「では、説明しましょう」
「ああ、是非そうしてくれ。俺達が納得出来るような説明をよ…………出来るもんならな!!」
「無茶苦茶しやがって!! どうすんだよこの惨状!?」
「人様に向けていい技じゃねぇだろ!! いつか人殺すぞお前!?!?」
「あの、すみません。これってもしかして私も捕まっちゃう感じですか?」
「そのような事にはならないとは思います……多分」
「多分っ!? なんでそこ濁しちゃうんですか!?」
ダンジョンの近くということもあり、周辺に民間の建物などは存在していない。夜間に一般市民へと迷惑が掛からなかった事だけは、不幸中の幸いといえる。
だか、舗装されていた筈の通路は街灯ごとリティーのバーストに巻き込まれ、砕かれ、破片は吹き飛び、見る影も無くなっている。たった一振りの斬撃によって齎されたその被害は、まるで嵐が通り過ぎた後のようだった。
その場の全員から行いを詰められているにも関わらず、リティーはいつも通りのぼんやりとした表情に戻っていた。被害にあった者からすれば腹立たしい事この上ないが、この表情のままでいてくれた方が接する側としては気が休まるのも事実だった。
「説明しますが、その前に」
「「「うおっ」」」
リティーは突然ソードマンの衣装――本人曰く初期装備――の胸元に手を入れ、ゴソゴソと何かを漁りだした。度重なる誘い受け行為によって攻撃が加えられた革鎧は破損しており、その亀裂から溢れたたわわな果実が手の動きに合わせて形を変えた。目撃した男性陣が揃って前屈みの姿勢をとり、併せて鼻息も荒くなる。
女性陣は自分のそれと比較し、本来は男であるはずのリティーよりも小さいという事実に絶望していた。
「こちら、錬金術で作成したポーションです。怪我をした三方へ」
「お、おぉ……サンキューな……いや怪我したのお前のせいなんだけどよ」
「いや、おかしくねぇ? 服の下に収まるサイズじゃないだろ」
「どこから取り出したんだよこれ」
服の下から取り出した瓶を戦士・剣士・斥候の三人へそれぞれ一本ずつ差し出すリティー。照れ混じりに受け取る戦士、物理法則の乱れを感じて訝しむ剣士と斥候。
「ああ、それから」
「「「おぉ……っ!」」」
再度胸元に手を突っ込み、服の内側を弄るリティー。
まるで同じ時間を繰り返したかのように再度前屈みになり、鼻息を荒くする男性陣。男はどんな事があっても女体に反応するバカばっかりであるということを、
手っ取り早く男を懐柔するために、リティーは色仕掛けを採用する事が多い。何せ実質的にノーコストでメリットを得られる。稀に襲いかかられる事もあるが、リティーに力で敵う相手というのは殆ど存在しないため、何の問題もない。このスキルの一番の強みは、それが罠だと分かっているにも関わらず引っかかってしまうという事だ。ガード不可の一番強いスキルを連打しない理由はない。
男はバカだが、リティーは最悪だった。
「こちら、旬のフルーツ盛り合わせです。皆さんで召し上がってください」
「いや……いや、それはおかしい。流石におかしい」
「メロンの間からメロンが出てきたんだけど……?」
「普通に美味しそうなのが腹立ちますね……」
リティーの胸元から取り出されたバスケットの中には、見ただけで新鮮さの分かる瑞々しい果実がこれでもかと盛られていた。
弄ったせいで少しはだけている胸元へ、疑問の視線が殺到する。服の合間から覗く肌は旬の果物に負けず劣らず瑞々しく輝き、戦闘により流れた汗を強く弾いていた。ごくり、と。女性陣を含むその場の面々が唾を飲み込んだのは、どちらの果物が理由なのか。
「んんっ……それでは、シンさん。なんであんな事をしたのか、キッチリ聞かせてもらいますからね」
「はい、説明しましょう」
受付嬢がいつものように咳払いし、何かを誤魔化すように話を促す。先ほどまで戦っていたとは思えないほど落ち着いた態度でリティーが頷き、口を開いた。
「まず結論から端的にお伝えしますと、世界を救うためですね」
「…………はい? 世界?」
耳を疑うような言葉に思わず聞き返した受付嬢。想定していたものとは全く方向性の異なる、しかも規模の大きなそれに理解が追いつかない。そんな受付嬢とリティーは目を合わせ、再度頷いた。
「先ほど掲示板の更新があったので確認したところ、今回僕がアクアさんを庇って戦闘をしなかった場合、最終的にこの大陸中の人類に相当する種族のおよそ八割弱が死に絶えるという情報がありました」
