第9話 悪夢の小説
父親が順佑に対する一切の望みを捨て、子供の頃に聞いた化物の姿を息子に重ね見てから二週間余りが過ぎた。
ガチ恋、ガン突き、復讐。相変わらずそんな単語を鳴き声のようにボソボソと呟いてこそいるものの、生活に大きな異変はなかった。
順佑を揶揄し、罵倒する葉書などが届くことはあっても、それ以上の大きな被害はない。
父親の心は幾らかの安寧を得ていた。こうして自分が家に居れば順佑が勝手に出歩くこともない。外出時の対策も講じた。
田中のアイディアを受けて、スマホへ通知の届く人感センサーを玄関に取り付けた。父親が遠方に出ている際には田中が対応が引き受けると申し出てくれた。流石に気が引けると一度は断ったものの、田中の熱い言葉を受けて最終的には甘えることにした。
「俺は田荷島に住む人達も、ここを好きだって遊びに来てくれる人達にも、笑顔で居て欲しいんです。もし浜谷くんが悪いことをすれば、加害者となった浜谷くんやタツさんが辛い思いをする。もちろん被害者の方も。そんな悲しいことを防げるのなら俺はどこにだって駆け付けますよ。俺の夢だもん」
聴いている方が気恥ずかしくなって赤面してほどに青臭い台詞。だが、こんな若者が一人でも多く増えてくれればと願わずにはいられなくなるような台詞。父親の口元には自然と微笑が浮かぶ。
田中くんは本当に機転が効く上に実直で、心配になるほど優しい男だ。
順佑が迷惑を掛けたという姉妹とも何時の間にかすっかり打ち解けていた。その縁を頼って、謝罪の場まで設けてくれた。詫びれば許されるものではないと重々承知していたが頭を下げにいかずにはいられなかった。
喫茶ぱにゃにて邂逅した天津姉妹は、なるほど、順佑の気が触れたのも納得出来る器量の良い娘達だった。が、姉妹の真価は容姿でなく、その内面にあると父親には思えた。口調こそ、特に妹の方は砕けた調子だが、言葉の選び方には品位と知性が感じられ、所作の一つ一つが優美であった。聞けば社長令嬢とのことで深く納得したのを思い出す。
微笑を浮かべたままタブレットを取り出し、ヴーチューブを開く。
田中が運営するチャンネル「喫茶ぱにゃの日常」を見るのが、この頃の楽しみであった。
「田中・マックス・クリエイト! どう!?」
「なにそれダッサ! キモ! てか意味フで怖いわ!」
田中とかりんによる夫婦漫才のようなやり取りを経て、最終的には今のチャンネル名に落ち着いた。その現場に居合わせていた父親は思い出し笑いをしつつ、新着動画の有無を確かめた。
『喫茶ぱにゃ、新制服選手権! 第一回「割烹着」』というタイトルの動画がアップロードされていた。
「こんちはー! 喫茶ぱにゃの田中です!」
「ど、どうも、かりんです」
チャンネルの運営を始めたばかりの頃は、顔を出すことを恥ずかしがって拒んでいたかりんだが、天津姉妹から動画栄えする化粧方法や立ち振る舞いなどを学んでからは、こうして顔を出して出演している。
「えーっと今日はですね、喫茶ぱにゃの新しい制服を考えていきたいと思います!」
「うん……いや待って、新しいって何?」
「今はホラ、この無地の白Tシャツが制服だから」
「それただのお兄ちゃんの趣味でしょ」
「違うよ? これはな、汚れてしまうことを恐れずに前へ進み続けるっていう俺の……」
「あー! はいはいはい! 企画、企画いくよ! なんか制服用意してるんだって?」
「そっ。まあね、そんな訳でかりんに新制服を試着してもらって、リスナーのみなさんに評価してもらおうって企画。それじゃあ早速だけどよろしく!」
と、ここで画面が暗転し、「着替え中」というテロップが表示される。
程なくして画面が戻り、割烹着を着たかりんの姿が映し出される。
「ちょっと……なんか恥ずいんだけど……変じゃない?」
変だとは思わなかった。父親は寧ろ、今風の若い娘が割烹着姿でもじもじと恥らう姿に年甲斐もなくときめいたことを認めていた。それはもちろん、自分の娘よりも若いかりんに対して邪な感情を抱いた訳ではなく、自身や、今は娘夫婦と遠方で暮らしている妻の、若い頃を思い出しての反応だ。
他の視聴者からの評価も上々だった。
『照れてて可愛い!』『似合う似合う! ありだよ!』『若い子の割烹着姿たまらん』『デコちゃんかりん出てて今日も可愛いね』『前髪短いの好き』「田中も割烹着になって毎日俺に味噌汁作ってくれ!』『今日はこれでいいか』『第一回ってことは次もあるんだよね? 楽しみ!』『今度お店に遊びに行きます!』等々のコメントが書き込まれていた。
少々品のないコメントもあるが、概ねほっこりする内容だ。父親は微笑ましく思いながらコメントを読み進めていたが、その手が不意に止まる。
『警告:50点……。何万ものネットコンテンツを見てきて『神眼』を得たプロデュース王のオラは地雷系の服をオススメします』
順佑によるコメントに違いなかった。
微笑ましい気持ちから一転し、怒りと落胆が込み上げて来る。
『分かってない』『感性が哀れ』『これブリだろ。働け』『ほならね、自分で着て地雷系中年無職童貞爆誕させてみろって話でしょ?』順佑への返信コメントに目を通すと幾らか溜飲の下がる思いがしたものの、暗い気持ちは晴れない。
ここしばらくは葉書が届く頻度も落ちていたし、内容も目新しいものはなかった。それはつまり、順佑がネット上で悪さをしていなかったことを意味する。少しでも変なことを口走ったりすれば、すぐさま嫌がらせの葉書へ反映されるからだ。
だが、今こうしてヴーチューブに書き込みを行なっている。
あの業人、また訳の分からんことを始めたんか?
