90年代は「キャンセル」されるべきなのか?|佐々木敦『90年代論』第9回
香山リカの根本敬論
精神科医の香山リカが2019年に『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』という本を出版しています(版元は『Quick Japan』や村崎百郎と根本敬の共著『電波系』を出した太田出版です)。副題にあるように、これは根本敬の世界をトータルに論じた現時点で唯一の書物です。追って述べるように、かなり込み入った内容の本なのですが、この本は「根本敬論」であるだけでなく、「ヘイト」を生み出し「悪趣味」が流行し「サブカルチャー」が変質し(て「サブカル」になっ)ていった時代を、根本の作品を通して(自己)反省的に問い直すものでもあります。
香山リカは、1980年代前半、まだ医大生だった時に、当時「自販機本」と呼ばれていた街中の自動販売機で売られていた成人向け雑雑「HEAVEN」の編集/執筆者として登場しました(リカちゃん人形と同じ「香山リカ」は、もちろんペンネームです)。「HEAVEN」はその前身に当たる「JAM」の頃から、総じてサブカルチャー色の濃かった自販機本の中でも一際ユニークな誌面作りで知られていました。
なぜ、いわゆるエロ本の一種である自販機本とサブカルチャーが結びついたのか。これは自販機本に限らず、ある時期までのエロ本全般に言えることですが、雑誌としてのいちおうの体裁を整えるためにはエロ本といえども読み物記事が要る。しかしそれはいわば捨てページなので、逆に言えば編集者が好きなことをやれる、そこでカルチャー/サブカルチャーに関心が深い、また人脈的にもそうした面々が挙ってエロ本、自販機本に結集していった、というわけです。
本連載の歴史的枠組みから外れるので詳しくは述べませんが、「HEAVEN」には香山リカの他にも、ガセネタ~TACOの山崎春美、中森明夫、田口賢司とともに「新人類」と呼ばれた野々村文宏、ブックデザイナーの祖父江慎など、多彩な才能が参加していました。自販機本以外でも、当時ロリコン漫画雑誌「漫画ブリッコ」の編集者だった大塚英志が起用した中森明夫が、同誌のコラムで「おたく」というワードを生み出したのは有名な話です。
つまり香山リカは「80年代」という雑誌とサブカルチャーの爛熟期、いまだそれらがアンダーグラウンドな世界と親密な関係性を有していた時代に現れて、精神科医となってからもメディアへの露出を絶やすことなく長年執筆などの活動を継続してきた人物です。サブカルチャーからサブカルへ、そしてそれ以降の変化と変容の同時代的な証人のひとりと言ってよいでしょう。では、そんな香山にとって、根本敬とはいかなる存在なのか?
カルチャーは「キャンセル」できるか
香山の根本論の射程は非常に広く、『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』に書かれてあることもけっして単純ではありません。しかしこの本が2019年、つまり2010年代=テン年代の終わりに出されたことは極めて重要だと思います。香山が同書で取り上げている根本の作品は80年代~90年代に書かれています。なぜ、数十年も経ってから敢えて根本を論じようと思ったのか?
その動機について香山は、フランスの画家バルチュス(特異な哲学者/文学者ピエール・クロソウスキーの実弟でもあります)の受容の変化に仮託して述べています。バルチュスの作品には少女の未成熟なエロティシズムにフォーカスしたものが多い。香山は80年代に日本に紹介されて以来、バルチュスの絵画に魅せられてきたといいます。しかし2014年に東京都美術館で開催されたバルチュス展を観に行った際、こう思ったのだそうです。
下着もあらわな少女の姿を見て「これを今の社会状況でどう受け止めればよいのか。何か問題になるのではないだろうか」と一抹の不安を抱いてしまった。その後ツイッターで「バルチュス展」を検索すると、はたして「生理的にあれはダメ」「芸術だと言われても受けつけられない」といった否定的なつぶやきもいくつかあった。
この記述の前には、2017年にバルチュスの代表作『夢見るテレーズ』のニューヨークのメトロポリタン美術館の常設展示からの撤去を求める署名活動が行われている、というニュースへの言及もあります。なぜ、そのような変化が起こったのか?
