第6話 来訪者田中

 順佑が目をギラギラさせながら、あられもない格好でドアに体を押し付けていると、インターホンが鳴った。

 寸刻ばかり身構えたが、外出中の父親が帰ってきたのであればインターホンは鳴らさないはずだ。

 無視するに限るだで! 荷物の配達だとしても再配達に来れば良いじゃん。手間が増えたとしても、それが働くって事じゃん!

 順佑は体を小刻みに動かしながら、嘴のような唇から荒い息を漏らす。

 再びインターホンが鳴る。次いで玄関ドアを叩く音が響いた。

「邪魔だで、もうちょっとなのに……」

 そんな順佑の呟きを掻き消すように声が響く。

「浜谷さーん、居ませんかー!」

「だでぇ!?」

 鉛筆で横線を引いたかのように細い目をかっぴらいて衣服を正すと、転がり落ちるかのように階段を下る。

 女子の声!! 女子の声だで!! 女子!! 女子!! オラのガチ恋!? 迎えに来たっ!!

 大慌てで玄関の引き戸を開いた。

「おっす、浜谷くん」

「こんにちは、浜谷さん」

 田中とその従妹だった。

 田中は現在、自宅と民宿を兼ねた小さな喫茶店を営んでおり、半年程前から従妹のかりんが泊り込みで手伝うようになっていた。

「ドモ……」

 蚊の鳴くような声で返事をし、頭をカクカクと小刻みに振った。

 順佑は会釈をしたつもりだったが、かりんにはその意図が伝わらなかったようで小首を傾げている。

 その姿に順佑はねっとりとしゃぶり付くような視線を這わせる。

 彼女が着ている飾り気の少ないワンピースや前髪を短く切った明るい茶髪のボブヘアなどは順佑の好みではなかったが、可愛らしい顔立ちや、すらりとした白い四肢、胸の膨らみにはそそるものがあった。

 にゃあしゃんや天津姉妹程じゃないけど、オラのガチ恋だって言うならスカートに掛けてやっても良い、電車の中で触るのもあり、などと値踏みをしていると、田中に問い掛けられる。

「浜谷くん、タツさんは?」

 邪悪な妄想を邪魔された順佑は露骨に不機嫌な顔をしながら「出掛けてる」とだけ答えた。

「そっかあ。じゃあこれ渡しといて。あ、絶対落として割ったりしないでよね? ちょっと良い日本酒なんだから」

 上質な白い紙で出来た細長い袋を受け取りながら、順佑はジュースにしろよ、と心中で呟いた。

 短い沈黙の後、かりんは困ったような微笑を浮かべて順佑に会釈すると、田中に向き直って言う。

「じゃあ、私先に帰ってるから……。お兄ちゃん、遅くなるようなら連絡してね?」

「ああ、分かった。気をつけて帰れよ」

 かりんが順佑に再度会釈をして背を向けた。田中は順佑に言う。

「ちょっと上がっても良い?」

 去っていくかりんの後姿、殊更に臀部の辺りを凝視して妄想に耽っていた順佑はハッとして我に返り、「お好きにどうぞ」と答えた。

 田中に渡された紙袋をリビングのテーブル上に投げ出し、黙って自室へ向かう。

 順佑は唇を尖らせていた。彼にとって田中は敵だ。いつも楽しそうにしており、気安く声を掛けてくる田中は憎悪の対象だ。かりんのような若い女性と一緒に居ることも気に食わない。リゾートホテルでの一件も未だに逆恨みしている。それでも追い返すことが出来ないのは、父親が怖いからに他ならなかった。

 順佑の後に続いて部屋に入るなり、田中は「ゴッ」と声を上げて激しく咽た。

「なんだこれ、臭いが凄いよ……」

 目尻に涙を浮かべ、鼻声で言う。

 順佑は思わずカッとして、「フシー!」と威嚇するような音を尖った唇から発した。本人の意図せぬ音だった。自分よりも体格の優れた相手を前に、怒りを露にするなど臆病な順佑には出来ぬことだった。

「カビと……あと何? おしっこ? やばいよ浜谷くん。少しは掃除しないと病気になっちゃう」

 フシー! という威嚇を全く意に介さず、田中は哀れむような視線を順佑に送った。

 順佑は、ぢゅっ、ぢゅっ、と派手に音を立てて上唇を吸いながら、声に出さず反論する。

 もうオラは病気になってる! オラは何も悪くないのに! お母さんもお父さんもオラを見捨てたから! オラは病気になった! オラの体は親に見捨てられて病気になった! オラの心はアンチに破壊された! オラは悪くないのに! オラは何にも悪くないのに! オラは! オラは!!

「いや、マジにヤバイよ。とりあえず窓開けよう!」

 鼻声になった田中が明るい調子で言いながら、窓を開く。

 順佑は、田中の耳には絶対に届かないように声量を小さく絞って「勝手に触るな」と苦言を呈した。

 田中は外の空気を思い切り吸い込み、両腕を広げて伸びをした。

「なあ浜谷くん、バイト……じゃなくて作業所、また通ったら? そんでさ、お金溜めて旅行にでも出掛けるのはどう? 俺も久しぶりに東京へ遊びに行って来たけど、すげーリフレッシュ出来たぜ。これでまた明日から、夢の為に頑張れるってな感じ」

 楽しげに語る田中に対し、順佑はただでさえ糸のように細い目を更に細めて不満を露にした。

 しばし不機嫌そうに黙っていた順佑が、ニタァと笑みを浮かべた。

 天津姉妹のことを思い出したのだ。順佑はキャンプ場での出来事をこう認知していた。

 アンチに邪魔されたから最後まで出来なかった! だけど、確実にガン突きして犯せた! 犯したも同然! 天津姉妹はもうオラのもの!!

