ビューティフル・ハーモニー
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調──19における〈メタ〉の

2020.02.14
ビューティフル・ハーモニー
  • しておけば、フーコーにとって19とは「」のえざるえればへとなくんでいく、そういったプロセスにならなかった。もはやな<>などではない。それはでなければならない。もはやせず、わりにというのカテゴリーのたちがわれる。

    たとえば、1976にフーコーはP・ヴェルネールとのインタビューにおいてのようにしている。

    が、――あるいはが――からわれわれにりかけているのだとえるのはです。、あるいはほど、われわれのにあり、そのにあるものはないのです。えれば、われわれはにあるということです。とはなのです。(パロール)とは、えずされるなのです。ひとはを、あるいはきたがるものです。しかしらはまれており、され、しているのです。[1]

    とはである。も、も、にはしない。なぜなら、しないからである。フーコーはの「」とされたテクストにおいて、るのとで、「はこのしている」とする。にあるのでもなしにあるのでもない。でも、らをすることができたでもない。わりに、そこには々のにおける、そのの「」とでもぶべきものをっているのである、という[2]。そして、フーコーはのような「」をべる。

    ――「」を、のためのけられたきのすること。

    ――「」はそれをしてえるのシステムに、そしてするびついている。の「」。[3]

    フーコーもっているように、の「」はなるイデオロギーやできるものではない。の「」は、々の「」やっているものをえるだけではるがない。は、えることである。

    19ばからにかけてこった「」とばれる「」のは、このの「」にあるこったことをしている。えれば、とのにあるこったのだ。そしてこのは、フーコーが「」から「」へとさせていくともわっているにいない、というのがここでのさしあたりのてである。

    しになるが、にいえばとはをターゲットにしたであり、に『』と『への』のじられた。『への』でのフーコーのえば、とは「調さとのシステムへのへのみ」をとし、またそれはフーコーによって「」ともえられた。それにして、とは、「であるかれ、プロセスのえとなる」というものにえている。それゆえ「寿寿、そしてそれらをさせるすべての」がされる。それらをけたのが、調する、すなわちであるというのだ[4]

    や、するするつのとして、わる)と調)とがクローズアップされてくることとなる。これらつのわせて、フーコーはめて「」のするのである。

    さらにフーコーのしておけば、にあるのはといったである。「について、について、について、についての」である。それにして、調にあるのは、であり、であり、とそのの、とそのさのである[5]

    これらつのは、18にはなおされたものとしてれていた、とフーコーはべる。だが、18から19にかけてれた「(イデオローグ)」とばれる、カバニス(1757〜1808)、デスチュ・ド・トラシー(1754〜1836)、ヴォルネー(1757〜1820)などにされるフランスによる、「の、そして」であるとに「」でもあったもの、すなわち「(イデオロジー)」という、「であるとならびに調されたでもあるもの」が、これらつのさせ、そのそうとてたし、これがやがて19におけるのテクノロジーをすることとなった、という[6]

    のように、19とはしたしたというきからしてくるである、とひとまずはすることができそうである。なお、このは、のちにフーコーによって「」として、ユダヤ=キリストにおけるいをモデルとする、れにして「かつに」としてされることになるが、ここではく。

     

    とはいえ、するように、ここにはあるい「ちぐはぐ」もあるようにえる。すなわち、「にいって、へのミクロと、や、それにするなどのには、おおきながあるとみなすべきではないか。つまりフーコーがこのつを「」としてとらえることが、か「ちぐはぐさ」をじさせるになってはいないだろうか。」[7]

    なるほどかに『への』においては、このされるつのはややされており、さらに『のフーコーのではというのもとになテーマとなる、『への』でされていたわる「セクシュアリティ」のたなくなっていく。

    このつの、つまりちぐはぐは、『への』では「」というキーワードをややすことによってしようとみられていたが、そこでのしてとはいえず、やはりめない。それではこのつのぐミッシングリンク(?)はフーコーのテクストのどこにおいてめられるべきなのだろうか。

    るところ、それは「ノルム=」(norme)である。このしては、がわかりやすく、またんでいるとわれるのでしておきたい。

    [フーコー]によれば、は、であれであれ、のところ「」(norme)をにしてしている。ここでとは、においてされるものであり、についてのであるが、しかしそれがげされて、についての、すなわち「」(loi)にし、そのについての「」なとしてしはじめているというのである。[8]

