18-3 突入
第三陣としての出撃時刻が迫る。
穴が開く程に睨みつけていた木簡を優太郎ファイルに押し込む。不格好に膨らんだA3ファイルを持ち運ぶべきかを悩み、結局、ベッドの上に置いた。
今、挑むべき相手は御母様であって、他の誰かではない。
「……行くか」
決戦前なので、装備はある程度一新している。
メインウェポンは黒曜からのお下がりたる使い古したエルフナイフから変わらない。ただ、ナイフ一本では心許ないので予備を数本、嫦娥に所望した。
仮面も契約更新で残留。
その他は下着も含めて新品に置き換えた。
一度、妖怪に囚われて装備のほとんどを奪われてしまった所為で服もなくしている。その後に使っていた服は扶桑樹の枝を編んだその場しのぎ。防御性能は案外高かったものの、麻袋を着ているようなものだったので交換だ。
天竺が保有する最高品質の服と防具。鎧は着なれないので、必要最低限に留めた。どうせ、御母様の炎の前では意味はない。
「御母様を別にしても、石油を相手にするなら地球産の物品は身に着けない方がいい」
そう言えば仮面はどうなのだろう。安物ゆえに大量生産品のプラスチック製のはずであるが……まあ、見た目だけの話で中身は色々変容してしまっているだろう。見る人が変われば装飾の激しいベネチアンマスクになっている。石油が相手でも制御は奪われない。
一、二度ジャンプして新調した靴の心地を確かめる。
問題なければ、いよいよ出撃だ。
「案内してくれ、嫦娥」
扉が自動的に開かれて分かれ道の右側だけが照らされる。雰囲気があるものだ。
長い廊下を歩いて辿り着いた先は格納庫というべき広い空間だ。カエル姿の天竺住民が多数、右往左往している。
月桂花……ではなく嫦娥の姿を見つけたので駆け寄った。
「戦いの状況はあまり芳しくないのか?」
「気にするな。戦線が崩壊するよりも先に灼熱宮殿に届けられる」
それはつまりマズい状況なのではなかろうか。心配しかないが心配しかできない。
皆が心配ならば俺が早く御母様を討つべきだ。
「灼熱宮殿までは突入艇を使う。太乙真人亡き今、妖怪に衛星軌道から降りてくる高速飛翔体を迎撃する能力はない。安心するがいい」
「妖怪にできなくても管理神の御母様なら可能では?」
「未だ積極的な行動を見せてはおらん。ただし、灼熱宮殿を目指せば流石に動きはするだろう」
耳元で羽音がすれば反射的に手を動かす。その程度の行動で熱線をぶっ放してくると聞かされて、突入艇らしき卵型の乗り物へと向かっていた足を止めてしまった。
「おいおい」
「無策で送り出しはせん。突入艇は感知されないように欺瞞処理が成されている。月の女神の権能であり加護だ」
「ステルス性があるのか」
「更には囮の突入艇を同時に複数投下させる。突入を気付かれたとしても、本命の其方を撃ち落とすのは不可能だ」
「『運』にはそれなりの自信があるぞ」
考えてはくれていたらしい。
生き残るために全員が最良の働きを見せてくれている。走り回っているカエル達は囮の突入艇を準備してくれていたのだ。次のない作戦のため、今回で在庫を使い果たしてしまうらしい。
「さあ、乗り込め。そして……無事に戻ってくるのだぞ。命は何よりも大切なものなのだからな」
送り出すための言葉を告げつつも、嫦娥は何故か服の裾を握っていた。無意識の行動だったようで驚いた顔をしつつも手を引っ込めた。
俺は足を止められず、手を上げて挨拶を残して突入艇へと乗り込む。
突入艇内部は実に簡素であり、壁沿いに複数の座席が並んでいる。座席と言っても立ったまま体をシートベルトで固定するだけのものだ。一つの突入艇で二十人を地表に送り込める。
