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「私だけが生き残って、恥ずかしかった」 “海の特攻”マルレ 80年隠し続けた元隊員

2025年7月12日 8:03
「私だけが生き残って、恥ずかしかった」 “海の特攻”マルレ 80年隠し続けた元隊員

太平洋戦争末期、簡素なボートに爆薬を積み敵艦艇に向かった海の特攻、通称・マルレ。出撃すれば生還の見込みはほぼない。乗員に選ばれたのは当時10~20代の若者たちだった。家族にも元隊員だったことを話していなかった男性が戦後80年の時を経て当時のことを語った。

■昇級が早いから「親孝行ができるんじゃないかと」

長崎県佐世保市の内野藤義(ふじよし)さん(97)が見せてくれたのは、およそ80年前の自分の写真。「横着な顔をしているでしょう。それが中学の(軍に)行く前」。旧制中学3年の内野さんは、戦闘機パイロットに憧れた。

内野さん
「予科練(海軍飛行予科練習生)は不合格になった。甲種予科練をね。あとから船舶特別幹部候補生というのがあったから行ったけど、まず昇級が早い。それが一つの魅力だったんですね」

「幹部になるというのが、非常に私にはひっかかったんですよ。幹部になる。そしたら親孝行できるんじゃないかと」

16歳で内野さんは、船舶特別幹部候補生第一期生として陸軍に入隊した。

■生還の見込みなき特攻作戦「知らなかった」

内野さんが乗ったのは、ベニヤ板の簡素なボートに爆薬を積み、敵船へ突っ込んだ通称・マルレ。敵船のそばで爆薬を落として離れるが、巻き込まれるなどして生還の見込みはない、事実上の特攻作戦だった。アメリカ兵からは、「自殺艇」とも呼ばれていた。

内野さん
「結果的には特攻隊でしょうけれど、それは全然知らなかった」

「船舶兵となる以上は、船に乗るんだろう(ということ)だけだった。どの船に乗るか、それは全然分からない。船舶兵だから船の関係だと。ただ昇級が早いと」

「そしたら世間にも、家族にもよく思われるだろう。みんないいことじゃないか、ただそれだけ」

初めて見たマルレに、内野さんは心を奪われた。「速いんですよ。ばんばん走りよる」。あれに乗るのか、と憧れる気持ちすらあった。だが、その時は船に突っ込んで爆発すると思っていなかった。

内野さん
「(その後、マルレで)専門的に、特攻としての技術をたたき込まれた」

「前におる船に突き当たれって。船があったら扇形の鉄板が(船の先の方に)あるんですよ。それが相手の船のどてっ腹にドンと突き当たれば、そしたら爆雷がどんと落ちる。ゴロンと転んで、その爆雷が4秒したら、破裂するようになっている」

「それが私たちの仕事。その4秒の間に、我々の船が逃げろという事でしょう。4秒で逃げ切れるかね? 逃げられるわけないって。ベニヤ板の船が、船に突き当たって4秒も逃げ切れるか。不可能ですよ。突き当たったとたんに、船もバラバラになっていると思うよ」

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