    は、こうしたいになりを「」とけている。すなわち、ではとなり、そこではして使するが、そのには、それをえるもうひとつのしている。においては、、つまりするであるところの、そして調などをじてするする[9]稿なのは、がともに「ノルム」というにしてしているというである。

     

    「ノルム」とはか、そしてそれはいつしたのか。それをるために、まずはそれとする「」のけるのがいだろう。でもげた、1975のコレージュ・ド・フランスたち』ので、フーコーは、この「」という「めてな」は、19、すなわちい、とがいにうことをやめ、そのわり、かつめたした、とべている[10]

    でもべたように、18によれば、されるのはによってされたのみであり、よりされたものでなければならない()。だが、こうしたにおけるされるは、19れたによってってわられることとなる。それまでのカント、フォイエルバハ、ヘーゲルおよびビルクマイアーされるとしては、めること、としてのし、をもっぱらされためること、などをげることができる。このように、は、19までの西におけるであったといえる[11]

    しかし、19になると、、たとえばした、またはするによるたなすることとなった。こうしたして、わるたなめられた。そんなさなか、ドイツのでありとなるリストは、1882されたにおける」において、ロンブローゾやガロファーロらイタリアのもと、にあるというった。たとえば、リストはのようにべている。「はどのようなたすのか。……それは、つまりである。におけるのみが、々をえにいてくれる々がをもってするためには、としてとしてしなければならない」(調[12]

    ここには、もはやとしての、えれば「」を使しても、で「」がめられないがゆえにもありえず、よってとしてはされえない「」のとされていない。はその「」がいかなるするかをとしたのにし、とするのはその「」がいかなるするか、である。そして、そのとなるのが、する、すなわち、といったによる<>である。ここにおいて、フーコーのした、かつるのである。

    や、は「」をわないというで「」のされる()ことはない。は、からへ、からへとさせることをにし、そしてそのをまさしくそのものとしてさせる[13]

    リストによって、「にあり、にある」とされるとき、またなるされるとき、そこにおいてけられるもの、それこそが「」、そして「」である。

    そうしたは、という、にはでもなければりのでもないようなものにしてけられます。において、すべき、すなわち、そのにおいてするとされるのは、となりうるようなです。したがって、いにかいい、いにめてしたつのがあるということになります。すなわち、つは「」という、とをわせるであり、もうつは、「」ないし「」という、かつなきづけるです。。これらのこそまさしく、のいわばであり、である、といます。[14]

    というからそしてにおいてはというへといたときにれるカテゴリー、それこそが「」なのである。べたことのしになるが、は、リスクというから、すなわちにとって「」なであるかかというからとなるのである。たちからされなければならない

    だがすべきは、この「とでもべるさせているのものは、のところでもでもない、というである。、フーコーは、は、でもでもない、すなわちのタイプのしているとべる。そののタイプのこそ、フーコーが「(normalisation)の」とぶものなのである[15]

    は、にかかわり、あるさせて、しずつ、そのと、それがなものとなものとにするとによって、をともにさせ、なものをするとなります。[16]

    は、に「」というすることで、これらつのさせながらするのだが、それでもこのとして「とはしてしているのである。たとえば、『への』は、にセクシャリティのされたについてったすることができる。

     

    この、「なもの」をするとしての「ノルム」の西れたメルクマールとして、たとえばフーコーがげている18におけるペストのモデルをげてみよう。フーコーは、々のして、西にはつのきなモデルしかなかったようにわれる、とべている。そのつのモデルとは、というモデルと、ペストめというモデルである[17]

    におけるは、すること、くこと、をし、それはこうの<>へとすことによってわれた。それはに、かつでのする、へのであった[18]

    こうしたといったネガティヴなメカニズムにえられたモデルは、しかし17から18にかけて姿したようにわれる、とフーコーはする。に、それとはのモデル、ペストするめのモデルが、ってわったという。ペストのモデル、それはのモデルであり、ペストがしたというモデルである。ペストによってされたは、された々がく<>のではない。というのも、そのは、綿となったからである。

    ペストがしたは、ごとにされ、々のにはりが、々のにはが、々のにはそのが、そしてそのものには、されたえられたされた。そこでは、のないなくわれ、またはすべて簿され、とあらゆるであるでない)の簿へのによってえざるのもとにかれた[19]

