第7話 田中の想い

 浜谷家を辞した後、田中は幾らか落ち込んでいた。

 順佑の醜い言動にはショックを受けたが、それでもきつく言い過ぎたかも知れない。

 タツさんに頼まれたからってだけじゃない。俺が決めたんだ。浜谷くんと関わり続けるって。なのに……。

「はあ……」

 ため息を漏らして歩いている内に、田中の営む喫茶店「ぱにゃ」が見えてきた。

 手作りした看板が目に留まる。

 弱気になっちゃ駄目だよな。俺には、たくさんの人と仲良くなって、もっと田荷島を盛り上げていくって夢があるんだから。笑顔、笑顔!

 頬をぴしゃぴしゃと叩いて自分に活を入れる。顔を上げると、看板の下に設置したベンチに掛けているかりんと目が合った。

 日が落ち始めている。白いワンピースが西日によって赤らんでいる。かりんはぴょんと勢い良くベンチを下りると、体を軽く傾けて言った。

「おかえり」

「かりん、どうしたんだよ」

「海を見てたの」

「こっからじゃ、あんまり見えないだろ」

「そうね。お兄ちゃんはどうしたの? 何か気合入れてたけど」

「ちょっとな」

「ふうん。ね、少し時間ある?」

「え? まあ、特に急ぎの用事はないけど」

 田中が答えると、かりんは店へ入り、すぐに出て来た。冷えた麦茶を入れたコップを二つ持っている。

 かりんがベンチに掛け直し、顎で隣を示した。田中はそれに従う。

 喉を潤しながら、かりんの言葉を待つ。

 やがて、かりんは田中の方を見ずに言う。

「ねえ、お兄ちゃん。どうしてあんな人を気に掛けてるの」

「それは……」

「ひょっとしてホモ?」

「違うって! 俺は普通に女の子が好きだ!」

 かりんは一瞬安堵したような表情を浮かべたが、すぐに悪戯を思いついたような顔をした。

「お父さんの方が本命?」

「だからホモじゃないって!」

「うふふ、冗談だってば。でもね、どうして、って気持ちがあるのは本当だよ。何か理由があるの?」

「……あるよ」

「ふーん。じゃあ聞かせて?」

「ああ。そもそも俺はさ、浜谷くんのこと好きじゃないよ。っていうか嫌い」

「え?」

「嫌いに決まってるじゃん。傲慢で見栄っ張りで嘘吐きで怠け者で、他人を羨んで逆恨みばっかりしてるくせに、自分では簡単なことの一つも始めようとしない。そんな奴、誰だって嫌いに決まってる」

「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあなに? なんで?」

「嫌いだからって縁を切る理由にはならないでしょ」

「それは……分からない。私には」

「浜谷くんみたいな普通じゃない人、っていうかはっきり言うと劣ってる人。空気が読めない人、要領が悪い人、それに浜谷くんみたいに性格が悪い人。そういう人をさ、例えば全人類の10%切り捨てたらどうなると思う?」

 かりんはしばし考えてから言う。

「過ごしやすくなるんじゃないの。だって、その、切り捨てる人の中には悪い人もいるわけでしょ? 犯罪者とか」

「そうだね。でも切り捨てる条件に犯罪歴の有無は含まれていないよ。さて、次が問題だ。過ごしやすくなったあとは?」

「え? あと?」

「そう。だから問題は次だって言ったんだ。俺はこう思うよ。残った人類の中から、また下位10%が選ばれて、切り捨てられる流れになるんじゃないかって。もちろん、最初よりも基準は厳しくなってる。上澄みの中で比較しながら下位を選ぶ訳だからさ。それを繰り返していったら誰も笑顔になんてなれない世界が出来上がるんじゃないかって」

 かりんは難しい顔をして黙り込んでいる。

「付き合う人は選べって意見も分かるよ。でもさ、俺が誰かを見捨てたら、今度は俺が誰かに見捨てられるかもしれない訳じゃん。それに、俺は誰にも諦めて欲しくないんだ。笑って過ごせる人生を。特に田荷島の人達には」

