第5話 佐々木美沙

 彼女の名前は佐々木美沙。この頃少しばかりお尻の大きさが気になる二十七歳。童顔な上に輪郭が丸くて可愛らしいせいか、軽く見られて面倒事を押し付けられがちな苦労人である。

 田荷島では名の通った問題人物である浜谷順佑の対応もまた、上司から押し付けられた厄介事の一つだった。

 通報のあった月影キャンプ場に辿り着き、管理人に案内を頼む。管理人の表情や態度から緊急性は低いと判断出来た。

 当たり前と言えば当たり前よね。浜谷さんに出来ることなんて限られてるし。

 そんなことを思いながら現場へ向かった美沙の目に映ったものは、想像以上に混沌とした光景だった。

 怯えて身を寄せ合う二人の若い女性、そんな彼女達を守るかのように立ち塞がる大型犬――そして、ニタニタと笑みを浮かべて突っ立っている順佑。

「だ、大丈夫ですか~!」

 後ろで結った長く艶やかな黒髪を弾ませながら駆け寄る。

「えっと、あの人が……訳の分からないことを……」

 女性の一人が順佑を指す。

 美沙は腹の内でため息を漏らし、順佑へ向かって歩きながら声を掛ける。

「こんにちは、浜谷さん。病気で作業所をお休みしてるって聞いてますけど、家で寝てなくて良いんですか」

 順佑が唇を尖らせ、ふすー、ふすーと不満げに息を漏らす。彼の頭に一つの台詞が蘇っていた。それは過激なアンチが浜谷家に不法侵入するという事件の後に、順佑の前で警官が父親に告げたものだ。

「もちろん悪いのは犯人ですが、ですがね。お話を聴いているとどうにも、息子さんにも原因があるように思えてならんのです」

 あれ以来、順佑は警察官を全てアンチと見なし、敵意を抱いていた。

 美沙に対しても同様で、このアンチをいつかオラの「彼女オーディション」に参加させて恥を掻かせてやると考えていた。無論、そんなものが開かれる未来は永遠に訪れない。

「浜谷さーん? 病気のこともあるし、家に戻りませんか? 送っていくのでパトカーに乗ってもらえます?」

「だ、だで……ガチ恋……ソソソ……」

 と、意味不明なことをボソボソと言いながら女性の方を指差す。美沙は苛立ちを何とか抑えつつ言う。

「えーっと、暑くてボーっとしちゃいますよね。だから家に」

「ガチ恋!!!!」

 順佑が声を荒げて美沙の話を遮った。そんな姿をこれまでに一度も見たことがなかった美沙は驚いたものの、すぐに気を取り直して切り札を出した。

「お父さんに連絡して迎えに来てもらいましょうか?」

 お父さん。

 先ほどの威勢が嘘のように暗い顔をして俯き、順佑は首を横に振る。

「いや……いやっ……いや、いや……」

「じゃあパトカー行きましょうか」

 女性達に話を聞くより先に、業人を排除することが優先だと考え、美沙は二人に軽く会釈してから順佑をパトカーへと連れていった。

 後部に座らせ、管理人に順佑の様子を見ているように頼んで現場へ戻る。

 女性達は初めに見た時よりもずっと落ち着いた様子だ。

「大変でしたね。えっと、お話うかがっても大丈夫でしょうか?」

「……はい」

 里奈が怜奈を椅子に座らせ、美沙に対して何が起こったのかを告げた。

「そんなことが……。お気の毒に」

 美沙は心の底から同情して言った。

「それで、あの……正式な検査などはしていないらしいんですが、浜谷さんは、ここが」

 言葉を区切り、自身のこめかみ辺りを指でトントンと叩いた。

「なので……被害届はもちろん受理しますけど……」

「いえ」

 里奈がきっぱりと言う。

「私達としても変に世間の注目を集めたくないですから。それに逆恨みでもされたらもっと大変なので」

「そうですか……」

 と答えながら、美沙は二人を改めて眺めた。顔立ちは似通っており、姉妹であると察せられた。それから美人であると気付く。世間の注目を集めたくないとも言っていた事を考えると……。

「ひょっとしてお二人は女優さんか、モデルさんでしょうか?」

 ふ、と里奈が笑って首を横に振る。

「ただのヴーチューバーですよ。今日は撮影の下見で」

「なるほど。それであの、しつこいようですが、本当に被害届は……」

「大丈夫ですよ。怜奈ちゃんも、それで良いわね?」

「うん……お姉ちゃんに任せる」

 美沙はどうしたものかと考える。被害届については二人の意向を尊重するにしても、順佑をこのままにしていて良いのだろうか。こうした問題行動を起こす度に、父親はキツく叱っているらしく、しばらくは大人しくしている。ただ、今回のように加害者となるばかりではなく、表面的には被害者でありながらも問題の本質的な原因となっている場合もある。ネット上で不特定多数を煽っているらしいのだ。

 ネットをやめて大人しく作業所に通っていてくれれば良いのだけれど、本人がそれでは満足出来ないらしく、定期的に何らかの問題を起こしてしまう。どうしたものか。

「佐々木さーん!」

 遠くで月影が声を上げている。順佑が何かしようとしているのだろう。

「あ、ごめんなさい。お二人とも」

「いえ、私達はもう大丈夫ですから」

 里奈が頭を下げる。

「で、では、私はこれで」

 慌ててパトカーへ戻ると、順佑が外へ出ようとしていた。

「浜谷さん。やっぱりお父さんに迎えに来てもらいましょうか?」

 美沙が言うと、順佑はふくれっ面を浮かべつつも即座に座席へ戻った。

 送迎中、美沙は興奮させないように言葉を選びつつ、人に迷惑を掛けるようなことはしちゃいけない。場合によっては逮捕されることもある。そう何度も諭したが、順佑が理解している様子はなかった。

 浜谷家に着いて順佑を下ろすと、美沙は一つため息を吐いてから言った。

「お父さんには連絡しておきますので、今後のことも含めてきちんと話し合ってくださいね」

「だでぇ!?」

 やっぱり警察はオラのアンチ! オラに嫉妬してる! オラの彼女になれないからって嫌がらせする! ケツデカ女! オラに触られたい癖に! 裏切った! こいつは絶対に彼女オーディションで制裁するっ!

 去っていくパトカーの後姿をしばし恨めしげに見つめていた順佑だったが、腹の虫が鳴いた為に自宅へ入っていった。

 冷凍チャーハンを温めて平らげる。腹が膨れると美沙を始めとした警察への恨みも、これから父親が帰ってくると間違いなく怒られるという恐怖も引っ込み、代わって邪悪なものが込み上げてきた。

 天津姉妹の怯えた表情や艶やかな肢体のことを思い出しながらドアに密着する。

 もうちょっとだったのに! アンチが邪魔しなければオラがガン突き! ガチ恋をガン突き! 犯してあげたのに!

 こうやって! こうやって! こうだで!!

 ドアノブを凄まじく汚しながら順佑は恍惚の吐息を漏らす。

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