    このように、ペストにおいてとなっているのは、ではなくであり、すことではなく、え、それをしてすること、すなわちではなくめである。またに、ペストにおいては、々と々、にかかったとそうでないというように、々をきなつのタイプにすることがとなるのではない。むしろそこでは、々とそうでない々とのあいだにされた、かいとなっている。さらに、ペストにおいては、られるような、となることはない。それではとなるのか。

    そこでのは、寿を、にまでくことです。つまり、なのは、することであり、のように、のなかにらす々をすることではないのです。に、ペストにおいては、してすことがとなっているのではありません。は、です。つまり、そうしたによってなくし、らがはたしてっているかどうか、められたっているかどうかをることがなのです。[20]

    ここにおいて、々のしているものこそが、「」である、とうことができるだろう。ここでしているのは、ではなく、)のえざるであり、である。また、ここで「ノルム」がけられるだけでなく、というにもけられているというで、「かつに」するとしてのならびにへとかれるパースペクティブのがこのですでにられるのである。そして、ここでの「=ノルム」は、使づけするとなるようなつのであり、らのうちにをともにえたとしてしている。

     

    べてきたように、19における「」のは、そうしたノルムからしたをとるな「(nature)」をそうとする。これら々、すなわち「たち」というカテゴリーをするために、まさしくこれらの々のつのした「」、すなわち「み」がされるまれたわけだが、フーコーはこのなプロセスがされるを、、といったけながらしたのだった。

    だが、「ノルム」がするにあたってわけてもわれる、そしてつである。

    が『』ので、またはが『ドラッグのフランスの〈〉』のでいみじくもしているように、19において「ノルム」がにそのとしたのは「」のであった。たとえば、「」とばれるアドルフ・ケトレが「」をし、であるととしてもられたイギリスのフランシス・ゴルトンによって「」とけられたベルカーブがされたのはともに19である。19には、さ)はされ、「なもの(le normal)」とばれるようになり、調からしたものは「なもの」とされていった。「使していたたちにとって、している」[21]は、いをするためのテクノロジーとしてれる。

    で、では19こっていたのだろうか。うまでもなく、19はダーウィンが『』(1859)をしたにあたる。だが、ではいことだが、『』のにおけるくほどさかった、というされるべきではない。わりに使したのは、ダーウィニズムである。

    』はから、そのオリジナリティがしくされず、された。、ダーウィンがした「」と「」のしくめられるようになったのは20くのことであり、わりにダーウィンのが『』にしたのは、のイギリスにおいてであった「」「」をするでしかなかった[22]

    たとえば、ダーウィンはの「」としてする。し、そして、こそがだった。つまり、ダーウィンからすれば、からされるべきものとなる。にとってとなるのは、しているかどうかであって、そのことによってされる。そうしたして「」とか「」といったさせるのは、としているでしかない。、ダーウィンはして「」や「」といったいることにっていた[23]

    これにして、ドイツのでダーウィニストをしていたエルンスト・ヘッケルは、』ので、「ヒトの」というしてダーウィンとはするする。このではヒトがしており、ヒトはヒトへのされている。ダーウィンのでは、ヒトはつのめるだけにぎず、ヒトはめるものとはみなされていなかった[24]。しかし、ヒトにえたヘッケルの「ヒトの」には、とはあるるがないえたしい「」へとかうプロセスであるというされていた。

    ヘッケルをしていたのは、であった。たとえば、による「す」といういテーゼ。これは、あるは、その辿った)をするというである。えれば、ヒトのというごくに、たちのあらかたのが、からへと々としていって、にヒトにするというのが、このなイメージである[25]

    ヘッケルののイメージかられるのは、ギリシアのプラトン西において綿してきた「」というである。

    」とは、それこそにあってもっともるにらないから、らはではないがあらゆるみがそこをめざすであるところのなるもの=までを、その「」のいにってづけられたすることで、えればすべてのをヒエラルキーのすることで、えようとするである。

    」は、したであったから、にまつわるいかなるともれないものとわれた。されたのハーモニーとしてのけない、というわけだ。ところが、18になると、「」にひとつのこる。それは、アーサー・O・ラヴジョイのする「」である。

