「私だけが生き残って、恥ずかしかった」 “海の特攻”マルレ 80年隠し続けた元隊員
■破かれた軍隊手帳 特攻隊と知られると…
内野さん
「(フィリピンに行った二中隊は)1人も残らずに死んだ。一つは1人も死なずに生き残った。いくら運命とはいえど、あまりにもひどいね。ひどいよ。戦争はいかん。戦争するのはいかんよ。やっぱりね」
内野さんの軍隊手帳には破られたところがある。軍人勅諭などの他に、特攻隊であったことが分かるような内容の箇所がなくなっていたという。
内野さん
「特攻隊だったやつは戦犯として連れて行かれるとか、そんなウワサがいっぱい流れていた。本当にウワサですよ。疑心暗鬼」
内野さん
「終戦になって、引き揚げ船を高雄で待っているときに(戦隊長が)訣別の辞を書いた。その中の『特攻』という言葉は消えているんですけれどね。(戦隊長が)わざと消してある。あとで入れておけと。あとで自分たちで『特攻』と入れろと。『特攻』という言葉を消してある。そこまで気をつかっている。疑心暗鬼ですよ、負けた人の」
マルレに乗っていたことを内野さんが、娘や孫に打ち明けたのは去年、妻が亡くなった時。80年近く語らなかった理由はなんだったのか。
内野さん
「何で私だけが生き残って。それが恥ずかしかったんですよ、言うのは。『何でお前だけ生き残っているんだ』と言われる。『行かなかったんだろう』と。それが一つは怖かったし、『言うべきものではない』、『生きている者が何を言うもんかと、言うことができんぞ』と、私は(自分に)言い聞かせていた」
「しかし、それが腹にずっと80年たまっているでしょう。誰かが言わないと、これたち(戦友)が浮かばれないと思った。それで言う気になった。それまでは死ぬまで持っていくさ、自分でと思っていた」
「向こうに行ってから、あいつらに言ってやる。ご苦労だったな。俺も来たぞと思って、黙っていたけれど、しかしよく考えたら、惨めだぞ、ということを知らせないといけないと思うようになった」
「私は言ったらやっと胸のつっかえの重みが取れた。今からちょっとくらいは前向きに進まれるじゃろう」