18-11 パンジャンドラム、そのお方
魔王に養殖される立場にあった天竜川の魔法使い。彼女達の魔王への対抗意識は常軌を逸している。特に、ラベンダーが発動に成功した多要素詠唱九節は、天竜川の宿敵たる主様さえ抹消する恐るべき効果を発露させた。
だから、代わりに惑星の記憶が失われる程度は小さな代償だ。
「……詠唱には成功したけど、やっぱり無理し過ぎた」
更に小さな代償としてラベンダーは突如、吐血する。重唱詠唱のためでもあり、反動軽減のためでもあった土人形二体は喉を抑えながら崩れて落ちた。ラベンダー本人も肺に流れ込んだ血の所為で盛大に咳き込んでいる。
「ノどガ、イガれた」
「秋! 大丈夫なのですかっ」
「ダイじょうブ。ダイじょうブ。ぜいだイが溶ゲダだけ」
「それは大丈夫な範囲なのです?」
魔王さえ抹消する魔法を詠唱しておいて発狂しながら絶命していないなら随分と軽い。対処方法さえないと思われた石油を滅ぼせたのであれば軽過ぎる代償だろう。
「――ゴめん。ダおぜていなイ。全部ハげゼていなイ」
潰れた喉で喋るラベンダーの声が分かり辛かった所為もあり、状況把握が遅れてしまう。
「ぜきユは、消エでいなイ」
石油は消えていない。
ラベンダーが血を吐きながら声をどうにか吐いたというのに、全方向、あるいは、惑星全体で発生した地響きによって掻き消される。
『――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――』
悲鳴に聞こえる地響きの正体は、プレートを割って噴出する石油である。
見渡せば岩肌の山脈風景の背後にて、黒く粘着性ある液体が盛り上がっている。全長何十キロの高さだろうか。ドロっと流れ落ちていきながらも体を立ち上げていくのは花であり、形が安定せず変化していくと、裸体の女にも見えてきた。
『――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――』
ラベンダーの魔法は一地域の石油の抹消に成功した。が、逆に言えば魔法効果は一地域に限定された。
石油とは世界各地に埋蔵されているものだ。分布に偏りはあるものの、少なくとも灼熱宮殿を中心とした十数キロよりは広い範囲に埋まっている。
『正体不明』の何かが溶けた石油に心臓はない。液体の一滴から惑星全体の貯蔵量まで、すべてが石油である。すべてを一度に抹消できなかった事で“層消し”は不完全なものとなってしまった。
『――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――』
「完全に錯乱している」
しかしながら、一部とはいえ消された事実は石油にとって重い。傷口としては大した面積ではなかったかもしれないが、例えば、蟻に小指の爪を引き剥がされたとすれば実害以上に恐怖を覚えるものだろう。
一方的に人類を復讐する側であったのに下手をすると死んでいたかもしれないという恐怖ならば、頭を掻きむしって目玉を爪でほじくり返す、そのくらいの衝動的な行動は余裕で引き起こす。
人間ではない何かに置き換わった以降もヒガンバナを人間らしく保っていた復讐心に、恐怖心という異物が生じたのだ。人間的な言動や思考はもう期待できないだろう。
「御影、ごめん。私達、失敗したかも」
『――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――』
「兄さん。もう『魔』がない」
『――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――』
「私はまだ戦えるです」
『――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――』
「げふぉ、けほォ」
『――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――』
人間性を失えば、後に残るはただの『正体不明』の化物だ。
『正体不明(?)』を形成する二つの説の内、片方は御影に潰されている。けれども、もう片方の『無機起源説』は未だに有効だ。星の内側から生じる分泌物を発祥とする説を存分に悪用し、星を司る化物として牙を剥くだけである。
「――皆のお陰で条件はすべて出揃った。これだけ追い詰めれば十分だ」
石油が暴れ始める。
そんな瀬戸際まで姿を隠していた仮面の男の肩には、小さなネズミが小さな指で掴まっていた。
『Squeak.』
「いけるよな? もう、やってしまうぞ。……ヒガンバナ、お前に罪あり! 俺はお前を『破門』する!」
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“『破門判決』、敵対認定、異端者の烙印を押すスキル。
ステータスを改訂し、敵対する者に相応しい職を与える”
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「主様を倒せず、異世界を彷徨い、挙句の果ては混世魔王と化したヒガンバナ。失敗続きのお前の真の正体は石油などではなく……パンジャンドラムじゃないだろうか? 失敗体質がかなり似ているから、きっとそうだろ!」