「……………………はい?」
「更に、その後発生する大規模な戦争によって生き残った人類の大半が戦死。生存圏も大幅に狭まり、最期まで戦った人々は大陸を捨てて新天地を探す事を余儀なくされます。流石にそれは僕としても見逃せませんので、皆さんと刃を交える事にしました」
「……本気で、言っていますか?」
「はい」
本気の目、本気の言葉だった。
それが伝わってくるのにも関わらず、声も態度も全く変わっていない。いつも通りの、意思を感じない瞳、熱のない声。その視線を向けられているだけで、得体の知れない恐怖心が背筋を駆け上がる。
知っているのだ、この瞳の奥がどれだけ深い谷底に繋がっているのかを。
その正誤はともかく、少なくともリティーは自身の言葉を真実であると本気で信じている。だからこそ、他者から見て不利益しかない戦闘にも躊躇いなく身を投げる事ができる。それがどれだけ恐ろしいことか、この惨状を前にして語るべくもない。
「おいおい、コイツいかれてんぜ?」
「ああ、まさかこんな形で牢屋行きを回避するとはな。養生しろよ」
「差し入れはエロ本でいいか?」
前衛組の三人はというと、リティーの口にした内容をこれっぽっちも信じていなかった。頭のおかしい奴が、頭のおかしいことを言っている。その程度の認識だった。
後ろにいる魔術師二人と呪術師の様子が変わった事には、全く気が付いていない。彼女達は月明かりだけでも分かるほどに顔を青ざめさせ、全身から汗を浮かび上がらせている。
前衛組がリティーの肉体的強さを知っているように、後衛組は彼女の術師としての実力を十分以上に理解している。この街を、いや、この世界を探して回ったとしても、リティー以上の実力を持つ術師は存在しないと信じている。
魔術、呪術、錬金術――――そして、占星術。
人の生み出した術と名のつく全ての神秘を競ったとして、総合力でこの化け物を超える者など居ていい筈がない。この街に住む術師の全員が、大なり小なりそういう思いを抱えていた。認めるには悔しく、決して本人を前に口にすることは無いだろうが。
当代どころか歴史を遡っても比類する者なき本物の術師が、世界の、人類の滅亡などを軽々しく口にする筈がない。というのが、後衛組の認識だった。
「あの、リティーさ――――」
「そこのお前達、これはいったい何の騒ぎだ!?」
説明を聞いて思案げだったアクアが、リティーへ声をかけようとした瞬間だった。大気を震わすような怒声が、一同へ叩きつけられる。
会話が膠着した一瞬を突くような叫び声だった。
リティー達のおこした騒動が見過ごせなかったのだろう。人気の少ない時間とはいえ、通りかかる者が存在してもおかしくない。それ自体は不思議なことではなかった。
だが、その声を聞いた者達の反応は顕著だった。
受付嬢は苦虫を噛み潰したような顔で口を閉じ、彼女に連れられてきた冒険者達もそれぞれ焦りの表情を浮かべている。
言葉を遮られたアクアは驚きに目を丸め、騒動の元凶であるリティーは特に何か反応を見せることなく平常運行。自分が原因で怒られているというのに、全くもって反省の色が見えない。
「これはですね、議員どの――――」
「こんな時間に……通報があったぞ!! 冒険者ギルドのバカどもがダンジョン前で戦闘していると!! 一体どういうことだ!? 例の少女が見つかったのか!? 私は丁重にお連れしろと伝えたはずだがな!! 抵抗でもされたのか!?」
魔術師の伝統的な礼服に身を包んだその老人こそ、独立都市国家アルファーが魔術師ギルドの長であり、都市の運営を担う議会に議席を持つ街有数の権力者だった。つまり、アクアへ出頭命令を下した本人でもある。
彼はいま正に、怒り心頭といった様子で詰め寄っていた。
「抵抗があったといえばあったんですが――――」
「その場合は直接戦闘を避けて泳がせろと命じただろう! ダンジョン前とはいえ街中で戦うバカがどこにいる!? 魔法で住民に被害が出たらどう責任を取るつもりだ!! 魔法使いが街で暴れる事の意味を理解しているか!?」
「それが、有無をいわさぬ頑なさでして」
「それを説き伏せるのが君の仕事だろう!?」
「いや、それは……そうなのですが」
