オープニング
「なんでダンジョンに入れないんですかーーー!?」
冒険者ギルドの中を、悲鳴が貫く。
一仕事終えた冒険者達の喧騒の中であっても、その甲高い声は良く響いた。その日の収入を手にして夜の街へ向かう途中だった彼らが会話をやめ、何事かと声の方へと奇異の視線を向ける。
声の主は、美少女だった。
そしてそれ以上に、不審な姿をしていた。
背丈を超えるほど大きな杖を手に持ち、見慣れない意匠の刺繍が刻まれたローブを身に纏っている。それだけでも街ですれ違えば目で追ってしまいそうなほど目立っているが、何よりその水色の頭髪が異彩を放っている。
街どころか、国中を探しても同じ色の頭髪の持ち主は見つからないだろう。この国では髪の色は金か銀がメジャーであり、たまに黒を見かけるくらいだ。
日常に突如現れた非日常。
その少女は色々な意味で目立っていた。
「ですが、規則で決まっておりますので」
「冒険者ギルドで登録すればダンジョンに入れるんじゃないんですか!?」
「それは確かに前提条件なのですが、ダンジョンには危険な魔物が出ますので……最低でも二人組のパーティ、その場合は一人が銀等級以上である必要があります」
毎日何人もの命知らずが戦場へと赴き、命の危機と引き換えに恩恵を得る。冒険者ギルドとは、そういった「職業:冒険者」を管理するために創られた国営組織だった。
人の営み、それも国が関与する以上は当然ながら一定の規律が存在している。
「ですので、
――まずは、ギルドからの
アクアの事情を抜きにして考えるのであれば、ギルドの受付嬢が言っている事は極めて妥当な選択肢であった。ダンジョンは国に大きな利益をもたらすのと同時に、何人もの貴重な人材を飲み込んできた。そこにギルドが介入しなければ、もっと多くの犠牲が生まれていたというのは想像に難くない。
依頼を受け、実力を証明し、信頼を得る。
それはギルドに限った話ではなく、人が集まる共同体においては一般的であり、あって当然の手順だった。
「で、でも……私には、時間が……」
「それなら、潜行が認められているクランやパーティに所属されては如何でしょうか?」
受付嬢としても、別に意地悪を言いたいわけではない。
明らかに訳アリの、見目麗しい少女。それが露骨に困っている様子というのは、見ていて楽しいものではない。難しいとは思いつつも、次善の提案を口にする。
美少女――アクアが一縷の望みにかけて周囲へと視線を向ける。
それに合わせて、奇異の視線を向けていた冒険者達がスッと視線をそらした。この国において、魔法使いというのはメジャーな職業ではない。その上、見た目も色鮮やかで見慣れない。
変なものには関わりたくない、というのが彼らの正直な気持ちだった。
「……どうやら、今すぐというのは難しいようですね」
「な、なんでぇ……? わ、わた、私はすごい魔法使いなのに……が、学校だってちゃ、ちゃんと成績優秀者で卒業したし……こんなに美少女なのに!!」
自分を美少女って言っちゃうような所が問題なんじゃないですかね、と。口には出さないものの、その場の誰もが内心で呟いた。
とはいえ、アクアの言い分にも一理ある。
何せ、美少女なのだ。女であっても街ですれ違ったら振り返って確認してしまうくらいには、彼女の容姿は優れていた。それこそ、邪な考えを持つ男の一人や二人くらいはちょっかいを出してきてもおかしくはない。むしろ普通であれば、良いところを見せようと競うように同行を申し出る事だろう。
いくら得体が知れないからといって、ここまで避けられるのはあり得ない。
だが、この街の……この冒険者ギルドには幾つかの教訓が存在している。
一つ、見た目で相手を判断しないこと。どれだけ可愛らしい見た目でも、それは人格を保証する事にはならない。初対面の相手を侮ることで被る不利益を甘く見ないことが骨の髄まで叩き込まれている。
一つ、見た目がヤバいやつに安易な気持ちで関わらないこと。内面のヤバさは見た目にも現れる。水色の髪、背丈を越える大きさの杖、美少女を自称する精神力。役満だ。
そして、何よりも大事なのは――。
「おや、魔法使いですか。珍しいですね」
一つ、
周囲から距離を置かれていたアクアは、自分に向けて掛けられた声が天から差し伸べられた救いの手のように感じられた。その男が現れた瞬間、冒険者どころか受付嬢まで更に一歩下がった事には気がつかなかった。
「魔法使いを知ってるんですか!?」