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▼石油 → ヒガンバナ/パンジャンドラム
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●人類復讐者固有スキル『人類萎縮権』
●人類復讐者固有スキル『人類断罪権』
●人類復讐者固有スキル『人類平伏権』
●人類復讐者固有スキル『人類搾取権』
●人類復讐者固有スキル『人類報復権』
●人類復讐者固有スキル『人類抹殺権』
●パンジャンドラム固有スキル『ロケットブースト(方向音痴)』 New
×実績達成スキル『正体不明』(無効)
●実績達成スキル『正体不明(?)』 → 『正体不明(!?)』 New
×実績達成スキル『億年の蓄積』(無効) New
×実績達成スキル『猛毒』(無効) New
×実績達成スキル『粘着性』(無効) New
×実績達成スキル『文明の燃料』(無効) New
●実績達成スキル『有機起源説』 → 『ヒガンバナ説』(決めつけ)
●実績達成スキル『無機起源説』 → 『パンジャンドラム説』(破門判決) New”
“職業詳細
●人類復讐者(Sランク)
●パンジャンドラム(初心者) New”
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……あまりにも酷過ぎる言いがかりに、狂気に染まって人間性を失っていたはずのヒガンバナが『――ア??』と口を半開きにしながら固まった。
四人に戦いを任せている間にかなり灼熱宮殿へと近付けた。最悪の場合は時間稼ぎしてもらいながら宮殿内へと突入する手段も考えていたが、石油が思っていた以上に脆かったために採用せずに済んだ。
「石油は『正体不明(?)』を過信し過ぎた。正体を隠して曖昧にすればするほど無敵になれるスキルでは決してない。自分を見失って消えてしまうリスクを負う覚悟が必要だというのに、その恐怖心がまったく足りなかった」
『有機起源説』では大量の微生物の死骸の集合体だからだろう。アイデンティティーという概念に疎かったのかもしれない。生きるためには大事なものだというのに生き物でなかった事も災いした。
痛覚のない人のようなものだ。
稀に痛みを一切感じず骨が折れても痛みを感じない人がいる。乳歯の抜けた子にプレゼントを贈る風習のある国で、プレゼントをもらうために痛みを感じない子が歯を無理やり引き抜いたという話さえある。
痛みから解放された無敵の人間のような話であるが、痛みは人体のセンサーだ。そのセンサーの働かない体はセキュリティが機能していないようなもの。本人が気づいていない間に小指が折れていても気付かない。体が膿んでいても気付けない。
ダメージに気付けないデメリットは生きる上で大き過ぎる。
「石油の場合は痛覚ではなく恐怖。『正体不明(?)』の悪用で自己喪失する恐怖を覚えなかった。それがお前の敗因だ」
『最強の復讐者が恐怖などと!』
ヒガンバナは発狂していたのに正気に戻っている。それだけパンジャンドラムと言われた衝撃が強かった……というよりも、石油の悪性が薄まってきているのだろう。
『私がパンジャンドラム?? 何だそれは』
「恥ずかしがるなよ。お前の正体だって」
『だから何だそれはッ』
石油の密度が高かった場所を悠々と歩いて灼熱宮殿へと近づいていく。ラベンダーの抹消魔法により何も残っていない。赤土と風化した岩石だけの、別の星の沙漠みたいな土地だ。
「車輪の混世魔王が爆発したのはこの付近なのに、破片が残っていない。ラベンダーの魔法で消されたのだろう。つまり、パンジャンドラムも石油も同じだったという証拠だな」
『そんなバカな?!』
もちろん、バカな話だ。よく探せば破片くらい発見できるはずであるが、石油の正体がパンジャンドラムだったという超理論が確定した今、発見は無理だろう。
「石油の正体が人間だったり、イギリスの謎兵器だったりというのは歴史的な発見だ。どうして三千年前のメソポタミアで防水材として使われていたはずの石油の正体がここ百年以内の人間や謎兵器なのかは今後の研究が必要になりそうだが」
『幼稚な欺瞞だ! 成立するものか!!』
「普通なら成立するはずがないが、『正体不明(?)』の化物だけには通じる嘘だ」
『正体不明(?)』をいい事に、正体をハッキングして存在自体を置き換える。
酷い裏技を簡単に実行できたように思われるかもしれないが、それは違う。石油が強化のためにヒガンバナを取り込んでいなければ実現は難しかった。彼女がマルウェアのように効果を発揮してくれた。
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“『正体不明(!?)』、神秘という枠組みからかけ離れた意味不明なスキル。
もう何が何やら”
“取得条件。
存在が曖昧で脈絡もなくなった”
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風景のごとき巨大なヒガンバナの姿の縮小が始まった。ヒガンバナまたはパンジャンドラムである自覚も生まれてくるだろう。
