第5話 悪魔の正体

 俺は玲奈と同じベッドで横になっていた。隣で規則正しい寝息を立てる玲奈の、無防備な寝顔を見ていると、不思議と心が安らいだ。シルクのパジャマに包まれた、華奢な身体。「……神谷、さん……」不意に、彼女が寝言を言う。その声を聞きながら、俺は、明日会うことになるであろう、もう一人の女性――佐々木美月のことを考えていた。


 翌朝、俺たちは別荘に併設された多目的ホールへと向かった。重厚な扉に莉愛のピンクゴールドカードキーをかざすと、カチリ、とロックが解除される。

「マジかよ、ここも天神財閥の所有物だったのか……。完全に他人の家だと思ってたぜ」

 ホールの中央には、長机が一つ。その上に、俺たちが厳選した、8枚の応募用紙が並べられていた。これから始まる、美の戦場。俺は緊張で喉が渇き、思わず机の上のペットボトルの水を煽った。

「大丈夫? 神谷さん」玲奈が心配そうに俺の顔を覗き込む。

「こりゃ、ライバルが増えるなあ」莉愛は、応募者たちの顔写真を見ながら、楽しそうに呟いた。


「Kスケ『ガチ恋彼女オーディション』」――天神姉妹が「#圭佑ガチ恋彼女オーディション」のハッシュタグを付けてSNSに投稿したことで、俺のヤケクソなアイデアは、業界内で知らぬ者はいないほどのビッグイベントと化していた。

「しかし、驚いたわ。まさか、一晩で数千件もの応募が殺到するなんて」

 審査員席で、玲奈が俺にだけ聞こえるように囁く。

「その中から、私と莉愛、そして調査チームで『本気度』と『将来性』を基準に、この8名まで絞り込ませていただきました。もちろん、佐々木美月はあなたの意向を汲んで、無条件で最終に残してあります」


 やがて、会場に8人の候補生たちが集結した。ここに集まったのは、単なる俺のファンではない。俺の惨めな過去を知り、炎上を乗り越え、そして天神姉妹という巨大な存在をバックにつけた「神谷圭佑」という男の**「物語性」と「将来性」**に、自らの人生をベットしようと決意した、覚悟のある女たちだ。

 俺は審査員席から立ち上がり、彼女たちに向かって挨拶する。

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。俺の独断と偏見で実現した、この『ガチ恋彼女オーディション』。精一杯審査しますので、よろしくお願いします」

 その瞬間、俺の視線は、応募者の中に立つ一人の女性――相沢詩織と交差した。彼女は、佐々木さんの元いた保険会社で、彼女の先輩だった人だ。彼女は、ただ静かに、しかし覚悟を決めたような瞳で俺を見つめ、小さく頷いた。


 オーディションは、異様な熱気に包まれていた。俺たち審査員の前で、7人の美女たちが、それぞれの魅力を爆発させる。

 元国民的アイドルグループのセンター・星川キララは、シンプルなレッスン着姿で、圧巻のダンスパフォーマンスを披露した。その姿に、俺は思わず「すげえ…」と声を漏らす。その瞬間、隣に座る玲奈が、テーブルの上で指をトントンと苛立たしげに鳴らし始めたのが分かった。

 現役JKモデルの橘みちるは、流行のミニスカート制服姿で、「圭佑先輩へのプレゼントです♡」と自分の写真集を俺に手渡し、莉愛を挑発する。「圭佑くんは私の!」と莉愛が立ち上がって応戦し、会場が笑いに包まれる。

 地雷系ファッションに身を包んだ、ビジュアル系バンドのボーカル黒崎アゲハは、右半分が漆黒、左半分がショッキングピンクという、アシンメトリーな髪色が強烈なインパクトを放っていた。「圭佑、愛してるぜェ!!」と強烈なデスボイスで叫び、俺は思わずのけぞった。