「ええ、それは勿論。エレメンタル・ウィザードはこの国では珍しいですが、ソロナ王国イベでは鉄板ですからね」
「……! そうなんです! ソロナ王国では普通なんですよ!! その、エレ……? はよく分かりませんけど」
「ああ、それはなんというか、一般的に魔法使いと呼ばれている者への呼称というか。表記揺れも珍しくないので、あまり気にしないでください」
表面上は和やかな会話だった。
一人異国に辿り着いたアクアは、もう色々と限界になっていた。刺客を差し向けられ母国を追い出されるように旅立ち、魔法使いに対する多くの偏見に塗れた視線に追い詰められ。やっとのことで魔法使いを知らない国にたどり着いたと思えば、今度は無知ゆえに距離を置かれる始末。
限界まで追い詰められたアクアの精神状態は、「話が通じるのであれば何でもいい」という諦めの境地まで至っていた。
だからこそ、この街で一番相手にしてはいけない男を懐に入れてしまった。
「そのローブ、ソロナ王国立魔法学校を卒業した人用のものですね。それも、黒の布地に金の刺繍……優秀な方のようですね」
「そう……! そうなんです! 私は平民出身で初めての成績優秀者の一人として認められたんです! 分かってくれますか!」
「エレメンタル・ウィザードは上を見上げればキリないですからね。その若さで大したものです。しかも、得意属性が水なのもポイント高いですね。水属性の杖持ちはシナジーも多いですし」
「あれ……? 水属性って言いましたっけ……?」
「ええ、まぁ。名前は口ほどにモノを言いますからね」
「名前……? あっ、そうです、私はアクアっていいます!」
「人は僕をシンと呼びます。本当はもう少し長い名前なんですが、色々理由がありまして。どうぞ、シンと呼んでください」
アクアにとっては皮肉な事に、魔法使いを知る場所から逃げ出した先で、魔法使いを知る者を求める事になってしまっていた。今はテンションが上がっているため気が付かないが、後でその事実に気がついて少し落ち込む事になるだろう。
だが、この男にとってそんな内面の事情は関係ない。
彼が興味を持つのは、いつもただ一つ。
「話は聞こえていましたよ。もしよろしければ、僕とパーティを組みませんか? これでも
「本当ですか!?」
「ええ、ちょうど新しい装備の性能を試したいところでした」
「助かります! それで……えぇ、と、あの、シンさん?」
「はい、どうしましたか?」
「シンさんはその……剣士? で良いんですか?」
目先の問題が解決した安心感ゆえか、あるいは普通に時間経過で落ち着きを取り戻したのか。
アクアは最初にシンを目にしてからずっと気になっていたことを口にした。
シンは一つ頷いてから、言葉を返す。
「はい、剣士ですよ。正しく説明すると、剣士のジョブツリーであるソードマンから正当にクラスアップしたソードマスターというジョブです」
「じょぶつりー……? そーどますたー?」
「ええ、開幕からバーストを打てる上に自分を含む剣得意のパーティメンバーに連撃補正と生命力補正を与えられるジョブです。つよい」
「????? ……すみません、剣のことはよく分からなくて……? 強いんですね?」
「はい、強いということだけ分かれば大丈夫ですよ」
そう、シンの言うことは間違っていない。ソードマスターは強い職業で、剣士であれば誰もが到達できるような代物ではない。
問題は、その強さを理解できているのがシン本人だけだということ。
魔法使いであるアクアが無知というわけではない。それだけならば、何の問題もない。後から分かるように説明してあげれば良いだけの話だ。
この場にいる他の誰もが……あるいは、この世界に生きる全ての人々にとって。シンの口にした説明は全くもって、理解できるものではなかった。
シンが日頃口にしている言葉は、本来この世界に存在していないものばかりなのだから。あるいは、同じ言葉であっても……あくまで一般名詞であり、シンの口にするそれとは全くの別物である。そのことを、シンだけが正しく理解していた。
シンという青年が漂わせる異様な雰囲気を感じとり、アクアも「あれ? ちょっとおかしいな?」と思い始めた。目の前の男の姿を上から下までを何往復かして確認し、おずおずと口を開く。
「あの……ちょっと、聞いてもいいですか?」
「はい」
「剣士の人って……そんなに
「はい、剣士ですから」
「えっと……見たところ、十本くらいありませんか?」
シンはもう一つ頷いてから、口を開いた。
「はい、剣士ですから」
――そんな訳あるか!!!!!
