17-7 宇宙のさきがけにされた彼女
泣き崩れたギーオスにもう戦意は残されていない。混世魔王の一角はここに無力化された。
「……ギーオス」
「何も言ってくれるな。俺にはもう戦う意味すら残っていない」
ギーオスは地に消えていったシャーロットの悪霊を追うような姿勢のまま立とうとしない。その気力がないのだろう。
無為に過ごすギーオスと俺を、赤く乾いた惑星だけが見下ろしていた。
「――一仕事した気になっていまして?!」
無重力空間より投擲された大剣と、大剣に磁力で繋がっているかのような違和感ある動きでスノーフィールドが飛んできた。
大剣の刃の部分、すべてが宇宙船の外装に刺さってしまっているが、それでいいのか。天竺所属の救世主職。
「それどころではッ。『魔』をすべて使って『コントロールZ』で戻ってきました。全力で守りなさい!」
刺さった大剣を抜いたスノーフィールドは百メートル単位まで刃を伸ばす。両腕で柄をがっしりと握って体を捻り、これから到来する剛速球を打ち返す前のようなモーションだ。
「今ッ!」
球状の黄昏世界の向こう側がチラっと光った。たったそれだけの前触れしかなく、スノーフィールドの警告がなければ気付けたかどうか分からない。
「速ッ? ひまわり。花を広げろ!」
ただ表面積が大きいからという理由だけで悪霊ひまわりを召喚して大輪を盾のように広げさせる。
宇宙に咲いた太陽の花。
地球人類が到達した芸術の最先端。たとえ芸術作品の域にあろうとも、現実で咲いたのであれば地球のどの植物よりも強く花開く。
そんなひまわりを易々と食い破って貫通したとなれば、ソイツの憎悪は計り知れない。
“GAFFFFFFFFFFFFFF!!”
炎を纏った四足獣の凶暴な顔が一瞬見えた。
即座にスノーフィールドの剣が叩きつけられたため姿は見えなくなってしまったが、真空宇宙だというのに獣の叫びが反響する。
「お、重い! このッ。スノーフィールド流対巨人剣術、巨人斬!」
多少なりともひまわりが衝撃を受け止めていた。だから、どうにかパワーで拮抗できたスノーフィールドが大剣を振り切って猛獣の軌道を逸らす事に成功する。
炎の軌跡が天竺を過ぎ去った。
後ろ姿さえもう遥か遠い。
「あの混世魔王、ヤバいですわ。星を周回するたび突破力が増していましてよ。呪いの獣でありながら惑星周回に関して権能があるとしか思えない。貴方の世界、何を仕出かせばあんな怪物を生み出せまして?!」
震える両手を見せながらスノーフィールドは問いてくる。
惑星周回に関する権能。四足獣の混世魔王にはあって当然だ。彼女は誰よりも早く宇宙に到達した動物が正体のはずなので、実績達成スキルを有していない方がおかしい。
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“先駆者(惑星周回軌道)、惑星周回軌道へと一早く生存したまま到達した証のスキル。
惑星周回軌道への到達を実現する”
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「周回は何回目だ?」
「三回目ですわ。正直、次防げるか分かりません」
「三回目……次が四回目。マズいな」
四足獣の正体についてはほぼ予想がついている。宇宙を飛ぶ獣が限られるため、特定難度自体は動物裁判やギーオスと比較して低い。混世魔王の中では対戦回数が多い事もあって、正体が分からないなりに獣の鳴き声が犬の遠吠えである事、尻尾が巻いている事など、確証に至るものを得ていた。
予想通りの相手が正体であれば、惑星四週目は危険だ。四足獣が死んだとされるのが四週目なのである。いわくのある周回ゆえ、怨念を代表とするエネルギー量が最大化するのは間違いない。
「あの速度、直撃されたなら天竺は耐えられませんわよ!」
四足獣の『正体不明』を無効化して不死性を排除した後、撃墜する。
人類の汚点にして非道を二度も繰り返す事になるが、それでも天竺を落とさせる訳にはいかない。
「スノーフィールド。まだ剣は振れるか?」
「もう感覚がありませんですけど、救世主職ですもの。やってみせますわよ」
圧倒的な速度で惑星を周ってくる四足獣の襲来タイミングを察知するのは難しい。
であれば、現れた後に俺もスノーフィールドと同じように『魔』をすべて消費して『コントロールZ』で時間を戻す。タイミングを把握した俺が正体を暴くと同時にスノーフィールドに両断を指示。土壇場で思い付いたのはこんな作戦だ。
ギーオス戦では一方的に殴られていたためダメージが蓄積している。手が痺れているところ申し訳ないが、オフェンスはスノーフィールドに一任するしかない。
四足獣が消えていった方向とは正反対の方角を凝視する。特に注目するのは惑星の弧、地平線だ。あいつはそこから飛び出してくる。
「――来ッ?!」
