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被爆地復興の原動力となったバレーボール 「スポーツに政治や戦争は関係ない」 広島サンダーズが受け継ぐ平和発信

2025年7月5日 8:00
被爆地復興の原動力となったバレーボール 「スポーツに政治や戦争は関係ない」 広島サンダーズが受け継ぐ平和発信

被爆地・ヒロシマの復興の原動力となったスポーツについて考えます。その一つであるバレーボールは、今も平和への取り組みが受け継がれています。

広島を代表するバレーボールチーム「広島サンダーズ」は、トップリーグで戦い続け、2014・15シーズンでは悲願のリーグ優勝を果たしました。創部からの歴史と、関係者の思いをまとめたクラブ史『白球の飛跡』によると、1931年に「広島地方専売局排球部」が誕生しました。発足当時は、すでに強豪チームが存在し、専売局は苦戦が続きました。

そして戦争が拡大し、1945年8月6日には広島に原爆が落とされます。被爆後の様子をクラブ史に寄せた人もいました。

■クラブ史『白球の飛跡』より(一部抜粋)
「どちらを向いても一面の焼野原で、御幸橋のたもとに広島地方局があった時代、敗戦の傷疵も生々しく、道行く人にはほほ笑みが見られない暗黒の毎日であった。」

■クラブ史『白球の飛跡』より(一部抜粋)
「ところが、誰かがどこからともなく1個のバレーボールを持ち出し、せめてもの慰みにと、昼休みに数人の若者が円陣を作り、パスをして楽しむようになった。」

従業員の希望となったバレーボール。チームは1949年に「広島専売」として再び発足し、1958年に「専売広島」へと名を変え、街の復興とともに飛躍し始めます。

1962年に「専売広島」に入団した猫田勝敏さんは、セッターとして活躍しました。全日本選手に選ばれ、4大会連続でオリンピックに出場しました。ミュンヘン大会では金メダルを獲得し、「世界一のセッター」と呼ばれました。

猫田さんの教え子で、日本が誇る「名セッター」の下村英士さんは、恩師をこう振り返ります。
 
■広島県バレーボール協会専務理事 下村英士さん
「自分で手取り足取りという指導はやらない指導者だったので。猫田さんは、自分のプレーを見ながら盗んでこうやるんだよというのを言葉ではなくて、態度で、プレーで示されていました。かっこいいですよね。かっこいいと思いますよ、僕も。」

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