「私だけが生き残って、恥ずかしかった」 “海の特攻”マルレ 80年隠し続けた元隊員
内野さん
「いよいよ出撃の時、もう船のエンジンはかかっていた。整備兵がエンジンをかけていた」
「我々が行くということは分かっていたから。船に乗る前にみんなを集めた、戦隊長が、『今から目をつぶれ。今から俺が言うことを冷静に受け止めろ。自分の思うことを遠慮せんでいい』と」
何を言われるのかなと思って、内野さんは目をつぶって聞いていた。
内野さん
「『お前たちは生きて帰ろうと思うか』と。生きて帰れるものかと思ったけれども『生きて帰ろうと思うか』と、こう言うんですね。誰でも思うさと、思ったけどね。しかし、それを今さら言われたってと思って。『生きて帰ろうと思う者は手をあげろ』と言うんですね」
手をあげればひどい目にあう―。そう思った内野さんは「あげんよ」と思い、黙っていた。
内野さん
「あげる者がいたら俺もあげてやろうと思って、じーっとしていたら、横もごそっともしない。音もしなかった。あげていないなあ…と思って『目を開けろ』と言われた。『分かった、お前たちの気持ちは分かった。全員生きて帰らんつもりだな』と」
内野さん
「そこにね、戦隊長が『生きて帰る』と言った。『生きて帰らないかん』『俺は生きて帰ろうと思う』と。『お前たちが全員死んで、俺も死んだら、誰が敵をやっつけたか、どれだけの戦果をあげたのか誰が言うのだ、誰も見ないんだぞ。(隊員にも)生きて帰れ』って言うんですよ。『生きて帰れ』って言ったってね、帰れるかいと思ったよ」
■沖縄まで行けず「戻る」 聞けないままの戦隊長の真意
内野さんたちが出撃するのは、方向から沖縄が目的地だとわかった。
内野さん
「出撃で出たのは出たけどね、1時間もいっていない。高雄港を出て。大波にやられてね、エンジンのかからないやつがいるんだ。それで隊長が判断したんでしょう。これは沖縄まで行けないと。『戻る。そして時期をみて出撃する』ということで、そこで運命が変わった。高雄に戻ってきた」
なぜ「生きて帰れ」といったのか。戦隊長の訓示の真意は聞くことができなかった。高雄から沖縄本島付近までの1000キロほどを簡素なボートで進み、船に突っ込むこの作戦に戦隊長が疑問を持った可能性もあると、内野さんは考えている。
内野さん
「戦隊長は陸軍士官学校出身の大尉だったもんね。結婚して間もなしだったから、27、28歳だったんじゃなかろうか。今はもう生きていないだろう。佐賀・神埼の人だった」
再出撃の待機中、内野さんは終戦を迎える。