18-10 禁断魔法
ヒガンバナが天竜川で魔法使いとなったのは戦前。同じ魔法使いであっても生きた時代が違う。そんな魔法使いがいたのか誰も知らない。名前を聞いても分からない。魔法属性さえも継承されていない。
忘れ去られてしまったヒガンバナであるが、逆に言えば、彼女の視点からでは今の魔法使いが分からない。
『天竜川で今も魔法使いが生贄になっているのは疑わない。だからといって、ここに現れる理由はない!』
石油で作られた巨大なヒガンバナが否定するように手を大きく振った。
召喚された四人を認めない。認められないのであろう。
「……などと疑っている先輩について、師匠は何か知っています?」
“そうねぇ。天竜川被害者の会に聞いてみないと、ちょっと分からない。だいたい怨霊になっていて、調子の良い日以外は意思疎通が難しいのだけど”
「幽霊も大変ですね。大変ついでに三節、お願いします」
先陣を切って魔法詠唱を始めたのは皐月だ。足元の影から聞こえる女性の声と重なりあった呪文は、人間が紡げる魔法の限界を超える。
“――崩壊、その終末は炎熱となりて、噴火――”
「――大地の行く末、灼熱、見渡す限りは赤い終局。重唱六節呪文“破局噴火”発動せよ」
巨大なヒガンバナの直下で地面が沸騰する。沸騰寸前に水蒸気が盛り上がるように地形が隆起していき、耐え切れなくなって大爆発を起こした。
対魔王、対大群用に開発された広域地形破壊魔法は、開発思想を裏切らずにヒガンバナの体を吹き飛ばす。
「……あれが本体って訳でもなさそうね。見えている部分は表層に過ぎないか」
炎上しながらヒガンバナは飛び散ったというのに、すぐに別の場所で花開く。腕だけだったり足だけだったり目だけだったりと飛び散った影響で多少歪に分裂してしまったものの、それだけの事である。
既に世界の終わりの光景のように黒い噴煙が広まり雷まで発生しているが、石油は思った程のダメージを受けていない。
「愚かな皐月。爆発で気化した毒が拡散した」
「ケホっ、天竜川の魔法使いを降りるです」
「ガラスを生成して外気を遮断しよう」
皐月の魔法の結果、石油の毒気がより広まったために仲間――本人達は仲間と言っていない――から非難轟々だ。
『この魔法、天竜川の水準を明らかに超えている。やはりお前達は違うッ』
「そんなの当然ですよ。私達は主様から解放されたのだから、いつまでも同じ所に居続けるはずがない」
『主様を倒すのは私だッ。私がアイツに復讐するんだ』
「それも、もう無理。御影が倒してくれたから」
皐月は軽くダンスをするかのように、煌びやかな衣装を見せびらかす。天竜川の魔法使いの特徴たる和装と目撃させる。
『――ち、違うッ。主様が私以外の誰かに復讐されるなど、あってはならないッ!!』
言葉に詰まったヒガンバナは、必死に否定するために地の底より己を増産する。
混世魔王となる前から、彼女の戦い方は領域を広げて敵を毒に巻き込むというものだった。石油で大地を満たして囲い込む戦法は地味ながらに堅実で、量を用意できる石油に適した戦法だ。
「まあ、そんな人間離れした先輩を説得できるとは思いませんけど。私も、自分が天竜川の魔法使いだって証明しろと言われても方法を思いつかないですし」
「皐月、パスポートなら持ってきたけど?」
「あのねぇ、アジサイ。あそこのOGは戦前の人よ。今の日本のパスポートを見せても分からないから。たぶん、平成って年号も知らない世代よ」
「……私達って今、令和?」
石油由来の原材料で動くパスポートをアジサイは残念そうにしまった。
「やっぱり御影に頼まれた通りに思いっきり叩いて無害化するしかなさそうね。誰か自信のある人?」
皐月にしても重唱六節呪文が最大火力ではない。一つ誤れば世界を吹き飛ばす威力の重唱七節も唱えられるとはいえ『魔』は有限だ。妖怪の都を吹き飛ばすのが精々であり、地面の下に大半が貯蔵されている石油を照準するには不向きである。
「シェルターに隠れられているようなものなのよね。アジサイにしても、落花生にしても、隠れた敵を狙い撃つのに適した魔法はないから困った」
アジサイの氷の七節で全球凍結を誘発しても、地面の底まで凍らせるのは難しい。落花生の雷でも同じ事が言える。
「……私の九節、“層消し”ならいけると思う」
有効な手段がないと思われた中で小さく挙手したのは……ラベンダーである。
『――勝ってうれしい花いちもんめ』
皐月達が相談という名の隙を見せていたからだろう。先に呪文詠唱を始めたのはヒガンバナだった。地表へと大量の石油を呼び寄せた後に毒魔法で強毒化する。今でも皮膚に触れただけで麻痺を引き起こす毒性を有するが、これが魔法で強化されたならばきっと、粒子一粒触れただけでも即死する劇毒となる。
『――負けてくやしい花いちもんめ』
「呪文を完成させないです! ――稲妻、炭化、電圧撃!」
ヒガンバナを邪魔するために、落花生の手から撃たれたのは高電流を放つ魔法だ。モンスターを易々と感電死させる電圧を誇るとはいえ今更、ただの三節でヒガンバナを止められるはずがない。
「――三節から四節へ連鎖! 爆裂、抹消、神罰、天神雷――四節から五節へ連鎖! 浄化、雷鳴、来迎、天神雷神、神の顕現たる稲妻にまつろわぬ存在は焼き尽くされる事だろう」