それは、社会の側が求める倫理のハードルが上がったからだ。
表現の世界をめぐる倫理は、今日「ポリティカル・コレクトネス」と呼ばれることがある。「ポリティカル・コレクトネス」はアメリカを中心に「社会的弱者への偏見を正す動き」として90年代に入って大きく注目されている考え方である。つまり、近代社会は「西欧、白人、男性、成人」を中心に形成され、そのもとで西欧、白人、男性中心の価値観が強化されてきた。しかしその結果、人種や性別、年齢などに基づいてさまざまな偏見や差別が生じ、不利益を被ってきた集団が存在している。それを修正するためには、まずはこの「西欧、白人、男性、成人」中心の価値観を是正し、それに基づくと思われる言語表現などを積極的に規制したり修正したりする必要がある。それがポリティカル・コレクトネスと呼ばれるものだ。
念のために繰り返しておきますが、香山の本は2019年の出版です。この時点ではまだポリティカル・コレクトネス(ポリコレという略称は好きではないのでPCと略します)は、日本においてこのような紹介を必要とする言葉であったわけです。それはともかく、2010年代の半ばにアメリカから始まったPCの波は、美術史に残るバルチュスのような画家の作品にも異議を唱えるようになっていきました。香山は根本敬の表現に対しても、当時の受け入れられ方ということだけではなく、テン年代の終わりのPC以後の観点からあらためて見た時に、果たしてどうなのかを考えようとしたのです。
香山の文章中にはまだ出てきてませんが、バルチュスへの抗議運動のようなことは、現在では「キャンセル・カルチャー」と総称されています。根本敬は、悪趣味は、サブカルは、90年代は、キャンセルされるべきなのでしょうか?
価値相対主義の時代
香山は根本論の第3章「差別論」で、90年代に相次いで出た根本敬の著書『因果鉄道の旅』と『人生解毒墓場』を論じています。前者は1993年、後者は1995年の出版です(前回を参照)。香山はこの二冊が「人権や個人情報の保護といった観点はほとんどないまま、自分が注目した人物を一方的な視線で取り上げて描き出す」と書いたあと、すぐに続けて「私はつい「個人情報保護の観点がない」などと記してしまったが、実は「個人情報保護法」と略称される法律ができたのは2003年のことなので、『因果鉄道の旅』などが出版された90年代半ばにはそれはまだ影も形もなかった。というより、 この法律ができてからそれが世の中に浸透したのは2000年代も後半に入ってからだったのではないだろうか」と言い添えています。
つまり、根本が人間観察の単行本を次々、出版した90年代はじめから半ばにかけてと、2000年代後半とでは、個人情報や社会的道義に関する考え方がガラリと変わった、と言える。この点を見逃していまの視点から根本の著作を読み直すと、単に病人や変人、あるいは一般市民の私生活を暴きたて、一方的におもしろおかしく描いただけの、まさに “悪趣味な文章” に見えてしまうのである。
ある作品を論じるときに、それを「いま」という時代や社会に置いて見るべきか、それともあくまでそれが創られ発表された時点の社会に置いたまま、論じる者がその時代に “タイムスリップ” して鑑賞するべきか。
これはとてもむずかしい問題だ。いや、その時代には評価されなかった作品に「いま」の時代から光をあてて、再評価することはよく行われているし、それに抵抗を感じる人はいないだろう。(中略)
しかし、逆はどうだろう。それが作られた時代には「新しい」「すごい」と評価され人気を得て、その後、「けしからん」「くだらない」などと価値がネガティブに転じた、という作品や作家も、有史以来、無数にあるに違いない。何百年という長大な時間がたてば再び発見され、評価されることもあるかもしれないが、20年、30年といったある意味で半端な時間で評価がマイナスの方向に変わったものの場合、それを私たちはどう取り扱うべきなのだろう。
ここでの香山リカの自問を私も共有します。これは本当に難しい問題です(そしてこれは本連載の最重要テーマのひとつです)。しかし、まずは先に進みましょう。
