18-6 石油なる魔王1
牛魔王は沈静化された。
妖怪最大戦力をいともたやすく倒せたものであるが、娘の説得に扶桑樹の参戦、ここまで好条件を揃えておいて誇れるものはない。
「説得に失敗したなら、本当の最後の手段はあった」
「え? 紅、まだ奥の手があったのか??」
「……別働隊が母さんに俺の手紙を届けさせている」
「もしかして、羅刹女の事?」
「鉄扇公主だ。普段温厚なんだが、怒らせるとクソ親父よりもこえぇ。今頃、予備の筋斗雲でこっちに向かっているんじゃねぇか」
“――ま、待ってくれ、コウちゃん。今、ママを呼んだと聞こえたが? 前にパパが浮気を疑われて火焔山が扇で吹き飛ばされたのを覚えていないのかな?”
「黙ってろ、クソ親父」
勝つべくして勝った戦いだった。とはいえ勝利だ。
けれども、内側から腹が膨れ上がった巨大牛の正面に到着した俺を、紅と黒曜の二人はあまり良い顔で歓迎してくれない。
「ここはまだ余裕のある戦場だった。御影を灼熱宮殿に直行させられなかったのはマズいぜ」
最悪、牛魔王に破れても問題はなかったのだ。
灼熱宮殿の奥に鎮座している御母様を倒せれば、戦闘部隊が全滅したとしても人類は全滅しない。黄昏世界の箱舟たる天竺の安全を確保できれば勝ちである。
牛魔王と戦っていた所為で余分な時間が経過してしまい、勝利への道は遠ざかっている。
状況悪化の具体例は……灼熱宮殿方向から染み出してきた黒い水だろう。暑さで乾いていた地下水道を利用してやってきたのか。
「石油だッ」
地下から染み出す黒い液体は、鱗を有する恐竜の腕を形成して俺や紅の足首を掴む。
腕に遅れて形成されたラプトルの顔は牙を剥いた。
石油が恐竜起源だという話は昭和時代の教科書の誤情報であり現在では否定されている。が、その誤情報をむしろ積極的に活用する『正体不明(?)』の悪用だ。
「任せろ。お前達は動くな」
防御するか回避するか、あるいは、カウンターか。
こう思考している合間に、黒曜がラプトルの首を切断して回った。一人だけ石油の奇襲に反応していたのは流石である。
断たれたラプトルの頭はすぐに形状を失い液体へと戻っていく。有機起源説では藻やプランクトンが起源と言われている石油である。構成単位は小さなものでしかなく、量が揃わねば大した脅威ではない。
「灼熱宮殿は山向こうのはず。ここまで地面を浸食して現れるという事は……」
混世魔王へ挑んでいたのは第二陣、ユウタロウとスノーフィールドを主軸とする部隊である。
石油が広範囲に流れ出ているという事は、第二陣は混世魔王の抑え込みに失敗したのだろう。
「すぐに行こう」
「仕方ねぇな」
「嫌なら来るなよ、闘牛女」
「ア? 誰が嫌だと言った、沙悟浄女!」
ちょっとどころではない窮地だと思うのだが、黒曜と紅が揃うと根拠のない余裕を感じる。
“待ちなさい、コウちゃん。パパも一緒に行くから”
「牛魔王。まずは腹の空気を抜くのが先です」
牛魔王がいれば助かるだろうが、動けない奴がゲップするのを待っていられない。扶桑樹に介抱を任せて先行だ。
岩しかない山は黄昏世界の定番である。
だから、変わり映えのない渇いた土地が黒く染みているというのは異様だ。黒い染みの中から、時々、恐竜が形成されて襲い掛かってくるために緊張も覚えている。
けれども、そんなものは前兆、予兆でしかない。
山を越えた先で、石油が異界を形成して俺達を待っている。
「何バレル出てきているんだよ」
溢れ出した憎悪がシダ植物を成して森を生み出している。見覚えも聞き覚えもない、強いて言えばラフレシアに類似する花が地面で咲いている。そんな太古の森を掻き分けて恐竜の巨躯が次々と出現している。