…………と、周囲の冒険者(特に、一般的な剣士)達が心の中で叫んだ。勿論、首を傾げているアクアにその声は届かない。
シンと名乗った男は、異様な装いをしていた。
まず、服装が上下ともに普段着にしか見えない。
この国において一般的な服装ではあるが、冒険者の……それも依頼帰りと思えば明らかに浮いてしまう。本来ならば鎧を、最低でも革鎧は身につけているべきだが。まるで今から近所の飯屋にでも行こうかな、というような軽装だった。
それなのに、剣だけは沢山身につけている。
いや、剣士を名乗っている以上はおかしな事ではない。
ただ……モノには限度があるというか。
両腰に一本ずつで二本、背中でクロスするように二本、腰の後ろ側でクロスするように二本、両足と両腕に一本ずつで四本。
合計十本、それがシンの装備している剣の本数だった。
彼はソードマスター、シン。
狂人だ。
「説明しましょう。僕の持つこの剣には特別なエンチャントが掛かっています。これらのうち八本は、同じ剣を持てば持つほどに、持ち主を含めたパーティ全体に攻撃力・生命力・連撃・バースト威力の上昇補正が入ります」
「…………???」
「その上で、僕はこのうち四本を攻撃力特化に、四本を生命力特化に調整しています。見た目上は全く同じですが、内包する力に差異が存在するのです。そして本来であれば五本まででエンチャントの効果量が打ち止めのところを、上限撤回のエンチャントが付与された九本目の剣で水増ししています。最後の十本目の剣は、パーティ内の剣が得意な人の潜在能力を底上げするエンチャントがついています」
「それって凄いんですか?」
「そうですね。凄さでいったらもっと上の組み合わせもあるのですが、この装備の凄いところは生命力に多大な補正が入るところです。安定しますね。それに、今日は大手クランの【十剣衆】の方々と潜行してきましたので、彼らの能力を活かしやすいこの装備にしました」
「難しくてよく分からないんですけど……強いんですね?」
「並の翼竜くらいなら剣を振った風圧でバラバラにできますし、家一軒ほどの大きさの岩を叩きつけられたくらいじゃビクともしなくなりますよ」
「そうなんだ」
アクアは思考を放棄した。
普通に意味がわからなかったからだ。
どこか遠くを見つめ始めたアクアのことを気にすることもなく、シンは促した。
「では、ダンジョンに行きましょうか」
「いいんですか? シンさんは行ってきた帰りなんじゃ」
「いいんですよ、周回には慣れてます。僕は一週間くらいなら連続して戦い続けられます」
「ほえ〜、シンさんって凄いんですね」
「貴女もいずれそうなります」
さらっと恐ろしいことを口にしながら、アクアの手を引き歩き始めたシン。
あわや命の危機、といっても過言ではない状況に横入りが入る。
「あの、シンさん。困ります」
受付嬢だった。
「何がでしょうか」
「いつも伝えていますが、このような横紙破りは控えていただけると……」
「でも、規則では最低二人組ですよね。止められる理由がないと思いますが」
「とはいえですね、アクアさんは本日登録されたばかりでギルドとしても素性や実力が把握できている訳ではありませんから」
「それって何か関係ありますかね。
「いえ、禁止はされていませんが」
「禁止されていないなら問題ないですね」
奇行・強行・凶行のシン、彼は冒険者ギルドに大きな貢献と心労を齎している。彼の理屈は意味不明なれど、その理屈に裏付けされた実力は本物だからだ。あまりのエキセントリックさにならず者達すら目を逸らして道を開ける彼に対して、正面から物申せる者は多くない。
この受付嬢はその数少ない実例であり、ギルドの代え難い人材――――いや、人財だった。
「シンさん、世の中には不文律というものが存在しています。文章に認められたものだけが全てではありません」
「なるほど、確かに。そんなの聞いてねえよ、みたいな副次効果とか仕様もありますからね」