    18つは、であった。(plenum formarum)は、によってではなく、々にめてされるであるとえられるようになった。なものは、すべて、するが、がかなえられるものではない。るものはされ、またそれ、そのったようだ。 くのなものは、するされている。いもなく、くのものは、たるべきけるである。てはまるのは、がりのにおけるについてのみである。[26]

    たとえばライプニッツは、1693された『』ので、したくのし、々のくのは、しなかったようだとし、「さえしたというのはじるのある」であるとう。では、であり、であるがある、といったてをっている。ここから、ライプニッツはから、はまだであり、は、ですべての々にされていくプロセスであるとえるにった[27]

    べるは18してきた。またはおそらくからしたというは、1745と1751にベルリンアカデミーのモーベルチュイによって、そして1749と1754に『』のであるディドロによってされた。は、それまでスタティックであった「」のされたダイナミックなへとさせるとなった[28]

     

    」のするというは、すでにヘッケルについててきたように、19くがにせよにせよしていた。とは「調」へとかうえたの「」のプロセスである、といったは、たとえばヘッケルにあってはへとさせることとなった。

    ダーウィンは、へのることによってするプロセスを「」とび、してうように、わってす「」とした。は「」によってしてきたわけだが、それにしてヘッケルは、においては「」が々ないてきたことをする。そのとしてヘッケルがげるのは、スパルタしのエピソードである。ヘッケルによれば、スパルタたちは、あるにもとづいて、まれたばかりのしてしていた。そこでは、であったりかしらのをもったされ、だけがきることをされ、のちにすことをされた。だがこのことによって、スパルタのしたてるようになっただけでなく、るにつれてしていったのである、と[29]

    このように、ヘッケルはによるえている。それだけでなく、ヘッケルは「まれるの、のあるのある、クレチンをもつたちがらえ、したとしても、そこからはどのようなるのだろうか。……このですぐにることは、はるかにいものではないだろうか。」といったしている[30]

    また、ヘッケルはからしている。く、「すべてのなしにさせれば、々にとってはされるだろうし、そればかりか、このによってくのがもたらされることになるであろう。なぜならば、それによって、退したならずが、してそのえるわれることになるからである」(調[31]

    すべきは、すべてのは「退した」ならずである、という、そして、そうしたならずじて「退」をえていく、というである。りになるが、「退」とは、が「ノルム」とびつくことで「させるにあたって、そのとなるならないのである。

     

    ここで、さらにもうひとつのキーワードをするがあるだろう。それは「」である。による『ドラッグの』のえば、「退(デジェネレッサンス)」とは、ベネディクト・A・モレルによって19ばにされたであり、それまでのエスキロールの「モノマニー」えた。モレルは、(デジェネレ)のによってされているとし、そうしたアイディアは1880にヴァランタン・マニャンやそのポール=モーリス・ルグランへとがれていった。こうしたは、19におけるダーウィニズムやまりともしていた。たとえば、イタリアのチェザーレ・ロンブローゾは、によるまれつきの、すなわち「」のした。こうしたロンブローゾらイタリアが、リストらによるにもできないえたことはしたりである[32]

    マニャンは「」にして「してえており、におけるにしかしないような、」とづけをった[33]。それはまれたかつのスティグマであり、プロセスからのしがたい、すなわち退していた。「」とはにおける「退」である。

    19には、アルコールが「」のばれるにった。では、アルコールからはアルコールまれるとされていた。このにおけるラマルクするのは、アルコールというじてすれば、というしていき、るのではないか、というであった。すなわち、アルコールだけでなく、そしてへのであるとみなされる。こうして、アルコールはペストのようなじくによってすべき「」としてわれるようになっていったのである[34]

     

    1975319のコレージュ・ド・フランスで、である「」のは、してもうひとつのえた、とフーコーはべている。

    なやりづけるつのすことができるのは、いったいどのようななのか。ここから、いわばのようなものをすることがになります。(そしてここに、19におけるもうつのされます)。であり、であり、であるようなを、そうしたによってし、することがとされます。このにあるこのとは、いったいどのようなものでしょうか。それは、であり、であり、であり、するに、です。[35]

    にある、フーコーはこのを「メタ」とける。メタとはからであり、にとってのそれまでのすべてのんでいるとされるである。は、ノルムをとしてするは、やそれまでとはなるもうつのし、かつそれにしてきかけようと、そのしているのだ。ノルムは々の々な<>をみずからのしながら、のメタとするする。

