしたんだよ。パンチボールにも参拝したし戦艦アリゾナも参拝し見学した。ハワイ全島も巡って、
各島の政治・経済・生活状況の勉強や体験し研究もした。帰国後も自民党本部に東京都連も間借りしてた関係もあって、ある時、エレベー
ターで
自民党幹事長の福田赳夫氏と乗り合わせた!。当時は全学連の投石事件に悩まされていた頃だったが、俺は「連中は都電の敷石を
剥がして武器
にしている。から、アスファルトで塞いでしまえば良いのではないか?」と提案したのだったが・・・・・一夜のうちにアスファルト工事を始めたのには
タマゲタもの
である。そんなこんなで忙しい時代だった。恩人の山口氏もウンウンと温かい目で見守っていただいた思いがしている。当然、何事にも
積極的
な姿勢も要求されることから、時代や経済の先端知識も必要になり常に貪った。後年には、I T時代の幕開けとなるパソコン時代においても、
先駆者
的立場を発揮できた。あるPC業界において三羽烏に数えられる者となり。 地方の田舎町に来訪されたSONYやSHARPの社員の方から、
お茶を運んで来た女房が、「とても頭のイイ旦那さんですね」と声をかけられとかのエピソードも・・・。松下、SONY、東芝、シャープ、アスキー、
ソフトバンク、NECなど、殆どの名のあるメーカーと取引をした。当時、年末に、近所の酒屋に歳暮の送先リストを持って行
ったら「おめえさん!
どんげえな商売してる人なんだねえ~」 と驚かれたこともあったのだが、・・・俺は「武士」の血筋と判官贔屓の気性が災いしたものかどうか・・・?
不思議なほど金運が無い人生なのだ。(そう言えば、女運の有無を訊ねられても・・・同じだ)  しかし、それもまた人生。楽しきかな人生である。。


☆ Graduation certificate award ceremony では、学長にビシッと敬礼して証書を受け取り、すばらしい男!と賞賛の言葉を戴いた

I left My Heart in Honolulu Hawaii
ハワイ・ホノルル


第一話 「即製・江戸っ子」へ 強力?指導者現る

第二話 楽し 恥ずかし 江戸っ子の銭湯事情 へ

第四話 昭和中期 江戸っ子雑学・風俗研究所

第五話  昭和中期 江戸っ子雑学風俗・実践編

第五話その① 「三十後家さん」も つらいもの 

第五話その② 「柴又・帝釈天さま」の 御利益 ?

第六話 (寅さん修行)は 新宿・ションベン横丁

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