「シンさんの人格を疑うわけではありませんが……いえ、正直人格面には多大な問題があると私は確信していますが」
「はい」
「自覚あるんですか……んんっ、失礼しました。それはそれとして、ダンジョンで男女二人きりになるような状況をギルドは推奨していません」
「はい」
「分かってくださいますか?」
「では、他に誰か連れて行きましょう」
シンがギルド内をぐるりと見回す。
その場の全員が、シンと目が合わないように顔を背けていた。というより、もはや背中を向けていた。なんなら、半分以上はギルドの出口目掛けて本気でダッシュしていた。
危険人物から目をつけられたくない気持ちは誰だって同じなのだ。危険なダンジョンに潜り、強大なモンスターにだって勇猛果敢に攻めかかる彼らの勇気は今この瞬間に限っていえば受付嬢以下だった。
「ふむ、なるほど」
「あ、あの……すみません受付さん……もしかしてこの人ヤバい人ですか?」
「お気づきになりましたか?」
「そういうことは本人が見えないところでやってくれませんか?」
シンのジト目を避けるアクア、正面から見つめ返す受付嬢。
シンと受付嬢はそのまま見つめ合い……突如、シンの頭上で電球が輝いたことで遮られた。
「うわ、まぶしっ」
「仕方がありませんね。アクアさん、装備を整えてくるので少々お待ちください。すぐ戻ります」
「えっ……あっ、え? 今の光なんですか!?」
「様式美です。では」
剣を十本身につけているとは思えないほどスムーズな動きで、音もたてずにスタスタと去っていくシン。それを呆気に取られた表情で見送ったアクアは、呆れたような気配を漂わせている受付嬢へと顔を向けた。
「あの……シンさんって……」
「悪い人じゃないんですよ、悪い人じゃ。ただ頭のネジが外れているというか……非常識なだけで」
「あっ、やっぱり私が無知なだけじゃなかったんですね。あの人が変な人だったんですね」
「それはそれとして貴女もちょっと変ですよ」
「えっ」
「普通もっと早く気が付きますよ」
「はい……」
受付嬢の忖度のない言葉に、アクアは項垂れた。
少しどころではなく、多大に失礼ではあるが。
シンに対して強く出れるという事は、相手を選ばず言葉も選ばないという事でもある。
「あれ? というかシンさん……装備を整えてくるって言ってました? パーティを揃えてくる、ではなく?」
「確かに、そう仰っていましたね」
「おかしくないですか? 男女二人だからダメって話でしたよね? いやまぁ、私ほどの美少女なら心配されるのも分かるんですけど……」
「……おそらく、リティーさんがきますね」
「シンさんのお仲間ですか? 女の人ですか?」
「えぇ、多分女の人です」
「多分っ!? そこ曖昧になる事ありますか!?」
「お待たせしました」
アクアが受付嬢へ大きな声を出した直後、その背中に声がかけられる。やや無感動気味な、落ち着いた声。それでいて存在感のある、印象的な声色の持ち主。
「シンさん? 速かったです…………ね?」
「準備オーケーです、行きましょうか」
シンだと思って振り返ったアクア。
その視線の先にいたのは、シンでは無かった。
というか、男ですら無かった。それは可憐な少女だった。
銀に輝く頭髪を持ち、身長はアクアよりもやや低い。
何かしらの動物を模した耳のような形のフード付きローブの中からは、眩く輝く白い肌が見え隠れしている。黒いサラシのような布で隠された胸元は、抑えつけても誤魔化せないほどの豊満さ。
丈が短すぎてもはや股に食い込んでいるように見える黒いズボンは、アクアは与り知らぬ事ではあるが、ある世界でホットパンツと呼ばれている物に近い。
ローブの下は、それだけだった。
黒いサラシと、ズボンだけ。
まごう事なき、痴女だった。
その辺に思うところを一才合切飲み込んで、アクアは尋ねた。
「えっと、あの……? どちら様ですか?」
「キャッツ・ウィザードのシン(女)です」
「キャッツ・ウィザードのシン(女)!?!?」