 大人しい雰囲気の、元メイド雨宮しずくは、フリフリのメイド服姿で、「ご主人様のために、萌え萌えきゅん♡」と小声で呟き、顔を真っ赤にした。

 現役女子大生でVTuberとしても活動する姫宮あんじゅは、流行りのブランドロゴが入ったパーカーにミニスカートという、どこか計算された「リアルな女子大生」ファッションで現れ、「あんじゅのビームで、圭佑さんのハート、狙い撃ちっ♡」と可愛い声で言い放ち、俺は思わず胸を押さえた。

 元コンカフェ嬢の夢野まりあは、ピンクと白を基調とした、フリルとリボンが満載の『量産型』ファッションで登場。「圭佑お兄ちゃんの妹枠、狙ってます♡」と、あざとく小首を傾げ、計算され尽くした上目遣いで俺を射抜いてきた。

 そして、リクルートスーツに身を包んだ相沢詩織は、静かに言った。「私のスーツ、どうかな? バーテンダーのバイト経験があるので、カクテル作りなら、誰にも負けません」その意外な自己PRに、俺は興味を惹かれた。


 7人の応募者が、終わった。

 そして、最後に現れたのは、佐々木美月だった。

 彼女は、俺たち審査員と、他の応募者たち――その中に相沢さんがいることを完全に認識しながらも、一切動じることなく、挑戦的に微笑んだ。

「神谷さん、お久しぶりです。…今日の私のスーツ、あなたの好みだと嬉しいのですが。昔の配信で、OLが好きだと仰ってましたから」

 その言葉に、俺はかつて製氷工場で、彼女と相沢さんが談笑していた光景を思い出していた。

 続けて彼女は、涙ながらに、完璧な「後悔」と「償い」の物語を語り始めた。

「私は…掲示板であなたを誹謗中傷し、深く傷つけてしまいました…。あなたの、その眩いばかりの才能に、嫉妬してしまったんです…! どうか、もう一度だけ、あなたの隣で、あなたを支えるチャンスをください…!」

 そのあまりに感動的なスピーチに、会場は同情的な拍手に包まれ、莉愛ですらもらい泣きしている。


 しかし、俺だけは、その光景を、氷のように冷たい目で見つめていた。

 彼女の応募動機は、そんな単純なものではない。俺という最高の「作品」を、自らの手で完成させたいという支配欲。そして、俺自身への、歪んだ執着。その瞳の奥に渦巻く、どす黒い感情を、俺の「神眼」は見抜いていた。


 その、感動的なスピーチの、途中だった。

 応募者席に座っていた相沢詩織が、静かに、しかし凛とした声で立ち上がった。

「――嘘を、つかないでください、佐々木さん!」

 相沢は、スマホを取り出し、その画面を佐々木さんに見せつけた。そこには、彼女と田中がカフェで密会している写真が、はっきりと写っていた。

「これは、匿名の捨て垢から、私のアカウントに送られてきたものです。あなたの元先輩だから、私にはわかります。…これは、紛れもなく、あなたよ!」

「あら、相沢さん。そんなもの、どこから拾ってきたのかしら?」佐々木さんは、なおも平静を装う。


 玲奈が、冷たく言い放つ。

「佐々木さん。私たちのアカウントにも、同じタレコミがありました。その写真と、そして――あなたが、全ての元凶である**『月影』**であることもね」

「……あはっ」

 佐々木さんは、突然、乾いた笑い声を上げた。

「あはははははははははっ!!」

 彼女は、それまでの悲劇のヒロインの仮面を脱ぎ捨て、狂ったように笑い続けた。

「バレちゃあ、仕方ないわね。そうなのよ、私が『月影』! 私が、この子をここまで育ててあげたのよ!」

 彼女は俺を指差す。「昔、付き合ってた彼氏が、売れないアイドルでね。私のプロデュース能力が足りなくて、彼をスターにしてあげられなかった。壊しちゃったのよ。そんな時に、見つけたの。神谷圭佑っていう、最高のおもちゃを!」

