18-7 石油なる魔王2
石油の外観に変化が生じる。
古代をイメージした植生と恐竜に、奇妙な花びらが生え始めた。花弁が輪形に広がりつつも間から髭のようなものが伸びている。そんな花が石油に汚染された大地や、あるいは、恐竜の目や口からも生えてきている。
石油が擬態しているため色は黒いものの、見る者が見ればすぐに分かる。
花の正体は……彼岸花だ。
「石油め、ヒガンバナを取り込みやがったのか!」
扶桑樹と争っていた毒花の魔法使い、ヒガンバナは乱入してきた石油に飲み込まれて行方不明になった。
ほぼ死亡扱いの行方不明であり生存しているとは思っていなかった。が、ただ死ぬよりも悲惨な目に遭っているとは『運』がないにも程がある。
「毒性強化のためにヒガンバナは使われた。扶桑に現れたのは最初からヒガンバナが目的だったのか。石油の癖に知恵が回る」
「おい、御影。石油は燃料だって聞いたぞ。燃料に吸収能力まであるのかよ」
「石油自身のスキルというよりは『正体不明(?)』を最大まで活用、いや、悪用した副産物か」
「……どういう事だ?」
『正体不明』スキルに疎い紅には分かってもらえないかもしれない。一方、鳥の仮面で正体を隠していた経歴を持つ黒曜はすぐに察した。
「石油の正体は判明していない。だから、どこぞの魔法使いだったとしてもおかしくないという論法か」
「無茶苦茶じゃねぇかよっ」
「そうだ。無茶苦茶だ。普通にやっても成立しない。石油の神秘性がいくら高くても、明らかな嘘まで組み込めるのは普通じゃない」
古代が発祥元である石油の正体が実は魔法使いのヒガンバナでした、と言うのはかなり厳しい。魔法でせっせと世界中の地中に石油を埋めたとでもいうのだろうか。『正体不明(?)』は嘘を真実に塗り替える万能薬ではないので、もう少し説得力が欲しい。
いや、そういった部分をすべてクリアしたとしても、アイデンティティーを失いかねない危険な手段である事には変わらない。俺が悪い例だろう。
元の正体が分かっていない石油に、自己消失の恐怖はないというのか。
「事実としてヒガンバナは取り込まれて、ああして利用されてしまっている。マズい、ユウタロウ達が動きを止めた」
毒の付着を避けようとする分だけ迎撃が遅れていく。結果、追い込まれていたユウウタロウとスノーフィールドは更に追い込まれて完全に動けなくなってしまった。
助けに行くとすれば今しかない。
けれども、助けにいけたとしてもそれで終わる。灼熱宮殿へは到達できず、石油さえも討伐できないまま終わるだろう。なお、ここでユウタロウを見捨てたとしても結果が変わらない事は注釈しておく。
石油は対策方法すら浮かばない怪物であった。そんな怪物がヒガンバナを取り込み更に手がつけられなくなった。
状況は最悪と言いたいが……最悪という名に底はない。
『――嘲笑を止めない愚かな人類よ。我が身の炸裂こそが嘲笑としれ!』
稜線を超えて現れる巨大な車輪。
肥大化した異世界の太陽に照らされて熱せられた鉄輪が、陽炎に揺いでいる。
ボビンのようなふざけた形だ。いつもなら笑っていられたものの、この非常時に挟み撃ちで現れるなど、やはりふざけている。
「車輪の混世魔王。お前の人類への恨みはなんだ?」
『嘲笑されるべきは人類。人類こそが嘲笑されるべき愚物』
車輪の混世魔王は正直に言えば敵にはならない。失敗兵器のシルエットが保証してくれる。また、蔑視程度の恨みで人類復讐者となった車輪はやはり脅威ではない。
ただ、懸念がある。爆薬を満載した車輪の混世魔王はどこに転がっていくのかがまったく読めない。俺の所に転がってこなくても、代わりにユウタロウへと直撃する可能性は大いにある。
考えるべき要素が増えたために状況判断は難しくなった。
前方の石油と対峙するべきか。後方の車輪と対峙するべきか。あるいは、黒曜が見上げている空を見るべきか。
「上空だッ。上を見ろ!」
衛星のごとく燃える黒い宝玉を三つ引き連れて飛んできた裏切り馬、玉龍まで計算に含めるとなると、もう頭がパンクしてしまいそうだ。新手の参戦が続き過ぎる。
「玉龍、お前自身も黒八卦炉の宝玉として数えれば、数は四つか?」
異形な尾をクネりと動かすだけの玉龍。ウマの姿をしているので返事はしない。
大気圏突入を邪魔してきた玉龍が今更、何のために現れたのか。少なくとも、俺の味方をするためではない。
「石油、車輪、玉龍。どう扱う――」
ふと、脳内で組み合わさった三つの難題はミキサーされながらまとまっていく。まるで猿が無茶苦茶にタイピングしてシェイクスピアを書き上げるかのごとく一つの答えを導き出す。