「ええ、キャッツ・ウィザードは女性限定ジョブですからね。折角ですし」
「シンさんって……女だったんですか!?!?」
「今はそうですね」
「さっきまでは違かったんですか!?!?!?」
「そうですが」
あれ? 見てましたよね? と言わんばかりの顔で首を傾げるシン(女)。無表情なのにその意図が伝わってくるあたり、シン(女)のコミュニケーション能力の高さが伺える。
その当然といった雰囲気に「あれ? 私がおかしいのかな?」という気持ちになったアクアへ、シン(女)から追撃が入る。
「一応、この姿では“リティー”と名乗っています。まぁ、シンでもリティーでもお好きなように呼んでください」
「ほ……? へ……?」
「大丈夫ですか」
「ええと……うん? たぶん……?」
「大丈夫そうですね。じゃあ、
混乱の解けていないアクアの手を取り、促すようにゆっくりと歩き出すシン(女)――いや、リティー。アクアは無意識のうちに一歩を踏み出し、そのまま導かれるままにギルドの外へと足を進めた。
「お騒がせしました。では、失礼します」
「失礼しないでください。お願いですから待ってください」
「女二人なら問題ないスよね」
「貴方がとんでもビックリ人間なのは知っていますけど、気分一つで気軽に性別を変えるのはやめてください」
「性別を変えちゃダメって不文律でもあるんです?」
「そんなのある訳ないじゃないですか! 性別は普通変えられませんよ!!」
「でも、僕は出来ますから。というか、職員さんもそれは承知のことでしょう?」
「知っているからって何でも納得できるとは思わないでください!!」
受付嬢の叫びが、冒険者ギルドに所属する全ての人々の叫びだった。
シンはかなりカジュアルに性別を変更する。
本人申告では男であり、登録上もそうなっている。
だが、それはそれとしてかなり頻繁に性別を変更してダンジョンへと潜っている。その際、リティーという名前を名乗っているのも周知の事実だ。
キャッツ・ウィザードというのが何なのかはシン以外誰も知らないが、本人曰く呪術と魔術の特徴を兼ね備えた職業とのことだった。そういう、非物理的な攻撃手段を持つ職業を使う際はこのようにリティーの姿になることが多い。
そしてシンは、それ以外のモラルのない行いにもリティーの姿を使う。主に色仕掛けで相手から装備や助力を引き出す、本人曰く姫プレイと呼ばれる行いをするときは必ずこの姿だ。控えめにいっても最悪だった。
タチが悪いことに、リティーはかなりの美少女だった。
しかも、背が低いのに胸が大きい。中身が男だからか、肌を見せびらかすことにも抵抗はない。
流石に、一線を越える事はないらしいが。
無理やり行為を迫ろうとした愚か者達は、大なり小なり反撃を受けて失敗しているらしく……この街の冒険者から美少女への警戒心は、このリティーが育てたようなものだった。
つまり、アクアが警戒されていた理由の大半はこの
「まぁ、無理に納得していただく必要はないですからね。それでは」
「ちょっと、まだ話は終わって――」
「ばいにゃー」
スーッ、と。
受付嬢の目の前で、リティーとアクアの姿が消えた。
「は?」
目を離していない。瞬きをしていたわけでもない。
本当に、人が消えたのだ。
“にゃー”
景色と同化していくように、少しずつ体が薄れて居なくなる。最後には猫の鳴き声だけが残る。それがキャッツ・ウィザードの持つスキルの一つ、キャッツ・マジックの効果だった。
逃げられた、と。
それを理解してワナワナと怒りに体を震わせる受付嬢。
可哀想なものを見る目を向けられながらも、徐々に距離を取られていく。シン、ないしリティーの居なくなったいま。ギルドで一番の危険人物は、間違いなく、怒りを蓄えた受付嬢だった。
「えっ、ここどこですか?」
「ダンジョンの入り口ですね」
「えっ、いつの間に?」
「キャッツ・マジックのエフェクトです。本来はパーティ全体に回避力向上を与えるスキルなのですが、導力操作に長けたキャッツ・ウィザードであれば消費導力を増加させる事でテレポーテーションに似た現象を起こせます」