二億年も昔の古代を再現している、というにはあまりにも悪意に満ちているだろう。
ただの微生物ごときが恐竜時代を正確に覚えているとは思えない。ティラノサウルスの姿さえ、偉い学者の想像力によって毎年のように更新されてしまっているのだ。恐竜時代はもっと異質で然るべきだ。
人間が想像する過去世界に似過ぎている点が、憎悪している人類に対しての当てつけなのだろう。
正体が有機物なのか無機物なのかも分かっていない何かに支えられている人類の文明こそが、曖昧で意味不明なものでしかないのだ。
『――よく分からない石油によく分からないままに復讐されて、よく分からないモノになってしまえ』
滑った黒色は広がりつつも、重点的に集まっている場所は二点。
一つは、山と山の間に造られている宮殿のような場所。目指すべき灼熱宮殿と思われるが、全体が真っ黒く染まってしまって汚らしい限りだ。
もう一つは、山の麓の平野部だ。黒色の群れが殺到中であり渦が出来ている。
目を凝らせば、中心に逃げ道を失ったユウタロウとスノーフィールドの二人が見えるだろう。
土台無理な話だ。
混世魔王、石油の積載量は膨大である。地球人類が無駄に浪費してもまだ数十年以上は枯渇しない量が埋蔵されているとすれば、計測さえもが馬鹿馬鹿しいというのが分かるだろう。
ジュラ紀、白亜紀といった時代単位で積層された死骸が相手である。
正体が仮に微生物であったとしても、個人が時代と戦えるはずもない。
……いや、正体が有機物であったならばまだマシかもしれない。石油の正体が無機起源、星がその内側で生み出すものであるとすれば、惑星あるいは他星の血液が正体と言えるのではないか。それはそれでマズい。星そのものとは言わずとも、星の一部と相対している事になってしまう。
時代か。
星か。
どちらであっても戦えたものではない。
「禁忌の地の人間族は恐れを知らんっ。触るべきではない神をただの燃料として扱うなど馬鹿げているぞ」
「石油であれば私も使った覚えが。松明に便利ですのよ」
予定調和通りに、ユウタロウとスノーフィールドは追い詰められている。第二陣が物量に押されて瓦解した際に、二人だけその場に残って天竺の兵士達を逃した。
「とはいえ、この化物を怒らせた世界の人達に、責任を取ってもらって戦って欲しいのは確かですわ」
「人間族にとってS級の人類復讐者職は天敵だ。恐らくは救世主職の対魔王スキルの対人類版。人類に属する生物に勝てる見込みはない」
「……あの、私も人類にカテゴライズされているのですけど」
「カエルの姿をしていれば、誤魔化せるものだ」
「私も好きでカエルになっている訳ではありませんわッ。呪われているだけです!」
ユウタロウが石油の相手を買って出たのは、オークが人類復讐者職のスキル適用外だからである。有利ではなくとも不利ではない。石油恐竜は力押しのみのためパワーファイターにとっては戦い易い。トリケラトプスの角を脇で抱えて投げ飛ばせる『力』があるなら簡単だ。
いつまでスタミナを保てるかについては疑問符がつくが。
いや、未だにやってこない御影にこそ焦りがある。確実にトラブルが起きているのだろう。
「ふん、あんな仮面に期待した俺が馬鹿だった」
新手の恐竜を殴っていると、腕に石油が付着した。汚れる分には構わないものの、嫌な気配がしたために袖を引き千切る。
「……強酸? いや、毒か」
石油は揮発性が高く吸い込めば体に影響が出る。浸透性もあるため皮膚に触れても悪影響はあるが……分厚いオークの皮膚を焼く程ではない。
毒性が強くなっている。