与えられた職務を考えると、叱責される事態であることは間違いがないため、受付嬢は言われるがままにその内容を受け入れていた。たとえそれがシンという理解不能な理不尽の権化によって生み出された、本来は受ける必要のない叱責であったとしても。内心では全然納得できていなかったとしても、立場が上のものに逆らうという発想はない。心底理不尽だとは思うが、それが組織勤めの悲しい現実だ。
「だいたい――」
「そこまでにしてあげてください」
受付嬢の殊勝な態度でも興奮冷めやらぬのか、尚も言い募ろうという老人へとリティーが声をかけた。受付嬢へと視線をよこし、「ここは任せてください」と言わんばかりに頷いている。そもそも叱られる元凶がリティーであるという事を無視すれば、権力者に物申す様子は頼もしい。
老人はよほど怒りで視野が狭くなっていたのだろう。声をかけられて初めて、リティーの存在に気がついた様子だった。眉間に寄っていたシワが伸ばされ、驚きを隠せない様子で目を見開く。
「おお、おお! シン! お前!」
「職員さんを責めないでください、全部僕が悪いんです」
「ああ、本当にその通りだ。間違いねえ」
「自己申告の“全部”が本当に“全部”なの凄いよな」
「心底反省してほしいものですね」
所詮は別の組織である受付嬢が弁明するよりは、遥かに話が通じるであろうことは想像に難くない。とはいえ、この問題児が丸く事を収められるかは全くもって別問題なのだが。
しかし、アクア以外の面々はリティーがこの老人を言いくるめる事を疑っていなかった。この街の住民であれば誰もが、この老人とリティーの関係を知っているからだ。
「シン!! お前!! お前……!!」
「はい」
老人はリティーの姿を上から下まで眺めて、その体をワナワナと震わせる。それは受付嬢相手に怒鳴っていた時よりも明らかに強く、激しい感情の表れだった。
「――その姿はなんだ!? 怪我をしているじゃないか!!」
「いえ、怪我はもう治っています。先ほどポーションを飲みましたから」
「そういう話をしているんじゃない!! ああ、こんなに服が破れて……すごい出血の跡だ! 誰にやられた!?」
「自分でやりました」
「そんなわけあるか!! ――おい! 貴様らがシンを傷つけたのか!? こんな傷物にして……服もはだけているじゃないか!! ……はっ! き、貴様ら……まさか、この子に手を出したのか!?」
「嘘だろ……? これ俺たちが悪い事になんのか……?」
「しかも罪状に婦女暴行まで付け加えられそうだぞ、勘弁してくれ」
「宣言しておくが、これで有罪になったら俺は法治を捨てる」
顔に血管を浮かび上がらせて男性陣に詰め寄ろうとする老人と、特に力を込めた様子もない両腕で引き留めるリティー。矛先を向けられた三人はこの理不尽極まりない展開に絶望の表情を浮かべている。
数時間共に過ごしただけでもリティーが問題児である事を理解したアクアは、リティーが大目玉を食らうものだと考えていた。思っていたものとは違う展開が目の前で広がり、困惑のまま、事情に詳しそうな受付嬢へと声をかける。
「あの人って偉い人なんですか?」
「はい、魔術師ギルドの長……都市政府の議会に席を持つ議員の一人です」
「あの人が私を……随分とリティーさんと近しい関係のようですけど……」
「……シンさんは、議員の実の孫に相当する方です」
「孫」
「はい」
「孫というのは……あの、血縁があるという事ですよね」
「はい」
「私を呼んだのは、あのお爺さんなんですよね?」
「その通りです」
「…………え? じゃあ本当の本当にあそこまで抵抗する必要なかったんじゃ……? 見たところ仲も悪くないというか……むしろ溺愛されていませんか? リティーさんから一言あれば良かったんじゃ……?」
「ですから、議員からの要請だとシンさんにお伝えしたのです。まさかこんな事になるとは……」
頭痛を抑えるように額に手を当て深い溜息を吐いた受付嬢へ、アクアは心底同情した。
「だから! そいつが挑発してきたんですって!! 不可抗力なんですって!!」
「貴様……! 挑発だと? 傷つけておきながら……言うに事欠いて私の孫に責任を押し付けるとは! 挑発されたからといって子供に手を挙げる大人がどこにいる! そこに直れ! その腐った根性を叩き直してやる!!」
「いや、本当に! 本当にそいつが“挑発”してきたんですよ!! ――な! そうだよな!? 頼むからお前からもちゃんと言ってくれよ!!」
