独りよがりな決意表明
西村賢太先生の作品を初めて読んだのは、二年前の六月だった。
仕事を数ヶ月で二回辞め、実家に寄生しながら数日に一回日雇いバイトに出向くという廃人のような生活を送っていた。
そんな毎日の中で唯一の楽しみが、BOOK・OFFで買った100円の文庫本をちびちびと読むことだったのだが、ある日いつも通りBOOK・OFFの店内を散策していると、苦役列車という禍々しいタイトルの文庫本が何故か目に入った。それは300円で販売されており、【100円の文庫本しか買わない】という自分ルールに反することにはなるが、何の気なしに購入したのである。
自宅に戻り早速読んでみると、言葉にできない感覚に襲われた。あまりにも面白すぎた。
ここいらの流れは散々noteに書いてきたので割愛するが、兎にも角にも、蒸し暑い自室で触れた苦役列車が私が初めて読んだ西村賢太先生の作品だった。
そこから一気にファンになり、苦役列車を読んでから約一ヶ月後、先生の誕生日である七月十二日に聖地である鶯谷の信濃路に初めて行った。
鶯谷なんてそれまで名前すら聞いた事もなく、
いざ北口のホームを出てみると四方八方にラブホテルが立ち並んでいる。そして、肝心の信濃路は言葉で表現しにくい独特の雰囲気を放っており、何度も店の前を右往左往したものである。
緊張しながら入店し、先生がいつもよく座っていたというカウンター席の一番隅がたまたま空いていたのでそこに座った。
初めての聖地巡礼であるし、折角なら先生が食べていたメニューを一通り食べてみたかったが、相変わらず金がないので赤ウインナー揚げのかけそば、カレーライスを頼んだ。
誰も相手にせず、誰からも相手にされず、一人で黙々と運ばれてきた料理を食べながら、(先生は十六の頃からここで色々な酒を飲んできたんだな…)と感慨深くなった。
そして、何もかもうまくいかない自分の生活と先生に出逢えた感謝、一切光の見えない未来への不安など様々な感情がごちゃ混ぜになり、突然涙が出そうになった。
会計を済ませ、先生の署名を撮影し、
「必ずまた来よう」と決意して退店した。
その数ヶ月後、私は再び就職したが、僅か半年で辞めてしまい、三度無職に返り咲いた。
ファンになってから迎える二度目の先生の誕生日も信濃路に行き、一年前と同様、いや一年前以上の絶望を抱えながらかけそばと赤ウインナー揚げを頬張ったものである。
そして、今年。
初めて定職に就いた状態で先生の誕生日を迎えようとしていた。
それだけでなく、落書き以下の駄文が初めて商業誌に掲載され、客観的に見れば今が一番「調子のいい」状態ではある。
仕事はそつなくこなし、最低限の金は毎月振り込まれる。誰にも見られなかった私の文章が、少しだけ読まれるチャンスを得ることができた。
間違いなく、二年前よりは満たされていて、幸せで、人間らしい生活をしている。
そのはずなのに、何かが足りないような、何かを忘れているような違和感がずっと消えない。
それが何かは分からないまま、今日、先生の誕生日を迎えた。
諸用で信濃路には行けない代わりに、先生が通っていた駒込のサウナに行った。
先生が座っていたという上段で汗を流し、水風呂に漬かり、椅子に座って東京の空を見上げてみても、違和感は拭えない。
風呂から上がり、休憩室で「けがれなき酒のへど」を開く。
何度も何度も読んだこの作品だが、何度も読んでも面白く、ぶっ通しで最後まで読んだ。
薄暗い休憩室でその文庫本を閉じた時、心にかかった霧が少し晴れたような気がした。
そして、ここ数ヶ月間ずっとこびりついていた違和感の正体にようやく気付いた。
私は、無意識のうちに今の生活に執着していたのだ。
仕事も金もなかったあの頃、私は毎日死にたいと思っていた。しかし、その分何事にも執着がなかった。失うものなんてなにもなかった。
なにも出来ないのに、なにかやってやるという気持ちだけは持っていた。
そうだったはずなのに、たまたま仕事が続いて、たまたま小説が商業誌に載って、たったそれだけのことで私は何かを得たような気になっていたのだ。今よりも下に堕ちたくないと思ってしまっていたのだ。
決して守りに入らず、何かを失うことも厭わず、ただひたすら我が道を突き進む先生の作品に私は心を動かされたのではなかったか。
先生の作品を読んで初めて、「このままでいいんだ」と自分を肯定してやれたのではなかったか。
それが今はなんだ。
勝手に大人になったふりをして、
勝手に器用になったふりをして、
今抱えているものを落とさないように、現状維持をするために尽力しているだけではないか。
自分の違和感の正体にようやく気付けたその瞬間、こんな情けない自分を蹴飛ばしてやりたくなった。
もともと、私に失うものなんてない。
ダメで元々。どうで死ぬ身の一踊り。どうで降りられぬ苦役列車。
だからこそ、やりたいように、ダメな部分も抱えたまま思いっきり生きてやろうと決めたのだ。
この気持ちを忘れてしまっては、もはや死んでいるのと大差ない。
信濃路には行けず、先生に思いを馳せるというよりも内省に時間を割く一日になってしまったが、それでも今日があってよかったと思う。
今日がなければダメだったと思う。
西村賢太先生、誕生日おめでとうございます。
生きている間に作品を読みたかった。一度はお会いしてみたかったと常々悔やんでいますが、それでも、先生の作品に出会えてよかったです。
それだけが自分の誇りです。
自室に飾ってあるオリジナルの遺影の前で正座をしながら、私は心中でそう呟いた。
まだ、いける。
まだまだ、やりたいことがある。
やらなければいけないことがある。
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