「日本人」を「日本国籍者」と法的に定義するなら、何の問題もありません(尤も、帰化プロセスの精査は必要)。しかし参政党――に限らず日本人全般――には「国民」を民族主義的・文化主義的にイメージする傾向が強いので、「日本人ファースト」という方針には閉鎖的で偏狭な(右翼の)アイデンティティ政治を招来しかねない危うさがあります。従って、抑制的なコントロールが必要であり、望まれます。
しかし、この問題点から全体主義の危険は何十万海里も離れています。そこを嬉々として短絡し、参政党のことをナチズムだのファシズムだのと言い触らしている左派リベラル「論客」らの無知と幼稚さとデマ癖には呆れます。神谷宗幣はインタビューで、日本国内においても〝人間としては〟日本人と外国人は全く平等だと明言していましたよ。当たり前のことです。
「日本人ファースト」は、大多数の日本人(特に非インテリ)の胸に「刺さ」ったようです。それはなぜか?私見では、近年何かにつけて「日本式」や「日本人風」を「遅れている」と見下す「脱日本」のイデオロギーが勝ち誇り、その下で、「グローバルに活躍」している一部の勝ち組を除く「ふつうの日本人」の大半が、日々、経済的に生活を脅かされているだけでなく、心理的に個人的自意識と、日本人としての集団的自意識の両方を圧迫されているからにほかなりません。オーバーツーリズムと米不足が危機感に輪をかけました。