 歪んだ認知によって、あれを成功体験だと思い込んでいる順佑は自慢げに言う。

「ガチ恋……来ただで、天津姉妹……オラの、ガチ恋の」

「あまつ……。え? ひょっとしてあのヴーチューバーの?」

「ソソソ……オラのガチ恋……」

「いや、ないでしょそれは。浜谷くんが零から嘘を言うことってないから、この辺で撮影してたのかも知れないけど」

「ガチ恋! オラの!」

「じゃあ、連絡先とか聞けたの?」

「フシィー!! アンチに邪魔されただけ! これから迎えに来る!」

「来ないよ。ってか浜谷くんさあ、アンチが、アンチがってよく言ってるけど、そんなの何処にもいないじゃん。空き巣の件はあるかもだけど、ネットさえ見なければ実生活に何の影響も与えない人達じゃん」

「アンチ! アンチだで! 警察もアンチ!」

「え!? 警察の人が来たの? それ、タツさん知ってるの?」

「分かんない!」

「……まあ、そっか。あとでタツさんに聴いてみるか」

「オラ忙しい」

「へ?」

「忙しいだで! 用がないなら帰る!」

「いや無職で趣味もない浜谷くんが忙しい訳ないでしょ。まあ……特に大事な用はないよ。タツさんへのお土産持って来ただけで。浜谷くんの様子が気になったから上がらせてもらったけど……いや、待って、これ」

 田中がショルダーバッグに手を突っ込み、一枚のチェキを取り出して見せた。

 そこには笑顔の田中と「にゃあやしゃ」が映っている。

「浜谷くんが勧めてくれた『ニトラ』のライブ行って来たんだ。いやー地下アイドルのライブなんて初めてだったけど、楽しかったなあ。にゃあやしゃさんも気さくな人でさあ、お店やってること伝えて名刺渡したら、今度遊びにいきます、って言われちゃったよ」

 でへへ、と笑いながら田中が頭を掻く。

 順佑は激しく逆上していた。

 アンチ! 田中! アンチ! 田中はアンチ! オラの敵! オラと天津姉妹の恋愛を嘘って言った! オラのにゃあしゃんとチェキ撮った! オラが犯してあげても良いって思ってる女子に懐かれてる! アンチ! オラば! オラばあああっ!!!!

「田中はアンチ! オラの心を壊した!! オラを馬鹿にする! オラのこと名前で呼んだ! オラに握手しようとしなかった! オラを傷つける! オラは、オラは! オラを苦しめる! 慰謝料!! 慰謝料出すだで!! ウッタエル!!」

 順佑は父親の前では絶対に見せないであろう口ぶりで捲くし立てた。天津姉妹に対しては邪悪な欲望によって限界を越え、田中に対しては逆恨みによって限界を越えたのだ。

 訳の分からないことを大声で喚いただけであるが、順佑は生まれて初めて自分に自信を持った。

 田中を相手に言いたい事を言えた! オラは……! オラは『覚醒』しただで!

 田中は面食らってしばし黙っていたが、やがてゾッとするほどに冷たい眼差しを順佑に向けた。

「お前、結構腐り切ってるんだね。金に困ってるならそう言えば良いのに。いくら?」

「センエン!」

 どうだ、払えないだろうとでも言いたげな表情で宣言する順佑に、田中は心が冷えていくのを感じていた。四十一にもなるこの業人にとっては、少し働けば誰でもそれ以上に稼げる千円という金額が大金なのだ。それを年下の自分から脅し取ろうとしている。余りにも貧しく惨めで貧相だ。

 田中は財布から千円札を取り出す。順佑はそれを奪い取った。

「フシィー!」

 これはもうオラのもの! 絶対に返さないだで!

 田中は哀れな中年男を無表情で見つめながら言う。

「じゃあ俺帰るから。お金さ、返さなくて良いけど大事に使ってよね。少しの額とは言え、俺やかりんが働いて稼いだものなんだから」

 去っていく田中を睨みつけながら、順佑は思う。

 何言ってるだで? 返すってなんだで? オラはもらっただで! それに金は金だで! 働いて稼いだからって何だって言うんだで!? 訳の分からないことを言って偉そうに! まったくまったく!!

 しばらくフスフスと放屁のような音を唇から漏らしていた順佑だったが、自身の右手に握り締められた千円札の存在を思い出すと、にしし、と気味悪く笑った。

 最寄のコンビニへ向かい、菓子パンとジュースとアイスを買い、それらを一気に食い散らかし、覚醒した自分が田中に勝利したことを祝った。

 それから数時間後。

 旧友の葬式から帰ってきた順佑の父親は激怒していた。

 佐々木から受けた電話で聞かされた話も然ることながら、台所のゴミ箱に買い置きの中にはなかったはずの袋や容器が捨てられているのを見つけた為だ。

 順佑に与える小遣いについては厳しく管理している。使用に制限は掛けていないが、いくら持っているかのは常に把握している。詐欺師や迷惑系ヴーチューバーが小銭を餌に順佑を家から連れ出して問題を起こした過去があるからだ。

 あの業人が真っ当な方法で金を得るなど考えられない。キャンプ場での事とはまた別に何か悪さをしたに違いない。

「オイ順佑ぇ!!!!」

 父親が、家全体を震わすような怒声をあげた。

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