このHP物語は、「昭和33年4月1日火曜日」から始まるもので、すべて、事実と実体験等をもとに忠実に回想をしています。
 但し、作者自身の力不足もあって当時の画像資料等は皆無のため、Web上のFree素材を主に借用させていただいています。
 (必要に応じて、お借りしたURLなどを書かせて頂いています。もし問題の箇所があればお知らせ下さい。即時、訂正します。
 登場人物のプライバシーを考慮し、閲覧者様に制限を加えてある所もあります。 (ご了承下さい)

二丁目の夕日
     &
二丁目の夕闇
「即席メニュー」

 

第一話 江戸っ子化・即席教育塾の大教授!。  
第三話 やる気になれば、学問、教養の宝庫。  
第五話 昭和中期 夜の雑学・風俗・研究実践。  
第七話その2.受難実録『柴又トイレ』事件。    
第九話 昭和30年代、若人のデートコース。   

第二話 楽し,恥かし,江戸の銭湯バカばなし。
第四話 昭和中期 江戸っ子の生活・風俗研究。
第六話その1.受難実録『三十後家店主』の罠。
第八話 新宿 ションベン横丁の 課外学習時代。
第十話  「ワイキキ2丁目」から 眺めた夕日。

【神田須田町二丁目】昭和33年4月1日()から、上の画面上にある一角での暮らしがはじまりました。都電の陰にある酒屋さんは、
店頭立飲酒場で、 「なぜか?親しくなった万世橋警察のK巡査さんに、幾度もコップ酒をゴチになった」ありがたい思い出あるお店です。

33年時、都電の軌道は敷石道でした。終電後には路上が車庫代わりに使われ、夜中は数輌の都電が泊まっていました。右側4階建て
ビルの隣から須田町交差点まで、ズーっと「羅紗屋さん」のお店が何十軒も連なっていて。 現在では東北、上越、北陸の新幹線も通る
山手線京浜東北線のガード上は「湘南電車の車両」待機線であり、出番まで停まっていたものです。電話Boxに纏わる事件の思い出あり。

御茶ノ水駅から神田駅に向かう中央線のガードをくぐりぬけると、日本橋、上野間の中央通りの「須田町交差点」です。

週日は人混みの絶えない須田町交差点ですが、休日になるとガラーンとしたもぬけの殻のようになってしまう所でもあります。

靖国通りを万世橋、秋葉原、上野方面に折れ
ると中央線ガード下に、使われていない古い交
番がありましたが、最近になって、『江戸東京た
てもの園』 とかに移築されて、立派に復元され
たとかの話・・・。火急の事態とはいえ、やむを
得ず、あれに立ションベンをさせていただいた身
としては、なんとなく申し訳ない気分でもある。




(十分に天罰らしきものにも当たっているが)

万世橋停留所の次が旅籠町停留所、左へ分岐して坂を上っていくと、湯島聖堂、神田明神があります。

神田川沿いに昭和通りへ向かうと、秋葉原貨物駅、河岸にポンポン運搬船、建物も少なく、倉庫や砂利砂のお店や置き場などでした。

肉の万世から昭和通りまでの「柳森神社通り」は、戦災を免れた看板建築や歴史の宝庫みたいなところ。柳森神社は道路から
石段を降るようになっているため、対岸から眺めたほうが荘厳で立派です。境内横が「上京初立ちション地」です(お許しください)

どちらのお店もお世話になりました。特に自転車屋さんにはずいぶん御厄介になりました。 All Ways の「三丁目の夕日」の映画の
「鈴木オート株式会社」みたいなもんだ。 そう言えば、ここも・・・いつの間にか○○オートになった。 (いまだ健在とは驚きです)

 ●以上が、着いた途端に、「威勢のいいおかみさん」に、『近所の散歩でもしておいで!』と言われて歩き回ったコースである。
 奇しくも筆者にとって、「年の五黄殺」、「月の暗剣殺」に障る 『運命学者の忌み嫌う日』 から始まった江戸での生活なのだ。

4月1日から。寅次郎の脳内では「文化にも文明にも、とてつもない大革命が起きたのである」。それは翌朝から始まった!。 

東京人育成大学(社会雑学科)教授の愛弟子となる !?!

楽し、恥ずかし銭湯の課外授業 『江戸っ子の裸像』!?!

神保町、駿河台、お茶の水(本屋街立ち読み教室) !?!

『昭和中期 江戸っ子雑学・風俗研究レポート』(卒業論文)?!

『昭和中期 江戸っ子雑学・風俗研究レポート』(課外実践)?!

(寅次郎はつらいよ) 三十後家さんもつらいもの !?!

(寅次郎の元祖) 柴又帝釈天 その昔の出来事 !?!

(寅次郎の修行時代) 新宿 ションベン横丁 編  !?!



inserted by FC2 system