17-9 銀角2
点在するデブリを足場に重力の希薄な空を跳ぶ。くるくると回っているクゥを発見した時には天竺からかなり遠くまで移動していた。
サポートに回っている女神嫦娥のお陰か宇宙空間でも呼吸はできている。ただ、気のせいレベルで呼吸が苦しくなってもいる。高山の頂上付近のような感じか。薄ら寒さもある。天竺から遠ざかった所為で女神の権能が届かなくなっているのだろう。
呼吸や気温も問題だが、無重力も問題だ。
遠くまで来た事もあり、足場にできるデブリが見当たらない。慣性に従う宇宙をバタフライやクロールで泳いで進むのは無理があった。『コントロールZ』の使用で『魔』を枯渇させていなければ墓石を召喚できるのだが。
悩んでいる俺の手助けに現れたのは、白い馬だ。
「玉龍か」
宇宙は泳いで進めないという常識を破壊する謎の白馬は、馬には異質な尻尾を動かしながら現れた。単独で空を飛べる馬なので今更、ツッコミは無しだろう。
背に乗れ、と言いたげに接舷してきたので遠慮なく乗った。
悠々と宇宙を飛ぶ玉龍は、簡単にクゥへと接近する。
「クゥ。大丈夫か、クゥ!」
ぐったりとしているクゥに呼びかけるが反応はない。ユウタロウの奴が握り締め過ぎた所為で気絶してしまっている。見ただけでは骨や内臓へのダメージ具合が分からないため不安だ。
片腕を掴んで引き寄せたが、やはり反応はなし。浅く呼吸はしているので生きてはいる。
診断と治療を受けさせるべきだというのに残念ながら余裕はない。現在進行形で悪霊に襲撃を受けている天竺へ連れていくのも危険だった。
細いクゥの体がズレ落ちていかないように抱きかかえる。
「軌道エレベーターに向かってくれ。場所はあそこ。穴が開いている付近だ」
賢い玉龍は言葉を理解して移動を開始した。目指したのは、楼閣へと変容している軌道エレベーターの中腹。明らかに戦闘で破損している箇所だ。黒曜達は派手に暴れているらしい。
「……魔王城化は解除されていない。戦闘は続いているのか」
穴が開いている場所が今も戦場になっているかは不明である。
ただ、近づくにつれて奇妙さが分かってくる。
軌道エレベーターの大穴から外に気流が流れ出ているというよりも、内へと向かって気流が流れ込んでいるように見えるのだ。破損している構造の一部が内へと向かって吸い込まれていく光景を目撃した。
軌道エレベーターを占拠した妖怪は、金角銀角の兄弟妖怪。
所持している宝貝の一つは名前を呼んだ相手を吸い込む瓢箪だ。嫌な予感しかしないが、吸引が継続しているのであれば戦闘が継続しているという証拠でもある。
援護を必要としているかもしれない。玉龍の背を叩いて急かした。
穴の近くまで到着した。
高度が低くなっている分、重力が強くなっているのだろう。楼閣の屋根に下り立つと久しぶりに体重を感じる。
「任せていいよな。……クゥを食べるなよ?」
玉龍の背中にクゥを乗せておき後を任せる。できればロープで固定しておきたかったが、都合良くその辺に転がっているようなものではない。まあ、賢い玉龍ならどうにかするだろう。
屋根を伝って『暗躍』しながら大穴へと近づく。穴の周辺は脆くなっており範囲が少しずつ広がっているので注意が必要だ。
「クソ、何を突っ込めばあの瓢箪、塞がるんだよ!」
顔を出して中の様子を確認したところ、やはり戦闘中だった。
「これでどうだっ!」
丁度、紅が図太い柱に腕を突っ込み、力任せに引き抜いた柱を投擲していた。狙った先には銀色の毛並みのキツネ顔妖怪、銀角が瓢箪を構えている。
瓢箪の口と柱の一部が接触した瞬間、体積的にはありえない事に柱が瓢箪の中へと吸い込まれていった。銀角まで届いていない。