「お兄ちゃんさ。夢見すぎじゃない?」

「……かもな」

「確かにあんな人でも笑って過ごせる世界だったら良いなって思うけど」

「だよな! 思うよな!」

 そう言って田中がかりんの肩を掴んだ。

「ひゃん! な、なに、どうしたの急に! て、てか、顔が近い!」

 田中の顔を両手でぐいぐいと押し退け、かりんは赤くなった顔を手で扇いだ。

「俺だって理想は理想に過ぎないって分かってるんだ。でも、出来るだけのことはしたいんだ。かりんも理想に関しては俺と同じことを思ってくれてて嬉しくなってさ」

「で、でもだからって、私はあの人となんか仲良くしたりしないからね!」

 ふん、とわざとらしく言ってそっぽを向く。そんな仕草が可愛らしく思え、田中は微笑する。

「あとさ……心配なんだよ。お兄ちゃんのこと」

「そっか。ありがとな、心配してくれて」

 田中がかりんの頭をぽんぽんと撫でた。

「ちょっと! 子供扱いしないでってば!」

「悪い。つい。そろそろ中へ入ろうか」

「誤魔化さないでよ」

 そう言って頬を膨らませる。

 そういう所こそが子供っぽいんだけどなあ……などと微笑ましく思っている田中の耳に車のエンジン音が届く。見ると、一台のミニバンがこちらへ向かって来る。やがて店の前に止まったミニバンから、二人の美女が姿を見せる。

 天津姉妹だった。

 順佑に受けた仕打ちから立ち直ったものの、すっかり疲労困憊していた二人はもう少し休んでから帰ろうと話し合い、喫茶ぱにゃを訪れたのだった。

「まだ営業中でしょうか?」

「は、はい。あの……ひょっとして、天津姉妹のお二人ですか?」

「ええ。リスナーの方でしょうか?」

「あ、えっと、時々見てます」

「ちょっとお兄ちゃん!」

 かりんにわき腹を突かれ、田中は慌てて店へ戻り、手を綺麗に洗ってエプロンを掛けた。

「では、ご案内致しますね」

 かりんが余所行きの声で言った。

 四人はすぐに打ち解けた。人好きのする性格である田中が上手く会話を繋ぎ、歳が近くて感性の似たかりんも天津姉妹の心にするすると入り込んでいった。

 客と店員という垣根が取り払われるまでに時間は掛からなかった。

 かりんが天津姉妹と同じ席に掛け、田中がカウンター内で仕事を続けている。

「ねー、マスター! アウトドアでハンバーガー作るならどんな感じが良いと思います~?」

「うーん。材料は事前にしっかり用意して後は挟むだけの状態で、ああ、保冷もしっかりしないと……ってこういう基本的な事は怜奈ちゃん達の方が詳しいよねえ」

「まあね~。この店ではハンバーガーやらないの?」

 怜奈の何気ない質問に対して、かりんがクスッと笑みを漏らした。

「え、なになに?」

「ふふ、お兄ちゃん、昔っからハンバーガー嫌いなんですよ」

「え~!? 美味しいのに~!」

「いやあ、食べるのが苦手で」

「そうそう。すぐに中身をボロボロ落としちゃうから嫌いなんだって」

 怜奈とかりんがクスクスと笑い合う。里奈も微笑を浮かべている。そんな中、店のドアが開いた。

「いらっしゃいませー。って美沙ちゃん? あれ? ダイエットは?」

「今日は良いんです! 疲れたから!」

 美沙は一瞬自分の尻を触ってからそう声を上げた。すぐに他にもお客さんが居ることに気づき、顔を向けて目を丸くする。

「あ、お昼のおまわりさん」

 怜奈がそう口にすると、美沙は深く頭を下げた。

「そんなに気を使わなくても、もう大丈夫ですよ。かりんちゃんやマスターから充分に元気もらえましたんで。それより美沙さんってここの常連なんですか?」

「ええ。最近はちょっと控えていたのだけど」

 顔を上げた美沙は心底安堵した。怜奈は楽しそうだ。同時に、順佑の存在が気になった。こうも明るい女性をあんな風に怯えさせるとは。

「美沙ちゃん、いっつもガトーショコラといちじくタルト頼んでくれるんだよねえ」

「いつもじゃないです! たまには片方だけで我慢してます!」

 美沙は腰の辺りを気にするように撫でながら反論した。

「片方だけなのはたまになんですね」

 里奈が口元に手をやってクスと笑った。

「ちょ、ちょっとお、田中くん! 私が食いしん坊みたいになってるじゃないですか!」

「食いしん坊でも良いじゃないですか。私達もよく食べる方ですし。それに笑ったのは、思っていたよりもずっと可愛らしい人だなと感じたからです」

 里奈がそう言って微笑む。

 かりんが首を傾げる。

「というか、三人は知り合い同士なの?」

「あ! 確かにそうだ。里奈ちゃんも怜奈ちゃんも、田荷島は初めてなんだよね?」

 天津姉妹と美沙の表情が僅かに曇る。

 順佑に関しての話は、一同に暗い影を落とした。

 しかし、談笑は再び盛り上がり、夜が更け解散となるまで、喫茶ぱにゃには楽しげな声が響き続けたのだった。

 一方その頃、浜谷家では壮絶な説教劇が幕を開けようとしていた。

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