いや、落花生の魔法は連鎖する。小さな放電が行われてから雷が落ちるように、彼女の魔法は小さな魔法から始まっていく。
「人の身で至りし至高の領域、六節呪文“疾風迅雷”。されど、六節は限界にあらずです。連鎖!」
「……やっぱり落花生のそれ、長くない?」
「皐月はうっさいですッ。 ――第五の惑星の主神、循環せし大気、雷は威光の端くれに過ぎず。混ざれ混ざれ混ざれ、走れ走れ走れ、これより我は大惑星の気象とならん。人が現時点で到達せし極限!」
連鎖的に妨害する魔法の威力が高まっていき、ついに破局が始まる。
「連鎖七節呪文“大赤斑”発動するです!!」
巨大ガス惑星、木星の暴風気候を再現する大魔法によりヒガンバナはかき乱された。惑星の大気はミルクコーヒーの色合いへと変色していき、時速六五〇キロの濁流が何もかも洗い流す。
石油の脅威は量であってその他は際立っていない。皐月の六節でも表層は爆砕されたくらいなので、落花生の七節は十二分に妨害効果を発揮した。
……だから、大魔法の制御に集中しなければならない落花生が足元から狙われるのは当然だ。
「落花生ッ!!」
「秋は自分の魔法に集中するです!」
石油の噴出の直撃を受けて落花生は猛毒を浴びた。
「ライカっ、良い子ですね!」
浴びたはずであった。落花生の影から現れた犬が彼女の首根っこを咥えて飛び立たなければ。新しく飼い始めたペットのお陰で、石油は一滴も付着していない。
上空に退避して事なきを得た落花生。彼女以外の三人も狙い撃ちを避けて移動や防御行動を開始している。
「氷封七節魔法“アイスエイジ”――時代ごとすべて凍れ」
地面に手をついて石油の奇襲を防いだのはアジサイである。ストック型の魔法を用いる彼女の七節は即時性において落花生を遥かに上回る。
「それで在庫切れの癖して偉そうですっ」
「私はそれだけ召喚回数が多かったって証」
「私も同じ数だけ呼ばれているです」
「御影に召喚された回数でマウント合戦? いい度胸ね」
『――そうだんしよう。そうし――』
「詠唱が続いている! まだなの、ラベンダーっ」
一人だけ攻撃を行わず精神集中していたラベンダーは人類未踏の領域、九節呪文の詠唱準備を整えた。
「――自律人」
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“『悪魔の発声法』、真性悪魔が用いる独特の発声スキル。
根源的、魔法的な存在たる真性悪魔の声帯に備わる機能。真性悪魔であれば当たり前に有する器官であり、人間が肺で酸素を吸うくらいに当たり前なもの。ゆえに本来はスキル化されない平々凡々な発声法である。
スキル効果としては、八節までの呪文をたった一言に圧縮して発音し、魔法を発動できるようになる。九節も唱えられる可能性があるが、代わりに声帯が回復不能なレベルで破損する。それ以前に九節魔法は惑星が耐えられない”
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しかしながら、八節ですら皐月、アジサイ、落花生は到達していない。ラベンダー本人も唱えられない。
だというのに八節を通り起して九節を唱えようとしている。これはおかしい。
実際、今詠唱したのも三節の魔法の短縮版だ。土を使った自分のデコイを生み出す魔法で、ラベンダーは複数の自分を生成しただけである。
「――時代を重ねる、積層、歴史を埋蔵させる」
「――蓄積、土は時代であり歴史、記録」
「――我々が生きる土地はレコード、惑星の記憶そのものなれば」
「……えっ、これって私の重唱詠唱じゃない?!」
生成した土の人形二体と共にラベンダーは意味ある言葉を重ねて唱えていく。皐月が魔導師となるべく生み出した既存技術であるが、真似されたのは初めてだ。
「――連鎖、惑星記憶たる地層を消し去るは」
「――連鎖、時代と歴史を消し去ることなり」
「――連鎖、土に生きる者は死しても土に束縛される」
「……って、秋! それ私のですっ」
更にラベンダーは落花生の連鎖詠唱まで真似してみせた。というよりも、本家よりもよりスムーズな連鎖で呪文が長くなるデメリットを改善している。
嫌な予感がしたのだろう。珍しくハっとした焦った表情でアジサイは体や顔に触れるが、氷封アクセサリーは先程使い切ったばかりである。使われる心配はない。
そんな心配をしなくても、ラベンダーは髪の毛を一本抜いて最終詠唱のための『魔』を補充していた。下手に『魔』を物質化しなくても、自分の体の一部であれば『魔』の蓄積も容易だったのだろう。
「――汝が存在した記憶もろとも消し去ってくれよう。多要素詠唱九節、“層消し”」
……呪文詠唱完了と共に標高がガクっと下がる。
不確かながらに、数十メートル、もしかすると百メートルは下がったかもしれない。地層の年代で言えば二億年前から六千年前まで。明らかに景色が変貌してしまっており大異変であるはずであるが、誰にも気付かれない。
失われた地層は最初から無かった事にされたために、誰も気付けはしない。
「九節、“層消し”は地層を消し去ると共に、その層に適合する時代や歴史の出来事を同時に消してしまう。禁断の魔法だよ」
ラベンダー達が戦っていたはずのヒガンバナも存在を抹消されてどこにも、もういない。