全盛期の天竺は突入艇を用いた救世主職お届け作戦でバリバリ働いていたのだろう。なかなかにエグい反乱軍である。
『まずは囮を放出する。直後が其方だ。無重力状態になるが安心するがよい』
嫦娥の機内アナウンスが聞こえてきたのでシートベルトを再確認だ。
「おっ、動き出した」
ロックが外れたのだろうか。V1、回転、V2と謎の呪文を心の中で唱えていると体にかかっていた重力が喪失する。
外の様子が分からないのは不安感がある。という俺の心を読んだように足元が透けていく。黄昏世界の赤い地表が見えた。高所恐怖症でなくても怖さがあり、別の不安感を覚えるな。
動き始めてからは早かった。大陸中央へと向かって軌道を修正後、降下を開始する。
赤く輝きながら先行して落下しているのは囮の突入艇だろう。
作戦は今の所順調だ。
「――と、安心したらさっそくかッ」
先行していた囮の一つが、レーザー光に撃ち抜かれて迎撃されてしまった。大気圏突入中に膨張、爆破されて原形さえ残らない。
「おい、嫦娥。どこが欺瞞しているだっ! どこが加護だ。カゴ未満のザルじゃねぇか。次々壊されていくぞ?!」
レーザーは宇宙の方角――おそらく、惑星系の中心――から発射されている。突入艇を斜め後ろから次々と撃ち抜いていく。
爆散していく囮達。
スピキュールと思しきレーザーは百発百中の精度である。太陽から地球に光が届くのに八秒強かかるという話なら、どんな置きレーザー射撃をしているというのだろう。
「再突入の軌道は計算し易いってかっ。クソ、回避行動は無理だ」
大気圏突入による断熱圧縮はまだ続いている。下手に動けば突入艇はバラバラ。壊れなかったとしても到着地点は大きくズレる事だろう。
何もできないまま囮は数を激減させる。
単純に地表との距離が近い突入艇から先に撃ち落とされている。本命の俺が乗っている突入艇が狙われるのは最後だろう。
ギリギリまで粘る。最悪、生身での自由落下が待っているが、長い人生経験ではパラシュートなしでのフリーフォールは何度か機会があった。やってやれない事はない。
「撃ち落とされる瞬間に『暗影』で脱出。『暗躍』で隠れられるのならそのまま地表へ落下しよう。そうしよう」
そう簡単に灼熱宮殿に到達できるとは思っていなかったのでこの程度では慌てない。
囮がすべて破壊されたら覚悟して『暗影』で跳ぼう。
……そう覚悟したからこそ、レーザー光とは正反対からの襲撃に気付けなかった。
突入艇ごと体がシェイクされる。
コマのように回転する機体の中で、殺人的なコーヒーカップを体感する。
レーザーに撃墜されてしまったのかと勘違いしたものの、そうではない。一瞬であるが、回転する惑星と宇宙の合間に、白馬の姿を視認した。
異形の尻尾を有する白馬である。
「玉龍?! お前っ――」
馬体との衝突によって軌道がズらされたからだろう。恒星からの長距離狙撃は外れてくれた。
助けられた訳ではない。助けるつもりであれば方法はいくらでもあったはずである。
何よりも、目標としていた着陸地点から突入艇は大きく離れる結果となっている。
まったく無事ではないが、生命活動的には無事な状態で惑星上へと帰ってきた。自分は動いていないのに地面が勝手に動いている。これが天動説なのか。
「まだクラクラする。体がバターに変わっていないだろうな」
回転しながらの落下でありながら安全装置により地表へは着陸できた。そこは喜ぶべきなのだろうが、まず質問がある。
「どこに落ちたん――ん??」
突入艇の扉をこじ開けて外を見ると、あちらも俺を見ていた。
“仮面の救世主職。娘を誑かした元凶が、鼻を明かしたつもりか?”
どうやら俺は勘違いしていたらしい。
地上に戻ったつもりだったが、戻った先は巨大牛の鼻の上だったらしい。