第11話 にゃあやしゃ、業人の居る島へ
田中は逡巡した後、車を使わず向かうことにした。かりんらの所在についてはトークアプリを介して把握していた。
喫茶ぱにゃからなら、信号待ちや駐車の手間を考えると走った方が速いだろうと判断したのだ。前のめり気味に駆け出した田中の顔には焦燥感が滲んでいる。
浜谷くん、良くも悪くも持ってるからなあ。ネカマに騙された時も、待ちぼうけする間抜けな姿がネットを介して全世界に公開されただけで、お金を巻き上げられたり、殴られたりしなかったし。タツさんが詐欺師と呼ぶ男の甘言に乗せられて田荷島を離れて一人暮らしを始めた時もそうだ。
動画配信であぶく銭を見せびらかしながら散々調子に乗って大勢の反感を買った結果、当然のように痛い目を見た。無一文で所在不明、一時はそんな状態に陥っていたらしいが、田荷島への交通費だけは確保しており、五体満足で浜谷家に帰り着いた。
貧相な体に、足りない頭、平生は臆病極まりにないのに、優位に立てていると勘違いするなり傲慢不遜な態度を取る悪癖。そうしたものを抱えているにも関わらず、誰かに大きな怪我を負わされることもなく四十一まで生きて来たのだから、ある種のゴキブリめいた生命力があるのは確かだった。
それに、と田中は思う。
タツさんが言うように、最近の浜谷くんは確実に変わりつつある。良からぬ方に。天津姉妹に狼藉を働いたり、俺に対して訳の分からないことを叫んだり……少し前の彼なら、例え相手が女性であっても自分よりも背が高い相手であれば怯んで近付きもしなかった。
現実と妄想の境目が分からなくなりつつあるのだろう。その為に、以前の順佑からは考えも付かないような悪い意味での行動力を付け始めている。順佑が書いたおぞましき悪文に倣えば『覚醒』しつつあるのだ。
かりんに危害を加えるつもりがあると決まった訳ではないが、先んじて動くに越したことはないだろう。田中はじわりと疲労の広がりつつある脚に一層の力を込めた。
息を切らしながら角を曲がり、三人が居るはずの『フルーツパーラーおさかな』のある通りへと出た。順佑の姿や、何か揉め事が起こっている様子は認められない。
一先ず安全らしい、と田中は足を止めて額の汗を拭い、濡れた茶髪をかき上げた。
そんな田中の姿にいち早く気付いたかりんが、テラス席から手を振って声を上げる。
「お兄ちゃーん! そんなに慌ててどしたのー?」
田中は声のする方へと視線をやった。
いつの間にか三人と合流していたらしい美沙がスイーツをもぐもぐと頬張っている。目が合うと彼女は気恥ずかしそうに顔を逸らした。
その対面では、怜奈が隣に腰掛けているかりんを肘で小さく突いていた。
「なになに? 愛しの王子様のお迎え?」
「いとっ……!? だから違うってば! お兄ちゃんなんて馬鹿だし、子供っぽいんだから!」
「私は田中さん良いと思うけどなあ……」
美沙の言葉にハッとして顔を向ける二人だったが、次の瞬間にはそれぞれ安堵と落胆を示した。
「お料理上手でさ」
「くすっ」と里奈が笑った。
「大事なポイントよね。私はあの歳で一国一城の主になった行動力が素敵だと思うわ」
悪戯っぽい笑みを浮かべた怜奈がかりんに耳打ちする。
「やばいかも~? お姉ちゃんもマスターのこと狙ってたりして」
かりんが何事かを口ごもる中、田中が片手を上げてテラス席へと登って来た。
「お兄ちゃん!」
反射的に立ち上がったかりんが田中へ駆け寄る。顔を見上げたものの、すぐに頬を染めてぷいっとそっぽを向いた。汗と石鹸の匂い。人間の汗にはフェロモンのような成分が含まれているという説もあるが果たして。
ド、ドキッとした……。胸の内でそう呟いて、かりんは席へ戻った。
そんな彼女をしばし不思議そうに眺めていた田中だったが、気を取り直して状況の説明を始めた。
途中、美沙が注文した白桃パフェが運ばれて来た。美沙は何度か田中を見やった後、細長いスプーンを手に取った。今までよりも相槌の頻度が増え、首も大きく振るようになった。まるで「食べてるけど、ちゃんと聞いてますからね!」と主張しているようだった。
「と、言う訳でさ、俺とタツさんとで浜谷くんを探してるんだよね」
「うーん……。前例から考えるに、理由もなく外へ出たとは考えにくいですね」と、頬にクリームを付けた美沙が言う。
「どーせ、ろくでもない事でしょ」
吐き捨てるように言って、怜奈は椅子に沈み込むようにして身を預けた。
「だらしないわよ、怜奈ちゃん」
オーバーサイズのパーカーで半分隠れた怜奈の顔に、侮蔑以外の感情――怯えを認めた田中は思わず口を開いた。
「怜奈ちゃん」