SNSを開き、順佑が使っている『ブリ』の名で検索を掛ける。
「小説……?」
AIの補助を受け、著者の魂と人生を掛けた最高傑作! ネットの悪意によって心を壊され、社会から追放された神崎圭平。親にも見捨てられて絶望の底にいる彼は、しかし、女を道具として扱う男を許さない正義の心を持ち続けていた。ガチ恋令嬢の力を借りて、悪徳喫茶店のオーナー田中に騙されている女子を救い出したのを皮切りに、自分を冒涜した全ての人々への復讐を始める。
「なんや……これ……一体……」
本文を軽く読み進めると、眩暈がして来た。
順佑が極度の他責思考の持ち主で、常々他者を羨んで逆恨みしていることは知っていた。その自覚がないことも当然分かっている。だが、ここまで醜悪な性根の持ち主だとは知らなかった。
父親はそれなりの読書家だ。古典名作は一通り読んでいたし、今も定期的に新作を買って読んでいる。だから分かるのだ。どれだけ剛の者であっても、その人の心根や主張といった作者の「におい」を消すことは困難だ。最初から自身の主張を題材としている小説もあるが、そうでない場合にも、例えば本筋とは関係のない枝葉の部分に偏狭であったり差別的であったりする思想が見え隠れするというのは多々ある。
順佑の書いたものはどうか。何年も修練を積んだ文豪でさえ必死になって隠そうとしても隠し切れずに漏れ出てしまう負の部分。それを隠すどころか前面に押し出している。いや、そもそも負の部分しかないのだ。
自己投影しているであろう主人公が脈絡もなく才能を開花させ、天津姉妹を表面上だけ模した若い女性が知性の感じられない陳腐な賛辞を送る。安くて浅ましいとしか思えないが、これが順佑の理想なのだろう。
才能を使って復讐を果たすというのだが、本文内から推察される範囲でさえ、逆恨みとしか思えない。その逆恨みを正当化しようとしている節があるのだが、そのせいで登場人物の言動はちぐはぐで支離滅裂だ。
「頭おかしなるで……」
呆然として呟いた。非常に難解であった日本三大奇書の読了後でさえ、こんな気分にはならなかった。
「そもそも、社会から追放されたんやなくて、お前が勝手に逃げ出しただけじゃろ」
順佑が書いた間抜けなあらすじに対してのツッコミを入れる。自分で言っておいて少し可笑しくなった父親は苦笑したが、これは注意すべき事案だ。
順佑がネット上で悪さをすればアンチも活性化する。加えて、このおぞましい小説のような何か。書くことと読むことは表裏一体だ。こんなものを書いていれば必ず頭がおかしくなる。大人しく妄想の世界へ逃げ込んでじっとしているだけならともかく、これは、この業人の文章は必ず精神に悪影響を及ぼす。
自身の妄想に毒されて狂った順佑が何をしでかすか分かったものではない。
「毎度のことで申し訳ないが、田中くんにも情報を共有して、相談に乗ってもらうか……」
とは言えまずは情報を整理しなくてはいけない。その為にも少し頭を休めよう。そう考えて何気なく点けたテレビの画面にはビジネスに関する話題を扱った番組が映っており、意外な人物が出演していた。
旧財閥系グループの中でも最大規模を誇り、グループ内で唯一今でも創業者の直系が中核企業のトップに立っている「天神グループ」。その当主である天神一成乃助がインタビューを受けている。
凄まじい手腕や黒い噂から、陰では天神を捩った「鬼神」とも呼ばれることのある一成乃助がテレビ番組に出演することは滅多にない。雑誌の記事になることも殆どない。順佑の父も顔を見るのは初めてで、テロップがなければ気付かなかっただろう。
物珍しさからテレビを眺める。会話は家庭についてへ移り、一成乃助はこんなことを口にした。
「ええ。家庭のことは妻に任せております。その為に私は娘に満足な教育を施すことが出来なかった。故に後を継がせるつもりはありません。婿養子を取る予定もです。ええ。後悔がないと言えば嘘になりますが、私には当主としての責任がありますから」
順佑の父は不思議な気分になった。雲の上の存在である天神家の当主でも、自分と同じように子育てに関して後悔の念を抱いたりするものなのか、と。
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