第10話 脱走する業人
順佑は部屋に引き篭もり、原文が稚拙である為に人工知能が添削しても尚、表現や文章の流れがまるで幼稚で、冗長な上に情緒に欠ける文体で綴られるおぞましい妄想をひり出していた。
いや、ひり出してさえいなかった。
ネットに公開した途端、ブリジョボプレイを運営していた頃から順佑を知っている者や、彼が使用している小説投稿サイトのユーザーなどから、至極真っ当な批判や低評価が相次いだ。
それがどうしても気に食わず、順佑は既に公開した文章の修正をひたすら繰り返していた。いや、修正していると思い込んでいたと言っていいだろう。低く評価されていることや批判を受けていることは理解出来ても、それらの内容を理解して自作に反映するだけの知能がないのだ。
結果としては改悪を繰り返したと言ってもよく、ただでさえ支離滅裂だった文章がますます訳の分からないものへと化けていった。
どんどん上手くなっているだで! これは名作だで! しかもただの名作じゃないだで! 神名作! オラのこれからの輝かしい未来まで示しているだで! ハーレム! ガチ恋達がオラを取り合う! アンチ涙目!
順佑は自己満足して悦に入るが、彼の書いた輝かしい未来とやらは、人類全てが順佑と同程度にまで知能が落ち、品性が欠け、筋の通っていない言動を繰り返す世界だ。地球が何らかの理由で、別の生命体に支配されてしまったかのようなポストアポカリプスめいた未来だ。
終末めいた世界で脳の一部が欠落しているような言動の主人公一味が趣味の悪い制裁や、読み手に何のカタルシスも与えない復讐を繰り返す様を稚拙極まりない文体で綴る――誰にも読む理由がないものを敢えて書いた文章は、一種の現代アートと呼べるかも知れない。
無論、狙って書いた訳ではない。順佑の目には、現実と変わらぬ世界を舞台に、自身が逆恨みする人物をモデルとした悪を、順佑が自己投影する主人公並びに彼を盲目的に慕う美女が裁くというシナリオが映っている。
「フシッ! にしし!」
気味悪く順佑だったが、新着コメントを確認して顔色を変えた。
『田中さんに復讐? って言うのが意味不明です。田中さんは何も悪いことしてないじゃん。あと、お尻の大きな婦警さんを制裁するシーンですが、主人公が生理的に無理です。酷いことされた復讐にお尻を触るって何なんですか。そもそも主人公に優しくしないから復讐するってのが意味不明です。この主人公、多分女子が一番嫌いなタイプです』
「だでええええっ!? こいつはネカマ! アンチ!」
順佑は狂気的に叫び、コメントを削除するなり修正だと思い込んでいる改悪に取り掛かった。まず田中については、自身が過去に犯した罪を擦り付けた。猫に玉ねぎ入りの食品を与えさせた。佐々木については、どうしても自分の分身である主人公に尻を触らせたかった為に、ガチ恋を装うアンチだという設定を追加して、尻を思う存分に撫でた後に主人公が正体を暴いて言い当てるというシーンを描いた。
無論、それらの変更は順佑の理想の物語をより悪文へと変化させた。
田中の件は余りにも唐突に挿入された為に、意味不明なものになっていた。喫茶店で焼くのに失敗した冷凍餃子を客に提供するというシーンから唐突に舞台が埠頭へ変わり、そこで猫にカレーを食わせるという支離滅裂な内容になった。佐々木の方はまだマシであったものの、彼女が実は敵であるという伏線が一切ないままに主人公が正体を暴くものだから、一層何の取り得もないのに周囲が無条件に褒め称えるという、読者に嫌悪感をもたらす構図となった。
「アンチは今頃悔しがってるだで! オラの才能に嫉妬して……にしし!」
順佑はほくそ笑むが、批判と低評価を知らせる通知が止むことはなく、それに対して逐一改悪を繰り返すという、時間をドブに捨てるような行為に耽ることとなった。
四十代という人生の折り返し地点に立っているとは思えない時間の使い方であるが、順佑は本気でこの駄文が自分の人生を逆転させると信じており、有意義であると思い込んで作業を続ける。
この、順佑の業と悪意と無才を凝縮したような呪物と呼んでも差し支えない読む者全てを不快にさせる世紀の悪文を、父親と田中が共有しているとは露も知らずに。
「やべぇよタツさん。いや、親御さんに言っちゃいけないかも知れないけど、やばいですって」
「ええで。ワシもヤバいと思っとるから相談に来たんや」
順佑の父は喫茶ぱにゃを訪れていた。書き入れ時は既に過ぎ、他に客はない。かりんは田荷島へ遊びに来ている天津姉妹に会いにいっている。
「逆恨みっぷりと、これを世間に公表して褒められると思ってる感性がこえー……」
「そうじゃろ。でも本当の問題はそこじゃない」
「と、言いますと?」
「こんなもん書いとる奴、まともだと思うか?」
「……正直、ノーです」
「じゃろう。それにな、あの業人、何故だか凄い頻度でこの小説もどきを書き直し取るんじゃ。しかも悪化していってる」
「それは……直そうとしても上手くいかない感じで?」
「もちろんそれもある。けど、問題は例えばこれじゃ。かりんちゃんをモデルにしたと見える女の子がおるじゃろ」
「ええ。俺をモデルにした悪徳喫茶店オーナーの田中に、奴隷として扱き使われ、夜な夜な道具にされてるっていう。あれ? 奴隷制があった時代の話でしたっけ」
「いいや。引き篭もりの狭い知見で現代日本を再現するとこうなるらしい。それよりな、段々と設定が変わっていってるんじゃ」
「確かに後から無理やり付け加えたような箇所がありますね。実は俺のガチ恋だったのだ、みたいな部分」
「最初はそんな設定なかったんじゃ。天津さん達の件、もちろん覚えてるな?」
「ええ。あんなん忘れられないですって」
「ワシはそれを危惧しとる。恐らく単純に、読者から受けた指摘を正している内にこうなったと思うんじゃが、ほら、あの時みたいに妄想と現実の区別が付かんくなったら……」
「かりんが自分に惚れていると思い込んで、強引に迫る可能性がある、と」
ずっと浮かべていた微笑がすうっと消え、田中が無表情になる。
その変化を順佑の父は見逃さなかった。
「……けど、そんなことにはならんようにしたい。だから甘えを承知で田中くんに相談したんじゃ。すまん」
「……」
田中はしばし無言のまま、外を眺めていた。彼の愛する田荷島の景色を。
やがて順佑の父を見て、にこりと笑った。
「まあ、まだ起こってもいないことを悩んでも仕方ないですよ。俺らが気を付けていれば多分大丈夫ですって」
「そうだと良いんやが……」
「まあまあ。それよりコーヒーのお代わりは……」
田中が言い掛ける中、スマホの通知音が響いた。順佑の父がポケットから取り出したスマホを確認するなり血相を変えて言った。
「あの業人、抜け出しおった!」
玄関に設置した人感センサーからの通知だった。
田中が表情を変えて、エプロンを脱ぎ捨てる。
「タツさん、俺かりんと天津さん達のところへ行きます。悪いけど、看板掛け変えておいてください!」
「あ、ああ! ワシもすぐアイツを探しに行く!」
順佑の父の返事も待たず、田中は外へ飛び出していた。
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