“都営”新宿線なのに、終点が「千葉県」にある根本理由
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唯一の県境越え地下鉄路線
都営新宿線は、都心を東西に貫く地下鉄路線である。東京に住む人にとって、日常的に利用する機会の多い路線のひとつだ。 【画像】「なんとぉぉぉぉ!」 これが50年前の「本八幡駅」周辺です! 画像で見る(計13枚) その東の終点は、東京都ではなく千葉県北西部・市川市にある本八幡駅だ。都が運営する地下鉄でありながら、県境を越えて隣の千葉まで延びている。冷静に考えると、やや異例な構造といえる。 全国の公営鉄道のなかで、都道府県の境界を越えて走る路線は、この都営新宿線だけである。本八幡駅は、 ・JR総武線の本八幡駅 ・京成線の京成八幡駅 と縦に交わるように配置されており、交通結節点としても独特な構造を持つ。 この路線が整備されたことで、市川市は船橋市と並ぶ首都圏のベッドタウンとして発展を遂げた。だが、都営新宿線が千葉県内まで延びている理由は、単なる利便性の追求だけではない。 そこには、千葉県がかつて描いた「未完の鉄道計画」が存在していた。
10号線計画の全貌と展開
都営新宿線の原型は、1968(昭和43)年に都市交通審議会が答申した「東京10号線」計画にある。この計画は、芦花公園(世田谷区)方面から新宿や靖国通りを経て、 ・市ヶ谷 ・神保町 ・須田町 ・浜町 を通り、住吉町方面へ至る路線だった。 当初の目的は、人口が急増していた江東区と江戸川区の交通網整備にあった。例えば江戸川区の人口は、1950年の国勢調査で20万8861人だったが、1965年には40万5139人とほぼ倍増している(2025年7月時点では69万6500人)。こうした急激な人口増加に対応するための計画が10号線であった。 1978年に岩本町から東大島間が先行開業し、その後順次延伸された。最後に篠崎から本八幡間が開業したのは1989(平成元)年である。この時点では本八幡駅は仮設駅だったが、1991年に本設化されている。なお、この頃から京王線の乗り入れも開始された。
千葉ニュータウンと鉄道計画
路線が本八幡駅まで延伸されることになったのは、1972(昭和47)年のことである。同年3月に都市交通審議会答申第15号が示され、10号線に新たな路線計画が追加された。そのなかに千葉ニュータウン方面へ向かう計画も含まれていた。 千葉ニュータウンは、高度経済成長期に開発されたニュータウンである。多摩ニュータウン、港北ニュータウンと並ぶ首都圏の巨大ニュータウンのひとつだ。 この千葉ニュータウンと都心を結ぶ鉄道として、ふたつの路線が計画された。ひとつは都営1号線(現在の都営浅草線)から京成電鉄の京成高砂駅経由で小室駅(船橋市)まで結ぶ路線。もうひとつは都営10号線の東大島駅(江東区)経由で新鎌ヶ谷駅(鎌ケ谷市)・印旛地区に至る路線である。このうちメインとされたのは後者だった。10号線の車両は大型で編成も長く、輸送力が高かったためだ。 1973年には東京都交通局と千葉県開発局長の間で覚書が交わされた。東京都が本八幡駅までを建設し、千葉県が残り区間を千葉県営鉄道北千葉線(仮称)として建設。完成後は直通運転を行う計画だった。千葉県は昭和初期まで県営鉄道を運営していた歴史もある(現在のJR久留里線、東武野田線など)。この計画は、数十年ぶりの県営鉄道復活を意味していた。 だが、1973年にオイルショックが発生し、計画実現に向けた動きは大きな打撃を受けた。建設費の高騰により、東京都側では一部工事の遅れや見直しが生じた。それでも工事自体は継続された。 一方、千葉県側では当初予定通りの建設が困難になった。とはいえニュータウンの建設は継続され、入居開始も1979年に迫っていた。そこで千葉県と宅地開発公団(現在の都市再生機構の前身)は、サブ路線であった小室~千葉ニュータウン中央間の工事に着手した。この区間は1979年3月までに新京成線の北初富~小室間として開業。現在の北総線となっている。
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