「んー? なに、マスター?」
田中は真剣な表情で怜奈を見つめながら言う。
「浜谷くんは俺が見つけるから。大丈夫」
「ん……」
と、短く頷き、怜奈は団子のように纏めた髪に触れた。
里奈が目を細めて微笑する。一同の中でそれが照れている時の仕草だと知っているのは、姉である彼女だけだった。
「でもさあ、当てはあるの? お兄ちゃん」
「……ない」
「ねえ、田中さん。今「田荷島」で検索してみたんですけど、これ」
美沙が自身のスマホを田中に向ける。地下アイドル「ニトゲ」のメンバーであり、田中がライブへ足を運んだ際にチェキを撮影してもらった相手であり、順佑が執心している相手でもある「にゃあやしゃ」のSNSアカウントが表示されていた。久しぶりに長い休みがもらえたので、田荷島へ遊びに行きます、といった旨の文章が投稿されていた。
「私達の例もあるし、この方に会うことを目的として家を出た可能性はありますね」
「確かにそうだね。よし。タツさんにも共有して、駄目元でにゃあやしゃさんにも連絡を……」
ズボンのポケットを探っていた田中の動きが止まった。
「もしかしてお兄ちゃん、スマホ忘れてきたの?」
「そうみたい」
「本っ当に、ドジなんだから。と言うか、先にスマホで連絡してくれれば良かったのに」
かりんの言うとおりだ、と田中は思った。気が動転して店を飛び出して来たのは失策だった。
「……ははっ、やっちゃったな。とりあえず俺は一度店に戻るよ。みんなはこのままゆっくりしててくれ。何かあったら連絡して欲しい。それじゃ」
胸を刺す自己嫌悪から自然と早口になってしまう。田中は背を向け、一瞬ばかり苦い顔をした。しかし、立ち止まっている訳にはいかない。足を踏み出す。直後、シャツの裾が引かれて振り返る。
「耳、貸して?」
かりんだった。田中は体を傾ける。
「確かにお兄ちゃんはドジだけど、それだけ心配してくれてたってことでしょ。だから……えっと……ありがと」
従妹の言葉に励まされ、田中は駆け出した。
かりんは背後を振り返り、皆が微笑してこちらを見ているのに気付く。いや、怜奈のそれは微笑というには余りにも悪戯気の強い笑みであった。
その頃、喫茶ぱにゃの前では「にゃあやしゃ」こと猫屋敷美佳が途方にくれていた。
「臨時休業……なのかにゃ」
つい、アイドルをやっている時のキャラクターで独り言をしてしまった自分に苦笑し、美佳は誰に聞かせるでもなく「かな」と声を出して訂正した。
「まあ急ぐ訳でもなし。少し待ちますかね」
そう言って手作りと思しき看板の下にあるベンチへ腰を落ち着けた。
首を捻って看板を見上げる。
「中々に趣のある……。私的には、にゃいす」
まただ。美佳は口元に手をやり頬を染めた。
ま、こうして一人で馬鹿やりながらのんびりするのも悪くない。
遠くに見える空と海の境目を眺めているとそんな気がする。美佳は穏やかな表情で目を瞑った。初夏のそよ風が心地良い。遠くに聞こえる蝉の声、子供たちの笑い声。ステージ上では耳に出来ない音。やはり私は……。
微かに潮騒が聞こえた気がした。次いで、何かの鳴き声が。
だで……!
ハッとして目を開け、辺りを見回してみるが、動くものの影はない。
「やはり田荷島には……何かが……にゃふふ……おっと」
確かに、この島には何かが居る。
美佳が期待しているのとは異なる何かが。
それは今、確実に彼女へ近付いて来ている。
オラのガチ恋アイドルがオラに会いに来たでええ!! オラをこの地獄から救いに! オラはやっぱり神っ!! 本当のオラをにゃあは分かってくれてただで! オラは!! オラは!!!! これでアンチを見返す!! 逆転だで!! オラの本当の人生が幕を開ける!! 田中から女神を取り戻すだで!!
オラが、オラが! オラが犯してあげる! ガン突きして中に出して! ほほーおおおお!! オラと配信しやがれ! オラにステーキを用意しやがれ! オラに尽くしやがれ! オラの便利な道具になりやがれ! オラはずっと孤独だっただで! オラは悪くないのに! みんなオラをイジメルッ! だからオラを癒しやがれ! オラの道具として! 女を道具のように扱うような奴は嫌いだで! オラはイーノ! オラは!! オラは被害者だで!! オラが楽しいんだからみんな絶対楽しいはずの小説を貶したアンチを!! オラと女神が裁くっ!!!! オラとにゃ、にゃんた? が!!!! オラにガチ恋するアイドルの力を見やがれ!!!! 思い知りやがれ!!!!
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