香山はこの本で、書名に入っているように「悪趣味」ブームと村崎百郎、そして根本敬らの『ディープ・コリア』についても論じています。それらにかんしても常に問題にされるのは、すでに見たような「当時」と「今」の社会風潮の違いです。香山は医師を目指しながら「HEAVEN」にかかわっていた自らの過去を回顧しつつ、90年代に「悪趣味」や「サブカル」といったかたちで表面化する心性の淵源が、日本の戦後最高の好況期であり、「ポストモダン」とも呼ばれた80年代にあることを、浅田彰の『逃走論』などを援用しつつ証し立てていきます。あらゆる事象が記号化され、等価として扱われるポストモダンの価値相対主義の行き着いた先が90年代の文化的状況だったのであり、前回触れたような(現在の視点からすると明らかに反社会的とも言えるような)さまざまな事案も、常識やタブーへの挑戦として肯定されていったのだということです。
そのような中で、過激なエログラビアも、天皇も、フランスの現代思想も、「若い根っこの会」(引用者注:社会運動家の加藤日出男が1959年に創設した、集団就職で都市部に出てきた地方出身の青年の交流組織)も、すべて同じステージに上げられ、おもしろがられたり笑われたり感心されたりしていたわけだ。それを一部の人たちは「タブーを破る」と言っていたのだが、そこにはそれをするだけの信念やロジックがあったわけではなかったように思う。
「悪趣味」受容の条件
しかし香山は自己反省も踏まえつつ、けっして「80年代~90年代」を全面的に否定しているわけではありません。根本敬の表現に対しても、彼女は本が書かれたテン年代末の観点から一方的にキャンセルするような主張はしていない。孫引きになりますが、香山は根本の次の発言を引用しています。
90年代の悪趣味ブームを支えていた人たちっていうのは教養があって知的な人が多かったし、読んでいる方も「行間を読む」術は自ずと持っていたと思うんですよ。
それに「影響受けました!」っていう第二世代、第三世代が出てくるにつれどんどん崩れて、次第に単に悪質なことを書いてりゃいいや、みたいな “悪い悪趣味” が台頭してくるようになる。だいたい趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね。
村崎さんにしろ、オレの漫画にしろ、結局世の中がちゃんとしていてくれないと、立つ瀬がないわけですよ。でも、世の中がどんどん弛緩していっちゃって、 もう誰もがいつ犯罪者になるのか、わからないような状況になっちゃったのが鬼畜ブームの終わり以降。とりわけ1996年代(ママ)終わりからここ数年、特に激しいじゃない?」
2010年に自称読者の男に刺殺されて没した村崎百郎(黒田一郎)の追悼本に収録されたインタビューです(ここで語られている「趣味」の問題は前章で取り上げた「モンド・ミュージック」とも関係していると思います)。「1996年代終わり」は「1990年代終わり」の誤植でしょう。つまり、根本や村崎が注目された90年代半ばから、このインタビューが収録された2010年まで、そして香山が根本論を執筆したテン年代末までの、おおよそ四半世紀の時間が、「悪趣味」と「サブカル」への評価を変えたのだということです。
根本の発言を受けて、香山もこう述べています。
つまり、「すべては等価」を基調に「何でもあり」のポストモダン風味、悪趣味風味にして質の高い作品を作品として楽しみ、決してそれを差別や攻撃という形で現実には持ち込まないようにするためには、根本の表現を借りれば受け手の「教養や知性」、あるいは「世の中がちゃんとしていてくれないと」という社会の側の条件が必要になるのだ。それがないと、作品の中のロリコン、エログロ、差別やひどい場合には殺人などをそのまま現実で実行しようとする、といった恐るべきことが起きてしまう。
そして「いま根本が漫画を描くとしても「生きる」のような作品には到底、ならないだろう。それは決して、世の中が「これはいじめだからNG」「これはセクハラだからダメ」といわゆるポリティカル・コレクトネスを振りかざしてくるようになったからではない。根本の描くような作品を下支えしてきた社会が、すっかり衰退してその力を失ってしまったからと考えるには無理があるだろうか」と香山は問いかけています。
