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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

現代のバイクを今も圧倒する60年代のバイク15台

2025年07月14日 | open

現代のバイクを今も圧倒する
60年代のバイク15台


日本のオートバイの影響力
って大きいなぁ。

私が生まれて初めて乗ったオ
ートバイはヤマハのYDS1だ
が、今でも鮮明に覚えている。
その時の状況も、乗せてくれ
た淑祖父の台詞も母の慌てよ
うも。2才の時の記憶だ。
鮮烈に覚えている。


これはYDS3のようだが、私が
タンクの上に跨って、水道の
栓のような所を握ろうとして
叔祖父に「そこはいけん」と
言われたYDS1はこの色だった。
シートは黒。

YDS1という車種は数十年後に
乗り主本人に確認した。


私は1才児の時からの記憶が
ある。断片的だが。隣りに住
むおばちゃんの顔や声も覚え
ているし、住んでいた場所の
風景も鮮明に記憶にある。
中目黒青葉台の時代では2才
時の記憶もいろい
ろ残って
いる。

3才からの湘南時代以降はか
なり正確な記憶が残る。
まして、園児だった6才あた

りからの記憶は物凄い量の
記憶がある。
記憶というものは、数理で
刻むのではなく、映像シーン
のように脳裏に刻まれる。
忘れないのは、その時のシー
ンや人の言葉、そして声だ。
音楽と一緒。
自分の声の記憶は無いが(笑

ただ、自分が10代最末期に
万余の前でアジった言葉の
節々までも覚えている。原
稿などは無い。すべてアド
リブだ。これは、大音量の
マイクから流れた自分の声
と中味を音として覚えてい
る。また、日常的だったト
ラメでのアジテーションの
中味も全て覚えている。
一瞬詰まった時に明大のチョ

キ(仮名)が「やんややんや」
と言った事もよく覚えている
し、学生仲間の台詞や態度
も多岐に亘り具に覚えてい
る。
音楽って一度聴いただけで、
何年か経っても同じ曲を聴け
ば「あれ?これ聴いた事ある」
となるでしょ?
起きた事象の記憶もそれと似
ていて、特に現象や状況は映
像として脳裏に刻まれる。
文字や楽譜や記録記号などで

は覚えない。全て視覚による
映像と実音
で覚えている。
眼と耳で覚えている。

自分で二輪に乗るようになっ
てからは、そうした性質が特
化されて、どこどこの道のレ
イアウトがどうだったか、そ
の走った時の路面の状態はど
うであったかが記憶に刻まれ
ている。膨大な量だ。
そして人の声は台詞と共に覚
えている。オートバイの音も。
なぜそうした記憶群で頭がパ
ンクしないかというと、他の
情報は捨象しているから。
だから、ガッコの勉強などは
皆目できる要素が無い(笑
そんなもん。

とはいっても、人とのつき
いにおいては、意識の限
り、
信義を裏切らないよう
には
子ども時分から極力努
めてはい
るが、大切な事を
忘れる事
も多い。そのあた
りはかなり怪しく、いい加
減だ。

俺のかみさんなんて、こん
な出鱈目な人間とよく45年
間もつき合ってくれてると
思うよ。
なので、彼女が病める時、
悩める時、苦しい時には最
善を尽くそうと思っている。
それは夫であるとかいう立

場を超えて。
本来、友に対してもそうな
のだけどね。
友が窮地に陥った時、絶
に見捨てて己のみの保身

走って逃げたり、目を逸

したり、背を背けるよう

事は私はしない。これは絶
対に。

そんな事するくらいならば
腹斬って死んだほうがいい。
先日死んだ友も全く私と同
じ種族だった。
  
 
  

 


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