変化に乏しい宇宙の光景に微かな変化があった気がした。
その瞬間にはもう四足獣は天竺に突っ込んで爆発炎上を引き起こしていた。俺も炎に巻き込まれながら全身をシェイクされる。
「『コントロールZ』発動!」
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“『コントロールZ』、少しだけ時間を戻してピンチを乗り切れるかもしれないスキル。
『魔』を1消費して、時間をコンマ一秒戻す”
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●魔:97/122 → 0/122”
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『魔』をすべて賭して、二度目の九.七秒を開始する。
「――たぞ! 九秒後、さっきと同一方向からだ。構えろッ!」
スノーフィールドに指示を飛ばすと共に、残り六秒で現れる四足獣の正体を無慈悲に暴く。
「地球で最初に惑星軌道を周回した動物。地球の先駆者。望まぬ魁を強いられて荒ぶる犬の悪霊」
四足獣の正体を暴くという行動は、人類の汚名を宣言するに等しいのだろう。
「汝の名は、悪霊クドリャフカ!」
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▼四足獣の混世魔王 偽名、大風→ クドリャフカ
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“●レベル:43”
“ステータス詳細
●力:41 守:33 速:65535(先駆者特権)
●魔:113/311
●運:0”
●人類復讐者固有スキル『人類萎縮権』
●人類復讐者固有スキル『人類断罪権』
●人類復讐者固有スキル『人類平伏権』
●人類復讐者固有スキル『人類搾取権』
●実績達成スキル「正体不明」(無効)New
●実績達成スキル『先駆者(惑星周回軌道)』
●実績達成スキル『毒無効』”
“職業詳細
●人類復讐者(Bランク)”
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地平の向こう側に声は届いたはずだ。反応として、人類に対する隠しきれない憎悪が爆発的に膨れ上がって姿を見せるよりも先に伝わってくる。
感情を伝えてくる怒りにはこうある。
正体を分かってなお、犠牲を強いるのか。それが人類のやり方か。
“GAFッ GGGGGGGAAAAAAAAAAAAAAF!!”
遠吠えは遅れて現れた。人類に殺された犬の怒りは炎に形を変え、炎は推進力に形を変えて悪霊クドリャフカを復讐に向かわせる。
ただ、望むは自分と同程度の悲劇を。
ただ、望むは自分を裏切った人類に犠牲を。
悪霊クドリャフカ。一九五七年、ロシアの人工衛星スプートニク2号に乗せられ、地球を周回させられた犬の名前だ。
なお、スプートニク2号には初めから大気圏再突入能力は設計されていなかった。
「復讐が正当であろうとも、それで黙って殺されるのは決して正しくないですわ! スノーフィールド流対世界狼剣術――」
スノーフィールドの剣がこれまでになく広がっていく。
大剣とはもはや言えないサイズ感だ。軌道エレベーターたる天竺と比較するべき、いや、それ以上の長さと厚みに拡大延長されていく。
ありえない話であるが、剣先が地表へと届いて大地を削っていないだろうか。
スノーフィールドは何を斬らねばならず、このような奥義を編み出したのか。
「――大陸斬。すべてを断ち切りなさい」
人間が扱えるサイズではない。剣術というのは名前だけの、ただの質量召喚だ。
けれでも決して馬鹿にはできない。大陸を両断できるだけの巨大な剣という事は、それだけカバー範囲が広いという事だ。高速道路で走行中にコンクリート壁が投げ込まれたようなもの。天竺へと向かって加速し続けていた悪霊クドリャフカにとっては回避不能、防御不能。掠っただけでも身がひしゃげる。
想定通りに、いや、スノーフィールドの技によって、一番鋭利な刃の部分と悪霊クドリャフカが衝突した。
右の前脚から後脚の付け根の部分にかけて、ごっそりと裂かれていく。
“GAAAAAAAAAAAAAF!!”
「なッ?! 避けられ――」
半身を削られながらも悪霊クドリャフカは宇宙航行を続ける。切断された部位から炎を吹いて加速を続ける。
悪霊クドリャフカは止まらない。
生前もクドリャフカは止まらなかった。人類に裏切られて安全性も不確かな人工衛星の詰め物にされて宇宙に打ち上げられても彼女は加速Gに耐えた。宇宙打ち上げに成功後、安楽死のために毒入りのドッグフードを食わされても彼女は毒に耐えた。
だから、この程度で止まれるはずがない。
俺達を狙った悪霊クドリャフカは、天竺への着弾を執念で成功させる。