「キャンセル」される文化は「悪」なのか
丸々一章分を割いた『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー』第4章「『ディープ・コリア』論争2018」でも、香山はほぼ同様の論旨を展開しています。そもそも根本論を書くに至ったきっかけのひとつに、2018年にTwitter(現X)上で巻き起こった『ディープ・コリア』をめぐる一連の論争があったことは香山自身も認めています。
論争の細部にまでは立ち入りませんが、簡潔に記せば、それは「『ディープ・コリア』はヘイトスピーチの引き金(の一つ)であったのか」という点をめぐる論争でした。ヘイトスピーチは2010年代に入って日本でも社会問題化し、2016年には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」が施行されています。この論争は『ディープ・コリア』(とそれに続く「幻の名盤解放同盟」の一連の書物)が韓国と韓国人に対する差別意識を助長もしくは発現させるものであったのか否かを問うものであったわけです。
そして、ここでも香山は「根本の特定の作品を(中略)突然、現代の中に置き、「ここには差別の萌芽があった」とするのはあまりに無謀なことなのではないだろうか」と根本らへの批判に疑義を呈しています。香山はまた、根本の漫画や『ディープ・コリア』が差別者によってヘイトに利用されてしまう危険性は認めつつ、日本社会の一部でそうした動きが顕在化していくとともに、根本が漫画から絵画に表現の軸足を移し、かつてのような作品を発表しなくなったことにも触れています。
根本論の結論部と言ってよいところで、香山は「「根本敬はヘイトの源流なのか」と延々と議論しても、その答えが見つかるわけではない」と述べています。
(…)作品が書かれたのは80年代から90年代にかけてであって、それを取り上げていまの基準で是非を論じることに意味があるのかどうかも、さだかではない。(中略)「いまなら本気のヘイトがあふれているからダメだろう」としか言いようがない。しかし、時をさかのぼって「80年代であっても、やっぱりあれは世に出るべきではなかったのだ」などと作品を正から負へと評価し直すというのは、ナチス時代のヒットラー礼賛作品などよほどの例外ではない限りやるべきではないと考える。
香山は「根本には、いつも表にはなかなか見えない時代のいちばんデリケートな部分を取り出して描く、特殊漫画家でいてほしい」と論を結んでいます。
香山リカのスタンスは明確だと思います。根本敬を擁護するというよりも、時代の変化に伴って価値観の変容が起こり、根本の一部の作品に向けられる視線も享受や許容から非難や告発に移動した。もちろん香山も本の中で紹介しているように『ディープ・コリア』にはリアルタイムでも批判はあった。これは根本に限らずあらゆる「キャンセルされる」表現や言説についても言えることだと思います。では当時は否定的意見が少数だから許されていた、ということなのか? ここが難しい問題です。一つ目の答えとしては、それはイエスです。なんだか後出しジャンケンが連続しているみたいになってしまいますが、香山が根本論を著してから更に6年が経過した2020年代半ばの現在からすると、香山の論調には甘さも感じるのは事実です。それはやはり、香山が「時間差」を意識しているから、彼女としては意識せざるを得ないし、それゆえに意識し過ぎているとも言えるから、ということになるのではないかと思います。
時代を論じるとは何をすることなのか
香山リカの根本敬論の特色は、彼女自身の半自伝的な要素がかなり入っていることです(この点で同書は『ポケットは80年代がいっぱい』(2008年)と同じ系列の本と言えます)。香山は1960年生まれ、根本の2歳年下で、ほぼ同世代です。香山は根本敬を登場した時点から知っていた。80年代~90年代を同時代的に過ぎ越してきた香山がテン年代の終わりに論じる「90年代の根本敬」は、その時代を全く知らない、より若い世代の誰かの目に映るそれとは、大きく異なるものであることは想像に難くありません。かくいう私も香山や根本より数歳若いだけなので、このことを実感を持って考えてみることは簡単ではない。そして「キャンセル・カルチャー」とは、まさにこのことに深くかかわる問題なのではないかと思うのです。つまり「時間差」です。