「だから、最高の舞台を用意してあげたの! アンチが沸けば、炎上すれば、スターになれる! 私の理論は、間違ってなかったでしょ!?」


 俺は、その狂気の独白を、静かに聞いていた。そして、ポケットからスマホを取り出し、彼女に見せつける。

 画面には、ゲリラ配信中の、天文学的な同接数が表示されていた。

「悪いな、佐々木さん。……始めから、全部、配信してたんだ」

「なっ……なんですって!?」

「――正体、現したな」

 俺のその一言を合図に、ホールの扉が勢いよく開かれ、執事の爺とSPたちが雪崩れ込んできた。彼らは、一切の躊躇なく佐々木さんを取り押さえる。

 連行される途中、彼女は、俺と、そして配信カメラに向かって、最後の捨て台詞を吐いた。

「田中! あんたも見てるんでしょ! あんたも終わりよ!」

 その声は、どこかの部屋でこの配信を見て震えているであろう、哀れな共犯者に向けられた、呪いの言葉だった。


 その、あまりに劇的な「公開処刑」の様子は、瞬く間にネット上で切り抜かれ、拡散された。

 俺は、この日、自らの手で、最初の悪魔を地獄へと突き落とした。


 佐々木美月という悪魔が連行され、熱狂と狂騒が過ぎ去った夜。

 合格者となった7名の少女たちもそれぞれの家路につき、静けさを取り戻したリビングで、俺と玲奈、莉愛は、大型テレビで流れるニュースをぼんやりと眺めていた。


 そこに映し出されたのは、衝撃的なニュースだった。

『人気女優・北条マキさん、ネットでの誹謗中傷による心労が原因で、無期限の活動休止を発表』

「え、この人、私好きだったのに…」莉愛がショックを受けたように呟く。

 俺も、テレビ画面を睨みつけ、ポツリと、しかし強い悔しさを滲ませて言った。

「……俺、この人のドラマ、毎週見てたのに……」


 続いて、コメンテーターが「先日、誹謗中傷に対する法改正が行われ、厳罰化が決定しましたが…」と語り始める。

「法ができたって、声を上げられない奴らがいる」俺は、吐き捨てるように言った。「弁護士を雇う金もなくて、ただ誹謗中傷に耐えてる連中が、ごまんといるんだ。結局、この世は『金』なんだよ」

 玲奈が、俺の言葉に、そしてその瞳に宿る怒りの根源に、ハッと息を呑む。彼の怒りは、もはや佐々木個人に向けられたものではなかった。この社会に蔓延る、匿名の悪意そのものに向けられていた。


 俺は、リモコンでテレビを消すと、決意を固めて、玲奈と莉愛に宣言した。

「俺は、アイドルグループを作るだけじゃ、満足できない」

「事務所とか…?」莉愛が、きょとんとした顔で聞き返す。

「そうだ。『事務所』を設立する」


「俺みたいに、才能はあっても、金やコネがなくて、匿名の悪意に潰されていくクリエイターたちを守るための、『箱舟』を」

「法律が救えない人間を、俺が救う。俺の好きなエンタメを、これ以上、くだらない悪意で消させないための場所を作るんだ。――それが、『K-MAX CREATE』だ」


 その、王の決意表明を聞き、莉愛の顔が、みるみるうちに輝いていく。

「なにそれ! めっちゃカッコいいじゃん!」

 そして、彼女は俺の胸をポンと叩きながら、少し怒ったように、しかし最高の笑顔で言った。

「でもね、圭佑くん! それは、圭佑くん一人の戦いじゃない! 私たちも、お姉ちゃんも、皆、見えないところで戦ってるんだからね! 忘れないでよ!」


 その言葉に、俺はハッとした。そうだ、俺はもう一人じゃない。

 隣で、玲奈が、まるでその言葉を待っていたかのように、美しく、そして不敵に微笑んだ。


「素晴らしい決意よ、神谷さん。そして、莉愛の言う通りよ。いつまでもこんな秘密のアジトに隠れているわけにはいかないわね」

「あなたの『箱舟』に相応しい、新しい『城』を用意しましょう。世間に対して、私たちが何者であるかを、正々堂々と見せつけるための、公の舞台を」


 玲奈のその言葉は、俺たちの戦いが、水面下の復讐劇から、世界を相手取る、公然の「戦争」へとステージを上げることを告げる、号砲のようだった。

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