わかりにくい生きづらさ

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生きづらさは、生きづらい、でいい、ってみんなどのタイミングで思うんだろう。

 

私は、ずーーーっと自分の生きづらさにうまく気づけなかった組です。

というより、疑問も持たなかったというか、なんというか、なのですが。

 

あるとき、他人からの評価と、自分が自分に対する評価のギャップがあまりにも大きく違うように感じてしまって、この「生きづらさ」ってなんだろう、と調べ始めました。

いろいろ調べていると発達障害の生きづらさを抱えている人がいろいろ情報発信しているけれど、ネットの診断をいろいろしても、どうやら発達障害ではないっぽい。

 

もしかしたらその傾向が0ではないのかもしれないけれど、人間関係を築けなかったりトラブルになったことはない。

昔から「友達多いね」とか「誰とでも友達なるね」と言われている方だったのを考えると少し違いそう。

 

その他も、こだわりの傾向はあるといえばあるけれど、何が何でも、というほどではないなど、どうやら発達障害でもなさそうだと自分で判断しました。

 

その他の病気の影響があるのかもしれないけれど、日常生活に影響はない、からきっと病気ではない。

 

でも自分はおかしいのでは、人と違うのでは、何か変なのでは、という感覚がぬぐえなくなってしまった。

 

病気とか、傾向があるわけではなさそう、でもこの漠然とした生きづらさって何?という感じ。

 

他人と接していても、本当の自分ではないのにな、という思いが強くなってしまった。

 

それも「自分は自分を偽っているわけではないのに、なんでこんなに評価が違うのかな」という感覚で、でもこれって、自己評価と他人からの評価が違うことって往々にしてあるので、それがその範囲だ、って思っていたのも自分自身の生きづらさを見えにくくしていた一つだったと思います。

 

こういう感覚って、なかなか他人と話したりする機会がないようなことなので、自分を疑う、自分がおかしいのかな、ってなりやすい気がします。


生きづらさは、その人が生きづらい、と思っていたらそれでいいのに、何かのスケールに当て嵌めようとする。

だから余計迷ってしまう、と思います。

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