16-9 決戦の決意
女神嫦娥の説得中だというのに状況が突然変化した。
『暗視』スキルを使用しているにもかかわらず視界が黒く染まり――仮面を外した俺の視力ってどうなの、という話は置いておき――何も見えなくなる。
状況に驚き、瞼を開閉――仮面を外した俺、以下略――する。と、閉じた瞬間に灰色の玉座が見えて、開いた瞬間に見えなくなる。
「あ、御影君が目を覚ました」
違うな。認識と現実にズレが生じている。心の中では瞼を開いていたつもりなのに、現実には瞼は閉じていた。スイッチのONとOFFの表記を入れ替えられたみたいでややこしい。
認識のズレを補正してから目を覚ます。
「あれ、天竺に戻っている?」
「どこにも行っていないけど、お帰り御影君」
「ああ、ただいま。クゥ」
嫦娥の半サイエンスフィクション半ファンタジーな玉座に転がっていた。マスクもいつの間にか装着済みであり、多少以上に混乱してしまう。
「――まことか。黄昏た女に此方の子達の復讐を果たせるのか?」
状況把握に励んでいる最中の俺に対して、玉座から腰を上げた嫦娥が問うてきた。
神性に聞かれているのに寝ているのは失礼なので立ち上がる。
玉座の女神を真っ直ぐに見る。上位存在的な感情希薄な面持ちの中に、淡くて暗い期待の色が確かに見えた。
「答えよ。まことに、やれるというのか?」
「……倒せるかは正直分からない。堕落しようと神性であり管理神だ。仮面の内側の事は妖怪共に知られているから確実な事は言えない」
「であろうな」
「だが、片腕を奪うくらいの事ならまず間違いなく。子供の恨みの代価としてはあまりにも安いだろうが、これまでの利子くらいにはなるだろう」
「まったく。人離れした力を此方に見せつけておいて、酷く現実的な事をいう。ただ夢物語を語ろうものなら諦められたというのに」
嫦娥と行なったスパーリング。対神性を想定した戦いでは『武器強奪(強)』と『暗器』を組み合わせたスキルコンボを試せた。
月よりも遥かに巨大な太陽相手に実行できるかは分からない。太陽まで接近する手段がないという問題もある。
それでも、貴重な切り札を一つ確保できたのはあまりにも大きい。
「いや、仮面の、それは最終手段だ。最後の最後まで秘匿せよ。仲間にも口外してはならん」
「俺の仲間だぞ?」
「信用の問題ではない。信用する仲間だからこそ秘密を隠さねばならない重責を背負わせるなという事だ」
嫦娥いわく先程までの出来事はすべて精巧な幻術だったらしい。そのため、当事者だった俺と嫦娥しか切り札の内容を知っていない。
違和感の正体がようやく分かったが、もう少し遅かったら皆に説明していたぞ。危ない危ない。
「最終手段という事は、他も期待していいんだろうな」
「私怨は抜きにしても牽制は必要となる。黄昏た女がこのまま天竺を見過ごすとは此方も考えておらん」
嫦娥は大きな決断をする前に深呼吸した。
「仮面の。お前に天竺の出航の支援を依頼する。黄昏た女が座する灼熱宮殿へと突入して利子を徴収してくるのだ」
幻術だったとは思えない疲労具合であるが、苦労した甲斐があった。
御母様……いや、黄昏た太陽神、羲和との決戦の同意を、嫦娥から得られた。これはかなり大きい。
「先制攻撃により黄昏た女の魂を潰すのだ。攻撃するからには確実に達成せねばならん。できぬとは言わせんぞ?」
「太陽そのものと戦う訳でなければ、余裕だろ?」
「その大言壮語、最後まで貫けよ」
勢力としては縮小していても、黄昏世界唯一の反抗勢力のバックアップだ。
灼熱宮殿と呼ばれる敵本拠地の場所の開示。移動手段の提供。俺達にはないものを天竺は提供してくれる。
俺が頼みたい事は別にあるが、そちらもそう難しくない。きっと引き受けてくれるはずだ。
「……最終手段を失っては意味がない。生きて戻って来るのだぞ」
「地球に帰るための戦いだから当然」
「なんだ、此方のために生きて帰る、とは言わんのか」
召喚した救世主職を失い続けた嫦娥が自虐的な冗談を言う。和解すれば随分と茶目っ気のある女神様だな。