私はいま、2025年の7月に「90年代」を論じている。私は1964年生まれです。ある特定の時代を論じるということは常に、生まれた時と、対象とする時と、論を立てている時との関数によって、そのあり方が少なからず変化することをどうしても避けられません。そして、そのようにして書かれた論もまた、その後の時間経過の中で読まれ方が刻々と変わっていくことになる。それは、そうならざるを得ないという意味で、いわば時代論の宿命です。
香山リカの根本敬論は、根本というひとりの表現者を通した「90年代サブカル論」でもあります。私たちが考えるべきは根本が「キャンセル」に値するかどうかではなく、彼の表現と作品がその一部として組み込まれた「90年代」を、あくまでも現時点から、どう捉え直すのか、ということです。だがそれと同時に、それは「あくまでも」と言いつつ「とりあえず」でもあり、そうであるしかない。このことも重々承知した上で、論を紡いでいかなくてはならないのだと思います。
90年代の最初の年である1990年に『別冊宝島:80年代の正体!』というムックが出ています。その副題(?)には、こんな文言が踊っていました。「それはどんな時代だったのか ハッキリ言って「スカ」だった!」。
この「80年代はスカだった!」という言説は今も時々言及されることがありますが、同じ言い方で「90年代はスカだった!」という評言もあり得るのかもしれません。もちろん80年代が終わった途端に「スカ」呼ばわりするのは安易なキャッチコピー以外の何ものでもないですし、まがりなりにも一つのディケイド=10年間を「スカ」などという下品な断言で総括するのも甚だ不十分かつ無意味だと言えますが、それは重々承知した上で、それでもなお、いわば「90年代=スカ説」をマジで相手取っていく必要があるのだと、いま私は感じています。香山リカの根本敬論が教えてくれるのは、このことです。しかしそれはもちろん、けっして擁護でも弁解でもありません。私がしたいのは、するべきだと思うのは、今の時点から、90年代はスカだった! と思ってしまうようなさまざまな事象を、ひとつひとつ再検討してみることです。
繰り返しますが、そこには一種の遠近法的倒錯がある。たとえば「1995年」は、2000年に論じられるのと、2010年に論じられるのと、2020年に論じられるのと、2025年に論じられるのとでは、必然的に、不可避的に、見え方が、論じられ方が違ってくる。
というわけで、次回はいよいよ、90年代の真ん中、1995年の話です。
(つづく)
佐々木敦(ささき・あつし)
1964年、名古屋市生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。多目的スペースSCOOL運営。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。早稲田大学、立教大学などで教鞭もとる。文学、映画、音楽、演劇など、幅広いジャンルで批評活動を行っている。『ニッポンの思想 増補新版』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『映画よさようなら』(フィルムアート社)、『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『「教授」と呼ばれた男 坂本龍一とその時代』(筑摩書房)など著書多数。最新刊は『「書くこと」の哲学 ことばの再履修』(講談社現代新書)。





コメント
190年代の悪趣味モノ商売に関わった人の中に後に別の分野でいい仕事をした人もいたのかもしれませんが、そういう人はあんなものが無くてもいずれ出てきたでしょうし、やらなくても良い商売だったと思いますよ。たまたま楽に儲けられたからやってた人たちがいたただけじゃないですか。