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ジャーナリストは、ファクト(事実)とアジェンダ(議題設定=問題意識)を重視する。最前線の記者活動は、この両要素が満たされるなら必要十分だ。(それはかなり高度な仕事だ) ただ、いまの私はファクト、アジェンダだけでなく、「思考のフレームワーク」を重視する立場に立つ。現代の課題=アジェンダは多すぎ、複雑すぎ、しかも相互に関係している。この世界の膨大なアジェンダ群を共通のフレームワークで思考できるなら、見通しが良くなり意見を共有しやすくなる。 この目的から「人権」というフレームワークが重要という直観を得て、ここ数年、あらゆる問題を人権フレームワークに当てはめる訓練のようなことを自らに課してきた。
国際問題に関する国連機関の声明、EUの欧州議会の声明、アムネスティのような国際人権NGOの声明、ローマ教皇の非宗教的な声明——これらはみな、かなり似ている。 示し合わせた訳ではない。共通のファクトに対し共通の思考のフレームワークを適用するため、似た結論になるのである。その思考のフレームワークが人権であり、カントの倫理学である。 一方、特に英語圏の大企業や政治的リーダーの発言は、やや違うトーンになる。これは思考のフレームワークが違うからだ。短く言うなら覇権主義と功利主義の合わせ技のようなものを用いている。
●人権とカント倫理学の考え方(すべての人の尊厳を重視) すべての人に理性が備わっており、平等な尊厳と権利が与えられている。人は他社の尊厳と権利(人権)を尊重する義務がある(他者を道具として扱ってはならない)。私たちは共通の道徳原則に沿って行動するべきである。 ●覇権主義の考え方(国や団体の権威を重視) 人々を守り豊かにするには、まず国が覇権を得てそれを守るべきである。国や企業のような権威には守るべき価値がある。 ●功利主義の考え方(結果がすべて) 動機や原則や過程はどうあれ、良い結果を出す取り組みが正しい(道徳的な)取り組みである。結果を示す指標を改善するよう行動するべきである。
雑感: 「結果」だけを重視する英語圏の思想的な流れ、それを受けた政府機関や企業の振る舞い——私たちはこれらに慣らされてきた。 一方、国連機関やEU加盟国は「原則」を重視する。原則を「はいはい、建前ですよね」と軽視していては、国連機関やEUが何を言っているのかを理解できない。 ひとつ言えることは、人権を守るには、結果を見る功利主義だけでは不十分だ。必ず、原則に立ち返りプロセスを見直す思考が求められる。 私の意見では、これは工学と似ている。無秩序なトライ&エラーだけでは不十分であり、理論や設計原則が必要となる。社会問題への取り組みも同じなのである。
追記: なお、人権とカント倫理学の関係は哲学の専門家の間では議論が絶えない。それどころか、英語圏の哲学者は人権を冷笑する態度を取ったりする。 私の意見として、哲学の専門家の方々には思う存分議論していただきつつ、実社会では人権擁護の取り組みを進めるべきではないだろうか。1946年の世界人権宣言いらい、国際人権法は一貫性がある体系として成長し、思考のフレームワークとしての有効性を示し続けている。 私たちにいま必要なものは、まずは実社会の問題群をうまく思考できるフレームワークではないか(それが18世紀の哲学に由来するものであっても)と考えている。
さらに追記: EUの話に補足。ガザ虐殺への態度ではEUも一枚岩ではない。EUのフォンデアライエン委員長はイスラエルを非難する言葉を慎重に避けている。委員長はドイツ国籍だが、ドイツ国内の言論状況は、反ユダヤ主義呼ばわりを恐れるあまり、パレスチナ擁護が禁句になっている状態だ。「巨大で厄介な問題を抱えていると、原則に沿った思考が妨げられる」ということだろう。 一方、スペインとアイルランドはいち早くガザ虐殺を非難した。大国ではない方が、むしろ原則に沿った発言ができる場合がある。
「結果だけを重視する思考(功利主義)」の落とし穴はたくさんあります。例えば優生思想です。 「若者を助けるため、尊厳死を」と言って炎上した政治家がいましたけど、これも功利主義の落とし穴に見事に当てはまっています。 医療におけるトリアージ(命の選択)は厳しい基準のもと許される特殊な行為で、最後の手段です。私たちはまず「すべての人」の尊厳と権利を守るように考え努力し行動する義務があります。 念のため。功利主義を捨てる必要はありません。日常的、実務的な判断には有用です。ただし常に人権の原則を優先させるべきです。こう考えるとシンプルな話ですが、これがなかなかできないのが今の世の中です。
星 暁雄 (Akio Hoshi)
‪@akiohoshi.bsky.social‬
さて、私はITジャーナリストでして、専門領域はデジタルテクノロジーです。「じゃ、人権とか社会問題とか、関係ないじゃん? 新技術や新製品を見てればいい」と思われるかもしれませんが、そうではありません。 例えばEUのデジタル法規制——GDPR(EU一般データ保護規則)には「プライバシーは人権である」と書かれています。ヨーロッパは、ナチス・ドイツが国勢調査のデータとIBMのパンチカードシステムを駆使して、収容所送りにする人間を効率よく選別したという暗い過去があります。GDPRは、人権を損なうような個人情報の使われ方を禁止するための法律なのです。こういう理解は日本ではほぼ見かけません。
October 18, 2024 at 8:23 PM
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下記は、いままで書いてきたような話をプレゼン資料の形にまとめたものです。事例集と思考のフレームワークが柱です。 IT、デジタルの分野では、人権に抵触する事案が非常に増えています。しかしながら、世の中では「デジタル技術が人権を侵害する場合がある」「技術の社会実装では人権に気を配る必要がある」という認知がまだまだ低い。 微力ながら、機会をいただいてこういう話をしたりしています。 docs.google.com/presentation...