「はい、僕が“挑発”しました。あと“かばう”とか」
「庇う……!? まさか貴様、例の少女に暴行を加えようとしたのか!? 丁重に連れてこいといった筈だ!」
「違う……! 本当に違う……!! マジで洒落にならないって! もっと真面目に弁護してくれよ!!」
「お祖父様、本当に僕が全部悪いんです」
「おお、おお、シン……なんと健気で優しい子だ。大丈夫、お爺ちゃんが付いているからな。全部お爺ちゃんに任せておきなさい」
「嘘だろ……? こんな事が許されていいのか……?」
「健気で……優しい……? 爺さん、ついにボケたか?」
「普段は話が分かる方なんだけどな。シンの野郎がちょっとでも関わると目が曇りまくるんだよな」
「もはや何も見えてないだろ、老眼どころじゃねぇよ」
身内に権力者がいる。冒険者ギルドを八回降格されても除名されない、どれだけ破茶滅茶な行動をとってもギリギリのところで捕まらない。リティーが今日に至るまで何不自由なくシャバの美味しい空気を吸っている理由の一つが、それだった。
「お祖父様、お願いがあるのですが」
「おお、シンよ。お爺ちゃんに何でも言いなさい」
「まず、この道路を壊したのは僕です。このままでは器物損壊で捕まってしまうので、無かったことにしてくれませんか? 勿論、錬金術で直しておきます」
「そうだな、私は何も見なかった」
「あと、今回の諍いは客観的に見て僕に非があります。彼らは不幸にも巻き込まれただけなので、この件では誰も罪に問わないと約束してください」
「面白い事をいうものだ。
「はい、ありがとうございます」
「あの、大丈夫なんですかこれ。清々しいくらい公然に権力の濫用をしているのが見えるんですけど」
「まぁ、その、いつもの事ですので……」
「尚のことダメじゃないですか!?!?」
アクアの出身であるソロナ王国は、君主制国家だ。
貴族に魔法を与えた初代国王ソロナの血統が代々王を継ぎ、王に忠誠を誓った貴族によって各領地が治められている。その国の中で最も多くの貴族が集まる場所こそ、魔法学校だった。
アクアは魔法学校で五年間過ごした。
そのアクアでさえ、ここまであからさまに権力を濫用しているのを目撃した事はない。驚きが一周回って、逆に嫌悪のカケラも湧いてこないほどだった。むしろ、清々しさすら感じていた。困惑するような出来事の連続で、確実に思考能力が低下していた。
「それから、アクアさんに出ていた出頭命令を取り消してもらえませんか?」
「アクア……? それはもしかして、例の魔法使いの名前か?」
「はい。アクアさんは僕の大切な仲間です。お祖父様が心配しているような事はありません」
「あの、リティーさんのお爺さん。挨拶をしてもよろしいですか?」
リティーが自分の話をしていることに気がついたアクアが、この場を収めるために会話へと混ざり込む。リティーが暴走したことで話が拗れたが、元はといえばこの騒動は
「ふむ、その髪色……君が件の魔法使いかな?」
「はい、アクアと申します」
「なるほど、これは……随分と力のある魔法使いのようだね?」
「分かるんですか?」
「それが分からないようだったら、私は今ここで生きていない。戦友達と共に祖国の地で深い眠りに落ちていた事だろう……いや、大人しく死ねるとは限らんか。地獄の苦しみの中で彷徨っていたかもしれんな」
「あの、その、失礼かもですが……もしかしてお爺さんの国は……」
この老人を目にして、話した言葉の意味を理解して。
胸の奥に生じた感情ごと、アクアは疑問を吐き出していた。そしてその疑問への回答は、たった一言で済む内容だった。
「ああ、君の国によって滅ぼされたよ」
「それは……その、なんと言っていいか」
「いや、いい。むしろ、何も言わないでくれ。既に割り切った事だ。三十年以上かけて受け入れた、あれは仕方のない滅びだったのだと――――シン」
「はい」
「お前は、この少女と
「はい、その通りです」
「そうか……そうか、ああ、分かった」
老人はシンと見つめ合ってから、アクアへと視線を向けた。アクアはその瞳から、何かを探るような気配を感じたが、目を逸らすような事はしなかった。
永遠のような一瞬が過ぎ、老人は得心がいったように一つ頷いた。それはシンによく似た、血縁を感じさせる仕草だった。
「ならば、好きにするといい。シン、お前に全てを任せるとしよう」