「なんですかそれ!?!?」
「おや、魔術を見るのは初めてですか?」
「いやいや! 魔術って普通そんな事できませんよね!?」
もはや悲鳴に近いツッコミにも、リティーは顔色ひとつ動かさない。焦点が合っていないのではないかと心配になる、ボーッとした瞳でアクアを見つめて静かに頷く。
「はい。今の時代ではほぼ失伝していますね。というか、こんな事ができる技術がホイホイ継承されていたら世の中大混乱ですよ」
「えっ……じゃあ、なんでシン、いや、リティーさんは出来るんですか?」
「出来るから、出来るとしか。強いていうなら、システムに許されてるからですね」
「システム……ってなんですか?」
「何でしょう、世界……ですかね……」
非常にふんわりとした回答だったが、リティーは嘘を言っていなかった。システムが出来ると判断したから出来る、シン、あるいはリティーの持つ異能の多くはその一言で説明される。
この世界でただ一人、彼にだけ許された力。
使い方によっては世界を滅ぼすことも、あまねく全てを救うこともできる。そんな力だった。
ただ、今のところは彼以外誰も気が付いていない。明らかに常識では説明のつかない尋常じゃない現象を起こしているが、突き抜ければ問題視されないものだ。
大手を振るって力を振りかざしているシンだが、むしろその常軌を逸した行いが隠れ蓑になって危険性がバレていない。
それが、いつまで続くかわからないが。
少なくとも今は、排斥されるような事態にはなっていない。距離はめちゃくちゃに取られているし、分厚い壁を何枚も間に挟んで接されているのは事実なのだが。
「では、行きましょうか。ダンジョンへ」
「……あの、今更なんですけど」
「はい」
「聞かないんですか? 私がダンジョンに行きたい理由」
「それ聞く必要ありますか?」
「いや、別に聞いてほしいわけじゃないんですけど」
「じゃあ、聞かなくていいですね」
「それはそれでちょっとムカつきますね……!」
アクアは今まで、ほとんど一人で生きてきた。
魔法学校時代は、その能力の高さゆえに貴族に変に付き纏われ。同じ立場の平民からは、逆に妬まれ疎まれ。貴族達に睨まれたらかなわないと、なるべく目立たないように生きてきた。
その結果生まれたのが、灰色の学生時代。
人との付き合い方も学べず、孤独に過ごした日々。
魔法の才能の高さと、生まれ持った美貌がなければ耐えられなかっただろう。自分はすごい、自分は美しい。そう考えて心の支えにしなければ耐えられなかった。
そんなアクアにとって、
「僕は特殊クラス、ウェポン・マイスターを持っています。このクラスの特徴として、手にした武器の潜在能力を十二分に発揮できる。というものがあります」
「……?」
「つまり、色々な武器を集めれば集めるほど強くなれるのです。また、得意不得意に左右されずあらゆる武器を扱うことができます」
「……それで?」
「だから、僕がダンジョンに潜るのは強い武器を探すためです」
そこまで聞いてようやく、アクアはシンが自分の理由を述べているのを理解した。
「特に暗い過去とか、譲れない何かがあるわけではありません。僕は強くなりたい、だから強い武器が欲しい。今の強さじゃ我慢できないから、もっと沢山、もっと深くダンジョンに潜りたい。それだけです」
一通り言いたいことを口にして、最後に、「だから」と。
「無理して聞く気はありませんけど、言いたくなったら言ってくれても構いません」
「なんですかそれ」
話している最中でも、シンは足を止めない。
スタスタ、と。大きい尻と、そこから伸びている謎の尻尾を扇状的に揺らしてアクアの前を行く。
まぁ、いいか。
アクアが笑ったのは、その尻があまりに大きかったからだ。ついでにいえば、太ももも大分太く見えた。
本当に、それだけだった。
「さぁ、行きますよ――いざ、ダンジョン」