せっかくなので乗っておこう。
「ああ、嫦娥のために帰ってくるよ」
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“『月蝕』、月を分からせた者のスキル。
月属性に対する圧倒的な耐性、および、月属性に対する圧倒的な特効”
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玉座に座り直した嫦娥が心臓あたりを手で抑えて耐えている。不整脈だろうか。
「――嘘であろう?? 想定外に、かなり来た。この肉体を依り代としている所為か??」
「大丈夫か、嫦娥?」
「ち、近寄るでない。顔を見てくるではないっ。こ、此方は十の子供達がいてだな」
心配して近づいたのに拒否されてしまった。気さくとはいえ神性へと無遠慮に接近するのは不謹慎か。
「だからと言って遠くに離れようともするなっ」
「どっちなんだよ」
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“『吊橋効果(極)』、ドキドキする胸のときめきに恋も危機もないというスキル。
元々は死亡率の高い戦闘下で、共に戦う異性の好感度を上昇させるパッシブスキルであった。スキルが極まった今では、魔王の魅了の呪いに等しいアクティブスキルへと変貌している”
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呼吸を荒くした嫦娥は退席を宣言すると、奥の部屋へと逃げていくように去って行った。幻術の中とはいえ俺が色々やり過ぎた所為かもしれない。また、後でお見舞いに行くとしようか。
嫦娥と話がまとまり仲間達にも報告だ。
幻術を見せられている間、眠ってしまい心配させたみたいなので顔……マスクを見せて無事を知らせる。
「まったく、一時はどうなる事かと」
「すまない。戦えるだけの力がある事を嫦娥に信じてもらえた。後は実践するのみだ」
「御影君との旅もついにここまで来たかー。最後まで大変だけどまあ、頑張りましょう」
やる気を見せているところ悪いが、クゥには伝えておかなければならない。
「クゥは天竺に残っていてくれ。村娘にこれ以上、無理はさせられない」
灼熱の終わりが迫り、天竺が決戦を決意した。
しかし、決戦を決意した者達は他にもいる。
世界が滅びるタイムアップなどという、なあなあな最後を受け入れられない者共だ。
“GAAAFッ!!”
『その通りだ。人類復讐者なれば、自分の手で決着を付けねば気が済まされない。Sランクはそういった意味では人類復讐者の落伍者だ』
四足獣と巨人。
二体の混世魔王は軌道エレベーターに接近しつつあった。互いに炎を推進力として用いて高速移動できるため、はるばる大陸を横断して天竺を目指していた――なお、車輪型は移動先が安定せず遅れたため置いていかれた。
人類に復讐する動機を有する二体は、己の復讐のためだけに世界の箱舟を危険にさらそうとしている。
「――まったく、誰も彼もが黄昏世界が滅びるなどと嘘を言いよる。俺達、兄弟がいる限り、妖怪が徒人を捕食する素晴らしい世界は終わらんというのに。そうだろう、兄ジャ?」
「そうさな、弟よ。嘘とはこう吐くものだと教えてやらねばな」
「任せよ、兄ジャ! 『世界をこの嘘言で支配する』急急如律令」
蛇が獲物を飲み込むがごとく、軌道エレベーターの外壁を銀の楼閣が包みながら昇っていく。頭頂部まですべてとはさすがにいかない様子であるが、全体の半分は楼閣に食われた。
見る者が見れば、楼閣の正体に気付くだろう。
これは、魔王城、であると。
「銀閣の中にいる限り、弟は無敵よ」
「任せろ、兄ジャ。邪魔な奴等はすべて蹴散らしてくれる」
金角銀角兄弟妖怪が筋斗雲で混世魔王よりも早く到着すると、先制で魔王城を顕現させる。
天竺、混世魔王、妖怪。三つ巴の戦いが開始された。