主軸となったアイディアはヒガンバナだ。
「――すべてがうまくいっても、石油を倒すには一手足りない」
ただし、それでも数が足りない。
ヒガンバナの強烈な毒は皮膚に浴びるだけでも大ダメージであるが、石油ならば更に有効的にヒガンバナの毒を扱える。
毒を避けていたはずのスノーフィールドが大剣を指の間から落としていく。意思に反した行動だった。驚いて視線を向けた先にある醜いカエルの呪われた手は震えている。毒が指先に回った麻痺症状だ。
「どう、してですの?」
スノーフィールドの変調は、揮発した石油を吸い込み過ぎた事が原因だ。石油に直接触れなくても常温で気化する分を吸っただけでも毒は効果を発する。
不思議なのはユウタロウがまだ動けているのに、どうしてスノーフィールドだけが先に動けなくなったのか。体格は同等。であれば、肉弾戦により毒を多く浴びているユウタロウの方が早く動けなくなりそうなものである。
「タフ、ですのね」
「体の構造の違いだ。両生類には肺以外に呼吸方法があると老いたゴブリンが語っていた記憶がある」
「ますます、嫌になりますわ。この呪われた体……」
カエルは皮膚呼吸の割合が大きい。スノーフィールドにもそれが当てはまった。
動けなくなったスノーフィールドは当然狙われる。両目にヒガンバナを生やした、シュルレアリスムなラプトルが迫る。
これまでかと思い目を瞑るスノーフィールドであったが、割って入ったユウタロウに庇われた。庇った所為で別方向から現れた頭ヒガンバナなティラノサウルスに腕を噛まれているのに、意に介していない。
「お前だけ動けなくなったのは好都合だ。……黒八卦炉の宝玉をやる。これで一人、逃げ帰れ」
「こんなものを今まで隠し持って! それに一人でって。貴方はどうするつもり?」
「時間を稼ぐ以外にやれる事はない」
「一人では、無理ですっ」
「オークである事を諦めれば、まだ時間を稼げる。気に食わんが、御影に時間を稼ぐと約束したからには命果てるまで稼ぐ。ゆえに……『八斎戒』宣言。以後の人生、俺は命を奪わん。この禁戒をもって、俺はより高次の存在へと至らん」
==========
▼ユウタロウ
==========
“ステータス詳細
●力:2112(2^六戒) → 4224(2^七戒)
●守:1344(2^六戒) → 2688(2^七戒)
●速:1216(2^六戒) → 2432(2^七戒)
●魔:1296/1296(2^六戒) → 2592/2592(2^七戒)
●運:0”
==========
本当にただ時間を稼ぐだけ。敵を倒す必要性がなくなったユウタロウに命を奪う手段は無用の長物。パラメーターを倍増させて己をより丈夫なサンドバッグにする事を選んだ。
「オークごときが仏神などに成れるはずもないが、余らせておいても意味はない。戒をすべて重ねてくれる」
ユウタロウが重ねた宣言は七つ。『八斎戒』スキルの最終段階だ。
==========
“『八斎戒』、俗世の身を律して神格へと至らしめるスキル。
八斎戒のいずれかを永続的に守ると宣言するたび、全パラメーターに対し、2の宣言数の乗の補正を行う。
八斎戒すべてを宣言した場合には神格へとクラスチェンジする”
“取得条件。
過去を省みた証として誓いを立て、過去の自分から脱却する”
==========
残る禁戒は不淫戒のみ。
性行を禁止する宣言を最後まで残してしまったのは性に貪欲なオークの性だろう。
神の性質を帯び始めたユウタロウの体は輝いて見える。魔族が神仏へとクラスチェンジしようとしている。特例も特例、異常も異常であるが、魔族が善に傾く前例がない訳でもない。
「オークとしての俺は終わりだ。クラスチェンジを果たした後も先は長くないだろうが。スノーフィールド、お前のような猛き女と最後に共闘できた事を誇りに思う。……では、さらばだ」
『八斎戒』の最終宣言を開始する。仏神、仙人、例外なく滅びる黄昏世界で新しく神格となったところで解決にならない事はユウタロウも理解していた。
それでも宣言する。
僅かな希望、御影が御母様を倒す可能性にかけて宣言する。
「『八斎戒』宣言。以後の人生、俺は性行を禁じる。この禁戒をもって、俺はより高次の存在へと至ら――」
ペチン、と音がした。ユウタロウの頬から発せられた音だ。
ユウタロウの覚悟は、水かきのついたビンタによって中断させられたのだ。
麻痺した動かない体を動かしたスノーフィールドはユウタロウを正面から見詰めて、彼女の眼球は隠せないくらいに潤んでいて。
「――ユウタロウっ。私は、貴方の子供が欲しい」