『このような詐欺技で最強の混世魔王が負けるなど、許せん。お前だけでも、お前だけはッ!!』
最後の抵抗で手を伸ばしてくる石油。比率が牛魔王以上におかしいために接近してきている感じはしないが、灼熱宮殿ごと一帯が潰されるのは間違いない。
恐るべき光景であるというのに、どうしてだろう、陽気な歌声が聞こえてくる所為で緊張できない。
“彼女は庭でキャベツの葉っぱを切り取る。りんごのパイを作るのさ”
巨大な手が迫る方角とは逆方向から回って現れた巨大な車輪が、陽気に詩を口ずさむ。
笑った人類を救おうというのではない。
笑われた我が人類を救おうというのではない。
“同じ頃、綺麗なクマが通りを歩いてきたと思うと、お店に顔を突っ込むよ”
浅く考え過ぎなのだ。すべての出来事に意味などありはしない。笑う事も笑われる事も深く考えれば無意味である。
人類が進化して、繁栄して、いずれ衰退していく事に意味がないのであれば、その過程で笑われる事にどうして羞恥心を覚えるだろう。無意味である。
“石鹸をくださいな。そして、彼は死んだ”
そう無意味だ。人生に意味などない。偶然発生した微細胞生物が偶然進化して脊椎動物となって偶然不出来な車輪を作ったからといって、そこに意味はない。
“彼女の方は軽々しくも街の床屋と結婚だ”
人生にも世界にさえも意味はない。
“そこにいるのはピクー、ジョブリリー、ギャルリー”
されど、人類は意味を求める。何かしらに理由をつける。深く考えれば無意味な事にさえ笑いを生み出す。
されど、人類は無意味にさえも意味を授ける。不出来な車輪を回して戦に勝利するのだから、本当にどうかしている。
“ついでにお偉いパンジャンドラム。頭に小さなボタンを添えて”
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▼車輪の混世魔王 偽名、修蛇 → おえらいパンジャンドラム(詩)
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●人類復讐者固有スキル『人類萎縮権』
●人類復讐者固有スキル『人類断罪権』
●実績達成スキル『正体不明』(混世魔王オーバーコート中)
●実績達成スキル『おえらいパンジャンドラム』
●実績達成スキル『フォーティテュード作戦』”
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“『おえらいパンジャンドラム』、意味のない言葉の羅列にも意味を与えるスキル。
人類が生じさせた対意味喪失スキル。神羅万象に意味を与えて存在を生じさせる。
スキルの原本は意味のない詩でしかない。だから意味を持つはずもないが、それを言うなら人類の発生にすら意味はないはず。
人類の意味喪失が免れている限り、本スキルはスキルとして存在し、人類が喪失する事はない。
仮に人類が、己を意味のない猿だと悟り衰退を始めたとしたら、人類は笑われる事さえなくなり、存在意味を失い消えてしまうだろう”
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我が正体は不出来な車輪ですらない無意味な詩だ。
詩ゆえ黄昏世界の出来事に干渉せず、無意味に爆発していただけだった。人類復讐者職なる職が与えられた理由も無意味。別世界の神性が我を同じ名前の車輪と見誤ったに過ぎない。
結局、仮面の男も我が正体を見当違いしていたようであるが、そんな失敗にすら意味があったのかもしれない。凶悪な石油が不出来な車輪に置き換わったからこそ、詩という正体を明かした我がこうして動けてしまっている。
とはいえ、我はただの詩だ。何も行動しない。意味を作らない。
“彼等はキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのゲームを興じる”
意味がないついでに……無意味な同類の好でアイデンティティーの無い化物を爆散させてしまうとしよう。無意味なモノが意味ある者の道を閉ざすべきではない。
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“『フォーティテュード作戦』、失敗前提、いや、失敗を目的とした作戦が元となったスキル。
本スキル所持者の行動は、欺瞞作戦により失敗が決定付けられている。成功を求められていない。無様に失敗して嘲笑されてこそ意味がある。ゆえに失敗する”
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我が『フォーティテュード作戦』は意味ある対象には強固に働くが、無意味な対象にはサボタージュするであろう。
“かかとの火薬が無くなるまでね”
ブーストON。さあ、かかとの火薬が無くなる前に爆発四散してしまおうか。
詩う巨大なパンジャンドラムは最後の力を振るう石油と衝突する。
真正面からぶつかり激しい閃光を発生させたために、目を瞑った。
衝撃波と爆音を覚悟して待っていたものの、特に何も起こらない。石油と巨大なパンジャンドラムは最初からそこに居なかったかのように世界から消えていた。