17-2 神殺しの矢
黄昏世界を立ち直り不能の衰退へと導いた十姉妹とその討伐。
討伐時に救世主職、后羿が用いた矢は特別であり、創造神直々の神性殺しの性能が付与されていた。そうでなければ、人類最高の矢の技量の持ち主とはいえ次代の恒星を一矢で次々と射貫くような芸当はこなせなかった。
対神性。黒曜も同じようなスキルを所持しているはずだが、即死させる程の効果は異常である。
「后羿に下賜された神殺しの矢は十本。当時、射られた矢は九本」
「……あの、嫦娥さん。どうでもいい話を聞くが、姉妹と同じ本数の矢を用意していたなんて、十姉妹、皆殺しにするつもり満々だったので?」
「予備も含めてに決まっておろうが」
当時、使用された矢の数は九本。
よって、未使用の矢が一本余る訳であるが、恒星級の神性を殺傷可能な矢を本日まで隠し持っていたのが天竺という訳だ。
……それってお上に報告しないで、拾った核ミサイルを隠し持っていたようなものなのでは。反逆罪を適用されても全然言い訳できない。
「黄昏た女が正気を失い、すべてが破綻に向かう事は分かっていた。そのための備えだ」
嫦娥の言い分も黄昏世界の状況を鑑みれば分かる。もしもの時、羲和を討つための武器を持って安心しておきたかったのだろう。
「御母様を倒せるなら、いまさらチクられるのを恐れる必要はないだろ」
「矢は命中させんと意味がない。十姉妹と違い、神殺しの矢を知っている黄昏た女が待つ事はなかろう。恒星の権能を用いた先手を打たれてそれまでだ」
救世主職、后羿が存命であれば宇宙空間からでも地表にいるたった一人を狙い撃ちできたと嫦娥はぼやいている。どんな技量していたんだ、黄昏世界の救世主職。とても同じ人間とは思えない。
「月を隠した奴が何か言っておる。其方達の世界の救世主職はどうなっているのだ?」
「パパは特別だ。俺を一緒にすんじゃねぇ」
普通に戦えば俺は黒曜未満だからな。何故か毎回、普通じゃない相手に効く手段が手元にあるだけだから。
「状況は切実だ。昇降機を掌握され、兵士達が人質となり、神殺しの矢をいつ告発されるか分からない。魔王城の中にどのような危険が待っておろうと、金角銀角の兄弟妖怪は見過ごせん」
外部との通信は嫦娥の権能で遮断しているとの事だが、まったく安心できる状況ではない。通信手段は妖術だけではないし、金角か銀角のどちらかが直接伝えに出て行くだけでも天竺は終了だ。
罠だと分かっていても魔王城に侵入するしかないぞ、これ。
「すぐに動かないと駄目だな。仕方がない」
「仮面の、行ってくれるのか?」
「行くしかないだろ。天竺はこの世界の最後の砦だ。ここを失えば黄昏世界は本当に終わる」
俺達だけでも逃げ出せるだろうが、後が続かない。以降の補給は一切見込めず、義和との決戦も実施できないまま時間切れで終わるくらいなら、妖怪の罠に飛び込む方がマシである。
「頼む。スノーフィールド、お前も頼むぞ」
「もちろんですわ、御前」
天竺も保有戦力をほぼすべて投じる。唯一生き残っている救世主職のスノーフィールドも前線行きだ。
俺以外のパーティメンバー、黒曜、紅も快く参加を表明する――月桂花にも来て欲しかったが、嫦娥モードで通信妨害中のため不参加。
「私も行くから」
「クゥ。いや、でもなぁ」
「私も絶対に行く。待っていても安全とは限らない状況なら行っても同じだと思わない?」
これまで散々、危険に付き合わせたからこその負い目がある。
そもそも、罠と分かっているのだ。ただの村娘を連れていくのに強い抵抗を感じてしまう。
妖怪の都では一度行方不明になってもいる。次にまた同じ事が起きてしまうのは耐え難い。これ以上の危険はクゥに不要だ。
「これで、最後なんでしょ?」
決戦に連れていけないのならば代わりに今は連れていけ。こう暗に交換条件を提示されてしまった。
正直交換条件になっていないため、まったく頷けない。
「どうして私だけ駄目なの?」
黒曜や紅はよくてクゥだけが戦ってはならない理由はない。戦闘力を問題にしたいが最近の彼女、異様に強くて困る。言い訳にできない。
仮面でも隠せない渋い表情となった俺を、金色の目がまっすぐに見詰めている。下手な回答をしようものなら即刻見破られてしまう。そんな色合いだ。
重く錆びついた唇を開く。
「……クゥが危ない目に遭うのが、嫌なんだ」
「よく言えました」
酷く言い辛い事を言わされてしまった。
こんなのは脅迫だ。乾いたディストピアで出逢った優しい子に情が移らないはずがないではないか。今もクゥは嬉しそうに俺へと微笑んでくれている。
戦いを好んでいるのであれば我儘を言って困らせはしない。血の気の多い炎の魔法使いもいる。だが、クゥは違うだろ。俺が信じる以上に彼女はただの村娘でいたがっている。そのくらいの本心が感じ取れるくらいに、俺達の関係は深まった。
「でも駄目。私も戦う。ここで戦わないと明日、朝日が昇る事はないと思うから」
「クゥ……」
「村娘の私を守ってくれてありがとうね、御影君」
クゥはただの村娘。多少の逸脱はあろうとも心根は村娘に間違いない。
正体を確かめるなんて事は、たとえ、頭痛を覚えなかったとしても俺は考えないだろう。
それが致命的な正常性バイアスなのだとしても、見て見ぬふりを続けよう。結果、世界が滅びたとしても、世界が脆過ぎた所為だと諦めてしまおう。
「戦わせてよ。たぶん、一緒に戦えるのはこれで最後だから」
クゥの参加も決まってしまった。俺の心情はともかく、人手という意味では助かってしまうのが実情だ。
装備を整えた天竺の兵士達が集まっているが、想定よりもずっと数は少ない。妖怪の禁軍を追い払うのに現れた一群が戦力のほぼすべてだったのだろう。どこも余裕はないな。
「人質の救出はこちらの兵士達に任せて、私達は兄弟妖怪の撃破を最優先に動きます。結果的にそれが一番被害を最小に抑えられるでしょうから」
スノーフィールドは俺達パーティに加わる。何が待っているか分からない以上、戦力を集中させて突破力を増やす方針だ。
悪い事ばかりではない。ここには魔王城の攻略経験のある救世主職が二人もいる。スピード攻略も夢ではないのだ。
“GAFFFFFFFFFFFFFF!!”
思惑がさっそく外された。
軌道エレベーターの非常用ハッチを開くのを待っている時だった。窓の外の宇宙空間にてバーナーの炎が横切ったのを目撃してしまう。
脳みそが見えてしまった何かの正体を掴むよりも先に、ずしん、という重い振動が天竺を揺るがす。
『ふんっ、そこか』
外壁を突き破り、巨人の拳がエアロック内部へと侵入してきた。
伸びてきた巨大な手腕が向かう先には、事もあろうにクゥがいる。