    そして、このは、つのを、ただしとはきくなるつのすことである、とフーコーはべる。そのとは、においてまれる、すなわちというするである。はもはや「」ではない。いわば、ここでは「である」がになっているのだ。

    つまりそれは、らかのないしならざるものを、なやりでそのえるのある々にするです。したがってこのは、つのをそれとはからしたりしたりすることよりもむしろ、つのそのものにおいて、をもたらすのあるすべてをすることです。これは、つのにおけるすべてのけるものとしてのです。[36]

    しておこう。ノルムとはであり、である。ノルムのではなくである。からのえればからどれだけたっているのか、というそのとしてされることで、するかされ、わってからへとなだらかにしていくスペクトラムがされる。の『』のは、というさを調する。「これによって、というにあるアノマリーなのうちにすることがになるのである」[37]や、なものはなものとにするわけではない。は、がるわれる。そこにはない。にすでにスペクトラムのされる。えざるとなる。そこではたとえば、らかのすものとしてではなく、における退としてされる。このでは、うことさえできなくなるのだ。

    こののもとでは、いわばびるびるからなる=マトリクスのされる。)のいにっている。

    たとえば、のフランシス・ゴルトンは、としてもられている。は1869した『』ので、「してんでければ、よりもずっとれたせる」というった[38]じく、のカール・ピアソンもまただった。をイコールとみなし、さらにダーウィンし、するまでにった[39]

    またピアソンは、にして、はそのめるからまれているとした。このは、そのするからにすぎず、いわゆる「」にするい。ピアソンのいう「」とは、すなわち、アルコール々をしている。このして、ピアソンはイギリスは退にあるとした[40]

     

    からるマトリクスはつのとしてのみにそれを<>とんでもよい)をすることになるのだが、ここにおいてこそ、)と)というつのされるのではないか。つまり、はこのマトリクスにされたから、ひとつのまれされることになる。というのも、がマトリクスにおいてある(な)めるためには、あらかじめかつえられていなければならないからである。このにおいて、メタは(どこまでもであるというにおいて)とするでありながら、とするとしてもれるなのである。そして、このメタえながらそれをのマトリクスにするのが、としてのノルムの、ここでのなのである。

    [1] 『ミシェル・フーコー〈6〉セクシュアリテ・』94

    [2] 、149

    [3] 、151

    [4]への ()』ミシェル・フーコー、)、176

    [5] 、177

    [6] 、177、203(5)

    [7] 「フーコーの(『 20195』87

    [8]-――フーコーの(『 20199』16

    [9]  、17

    [10]  『ミシェル・フーコー〈5〉たち (コレージュ・ド・フランス1974‐75)』ミシェル・フーコー、 ()、36

    [11] 西、316

    [12]  、316〜317

    [13]  、『ミシェル・フーコー〈5〉たち』18

    [14]  、38〜39

    [15]  、46〜47

    [16]  、47

    [17] 、49

    [18] 、48

    [19] 、50

    [20] 、51

    [21] 『ドラッグのフランスの〈〉』、47〜48

    [22]としてのニヒリスト――ニーチェとダーウィニズム」(『〈しい〉の ドイツからむ 』161〜162

    [23]としての――もうつの「」の(『〈しい〉の ドイツからむ 』202〜203

    [24] 、「としてのニヒリスト」167

    [25] 『ヘッケルと ――、エコロジー、、154

    [26]いなる (ちくま) 』アーサー・O. ラヴジョイ 、 ()、383

    [27] 、403

    [28] 、422

    [29] 『ヘッケルと』280〜281

    [30] 、281

    [31] 、282

    [32] 『ドラッグの』111〜112

    [33] 、130

    [34] 、131

    [35] 、『ミシェル・フーコー〈5〉たち』347

    [36] 、351

    [37]』(、168

    [38]のもとに―「」の』ダニエル・J. ケヴルズ 、西 ()、8

    [39] 、43

    [40] 、61

(きざわ・さとし)

1988まれ。。ブロガー、。インターネットなどったう。サブカルチャーZINE『Merca』などに稿。また、kzwmnで『シックスサマナ』にて「ダークウェブの」をに『ダークウェブ・アンダーグラウンド』(イースト・プレス)、『ニック・ランドと』()がある。web