紅の攻撃は失敗してしまったが……柱に隠れるように一緒に跳び込んでいた黒曜に銀角は気付けなかった。
「――獲ったッ!」
『暗影』で銀角背後に跳ぶと逆手に構えていたナイフを首筋に叩き込む。『暗殺』スキルは使っていないようだが、十分に致命傷だ――、
「――懲りんな。『世界をこの嘘言で支配する』、銀の特権により俺の嘘以外はすべて不成立とする――」
――刃で抉って頸動脈を断ったというのに血が噴き出ない。銀角は平然と首を回して黒曜を睨む。
「学習能力のない。何度、殺しても無駄だ。お前ではこの俺、銀角を殺せん」
「同じだと思うなよ。『既知スキル習得』発動、対象はエキドナ母さんの『怪物的誘惑』」
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“『怪物的誘惑』、恋愛感情の強要により精神を支配するスキル。
体臭に恋愛感情を誘発させるフェロモンを混ぜて、周囲に拡散させる。フェロモンの効果対象は性別を問わない。
効果範囲と強制力では『魅了』を完全に上回る。ただし、対象を選べず無差別に誘惑してしまうため、使用には注意が必要である”
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異常性を見せる銀角への対抗手段として、黒曜は『怪物的誘惑』スキルを使用する。
魅了効果により敵対心は削がれて隙が生じる。スキルを使おうとしても失敗してしまう程だ。
銀角の彷彿とした表情を見る限り魅了は完全にかかっている。どんな力も使わせなければ攻略可能である。数千年の実戦で得た魔王退治の秘訣なのだろう。
黒曜は更なる慎重策を採った。
銀角の手首を切断して瓢箪の吸引を停止させる。と、同時に瓢箪を奪ってしまう。敵の武器を奪うとは手癖が悪いが誰を見習ったのか。
「やれッ! 闘牛女!!」
魅了が継続している銀角を残して、黒曜は大きく跳び退いた。
間髪を容れず、チャージ完了していた紅の目が光る。
「――神罰執行“スピキュール”」
紅は下から上へと視線を移動させる。と、発振されたレーザー光が同じように移動して銀角を縦に斬り裂いた。
黒曜と紅の連携が決まる。どう見ても銀角は即死しており、万が一にも息を吹き返すはずがない。
「下品な女共め。酷いではないか」
銀角の割れた口がニヤりと笑う。
後れて左右の間が縮まって癒着が始まった。無事ではない癖にダメージがまったく入っていない。
「とはいえ、惜しかった。俺達、兄弟相手でなければ決着していただろう」
黒曜と紅は善戦している。並の妖怪、並の魔王が敵であったなら先の連携で倒せている。つまり、彼女達の攻撃に耐えている銀角は並ではない。
銀角は不死身さを雄弁したいのか落ちていた手をゆっくりと取り上げると、腕の断面と接着させた。指を一本ずつ動かして不都合がない事を知らしめる。
倒せない。
銀角は無敵だ。
……けれども、黒曜はそこまで読んでいたのだろう。ウィズ・アニッシュ・ワールドで大魔王を単身で討伐し続けた実績ある彼女にとって、この程度の異常性は常識の範疇だった。
「銀角っ!」
「なんだ? 黒い救世主職」
黒曜は不意に銀角の名を呼んだ。不意打ちだったため、銀角は思わず返事をしてしまう。
銀角は目を見開いた。何故ならば、黒曜の手には瓢箪があり、ドス黒く底の見えない口が銀角へと向けられていたからだ。
倒せないのであれば退場させる。
瓢箪の中へ吸い込んで不死身の銀角を葬り去る奇策こそが本命。
「――ざ、残念だったな。俺達、兄弟の宝貝は誰にでも使えるものではない」
されど、瓢箪は一切動作しない。